随分と前からいろんな場所での盗撮が問題になっている。
地下鉄の駅などにも盗撮注意のポスターが掲載されているくらいだ。
陸上競技の試合でも盗撮が行われているようで、厳しくチェックされている(写真・映像共に)。
競技場の入口には大きな看板が立てられ、プログラムにも競技場内での撮影についての注意書きが掲載されている。
具体的には、
本人(未成年者の試合では保護者)の了解が無い場合の撮影は禁止。
そして、撮影してよい場所も競技場内で細かく決められている。
本人の承諾を得られていても、撮影禁止エリアでは撮影できないということだ。
また、スタート前にスタブロの足合わせをしているときや、フィールド競技など試技前の撮影も禁止(これは競技者のコンセントレーションを乱す可能性があるため)。
競技場内では無断で撮影している人がいないかを審判がチェックしなければならない状況で、
ただでさえ競技役員の人数が足りないのにそちらに人数を割かねばならないということになっている。
審判控室などにいると「怪しい奴がいる」という話が耳に入ってくる。
競技場って死角がたくさんあるように感じるが、撮影しているとその様子は意外と目立つ。
実際に盗撮をしていて捕まる人もいるそうだから、ホントに止めて欲しい。
ただ・・・女子のユニフォーム(セパレート)もどうかと思う。
男子のユニフォームより肌の露出度が高いのはどう考えても変だ。
ナンバーカード(ゼッケン)を付ける場所さえことかくほど生地が少ない。
あそこまで生地を少なくするメリットってあるのかどうか疑問だ。
本当にメリットがあるなら男子でももっと肌の露出度が高いユニフォームに変わるからだ。
オリンピック種目になるスポーツは数あれど、男子より女子のユニフォームの方が肌の露出度が高い競技があるだろうか。
これは女子ビーチバレーと同じで色気で人気を出そうとしているのではないのかといぶかってしまう。
競技の持つ本来の魅力で人気をつかまなければ、結局ビーチバレーのように色物で観られるようになってしまうだろう。
選手は一生懸命頑張っているのにもったいないことだ。
かつて女子バレーボールもレオタードタイプのユニフォームの導入が議論されたが選手からの猛反発で取り止めになったことがあったような。
変な小技で人気取りをしたら盗撮小僧が増えるだけなのに・・・と思う。
2013年12月15日日曜日
2013年12月8日日曜日
第一回笛竹会 発表会
ついに我が笛のお社中も発表会を開催することになった。
今まで発表会をやらない主義だったのにどうして・・・?
そのあたりの事情を先生にお聞きしたところ、毎年いろんなお弟子さんから「発表会はやらないのか?」とか「忘年会はやらないのか?」などというような問い合わせが多数寄せられているとのことで、もう面倒だから発表会→忘年会と1日でやってしまおうと考えて開催することにした、とのことだった。
でも、番組には藝道三十周年って書いてあるけど・・・。
ということで12月8日(日)の午後2時半から発表会で、終了後に同じ場所で忘年会をすることと決定した。
幹事が岐阜在住の方だから岐阜の某料亭で開催。
岐阜かあ~、ちと遠いなあ。
何せこの日は伊勢で朝から試合なので始発で伊勢へ行き、試合が終わったら速攻岐阜へというハードスケジュール。
しかも、前日は朝から愛知駅伝の審判をして、終了後に地元の祭の若い衆の忘年会で午前様だったから3時間少々しか寝ていない。
遊びとは言え、かなり厳しいスケジュールだった。
私は今まで発表会のような場で人前で吹いたことが無かった。
家でも家族がいない時間帯に吹いているくらいだ。
でも、意外と緊張はしなかった。
適度に疲れていて緊張する気力がなかったのか、人前に出るのに慣れていたのか・・・。
発表会の曲は自由に選べるとのことだったので今習っている「神楽」をやることにした。
ただ全部吹くと長すぎるし、まだ全部習っていないから、先生と相談してカカリ~初段+二段の直り+打ち上げ留めという短縮系で行うこととなった。
神楽か・・・。
何というめぐりあわせだろう。
能楽の神楽という曲は我が地元のお祭りのお囃子「道歩き」とか「道行き」と呼ばれている曲の原曲だと考えられているのだ。
お祭り好きの私が、なんと初めての発表会で祭囃子に関係する神楽を吹く。
全然上手ではないし、ところどころ間違えたけれど、一応いつもと同じくらいには吹けたと思う(いつもがヘタだからそれなりということ)。
緊張しなかったのが良かったのか、試合等で疲れていたので力が抜けて良かったのか。
その後忘年会となったが、私はお座敷での忘年会が苦手。
何だか会社の慰安旅行とか忘年会みたいで。
何せ、お酌をするため席を移動するのがめんどくさい無精者だから。
お酒が飲めない体質だしカラオケも苦手だし。
しかし・・・まあこれも付き合いだ。
ということで忘年会はそれなりに盛り上がって終了~。
しかし疲れた1日だった。
次の稽古で先生からの講評が怖い。
今まで発表会をやらない主義だったのにどうして・・・?
そのあたりの事情を先生にお聞きしたところ、毎年いろんなお弟子さんから「発表会はやらないのか?」とか「忘年会はやらないのか?」などというような問い合わせが多数寄せられているとのことで、もう面倒だから発表会→忘年会と1日でやってしまおうと考えて開催することにした、とのことだった。
でも、番組には藝道三十周年って書いてあるけど・・・。
ということで12月8日(日)の午後2時半から発表会で、終了後に同じ場所で忘年会をすることと決定した。
幹事が岐阜在住の方だから岐阜の某料亭で開催。
岐阜かあ~、ちと遠いなあ。
何せこの日は伊勢で朝から試合なので始発で伊勢へ行き、試合が終わったら速攻岐阜へというハードスケジュール。
しかも、前日は朝から愛知駅伝の審判をして、終了後に地元の祭の若い衆の忘年会で午前様だったから3時間少々しか寝ていない。
遊びとは言え、かなり厳しいスケジュールだった。
私は今まで発表会のような場で人前で吹いたことが無かった。
家でも家族がいない時間帯に吹いているくらいだ。
でも、意外と緊張はしなかった。
適度に疲れていて緊張する気力がなかったのか、人前に出るのに慣れていたのか・・・。
発表会の曲は自由に選べるとのことだったので今習っている「神楽」をやることにした。
ただ全部吹くと長すぎるし、まだ全部習っていないから、先生と相談してカカリ~初段+二段の直り+打ち上げ留めという短縮系で行うこととなった。
神楽か・・・。
何というめぐりあわせだろう。
能楽の神楽という曲は我が地元のお祭りのお囃子「道歩き」とか「道行き」と呼ばれている曲の原曲だと考えられているのだ。
お祭り好きの私が、なんと初めての発表会で祭囃子に関係する神楽を吹く。
全然上手ではないし、ところどころ間違えたけれど、一応いつもと同じくらいには吹けたと思う(いつもがヘタだからそれなりということ)。
緊張しなかったのが良かったのか、試合等で疲れていたので力が抜けて良かったのか。
その後忘年会となったが、私はお座敷での忘年会が苦手。
何だか会社の慰安旅行とか忘年会みたいで。
何せ、お酌をするため席を移動するのがめんどくさい無精者だから。
お酒が飲めない体質だしカラオケも苦手だし。
しかし・・・まあこれも付き合いだ。
ということで忘年会はそれなりに盛り上がって終了~。
しかし疲れた1日だった。
次の稽古で先生からの講評が怖い。
今年も愛知駅伝の審判をしました(2013)
今年も愛知駅伝の審判をした。
この大会も回数を重ねるに従って当初の盛り上がりがやや影を潜めているように感じていたが、
今年はまた少し盛り返したような感じがした(あくまで個人的な印象だけど)。
盛り上がりに欠けるようになった理由・・・。
この大会で勝ってもその上の大会が無いということも理由にあるが、
回数を重ねてきてマンネリという感じがするのも大きな理由だと思う。
それに、大会が始まった当初の理念が忘れ去られているような気がするところも原因の一つだと思うけれど、強い市町村とそうでないところの差が極めて大きいことが大きな理由なことは否めない。
上位チームはいつも決まっていて、見ていても確かにレースの面白味はあまり無い(強い市町村の人たちは面白いと思うが)。
強い市町村の中には何が何でも勝ちたいために、国体の開催県のような強化対策をしているとかいう噂も聞いた(強い選手を集めるなど)。
選手はみんな競技に一生懸命で余計なことは考えていないから、外野がいろいろ言うのが良くないんだろう。
さて、この大会は実は東海テレビが主催だ。
そのため、会場にはマスコミ関係の人たちがうろうろしている。
そこで感じたのは、どうしてテレビ業界の人たちってこう一目で「テレビ業界の人だ」ってわかるんだろうということ。
身体からそんな雰囲気がにじみ出ている気がする。
小中学校の先生を町で見て「この人先生だよな」って雰囲気でわかるのと似ている。
メディアの人たちの一種独特な空気が取り巻いてる気がすると毎年思う。
ところで、今年は我が市は結構躍進したみたいだ。
例年下位に低迷していたのだが、今年は随分上の方だったんじゃないか?
審判だから応援はできないけれどやっぱり地元が活躍するのは嬉しい。
2013年11月24日日曜日
写真をフィルムで撮影した場合の現像と同時プリントについて
今やカメラはデジタルの時代となり、フィルムカメラを使う人は少数派になってしまった。
この変化は非常に早いスピードだったので、フィルムメーカーがついて行けないほどだった。
今では国内メーカーでフィルムを作っているところは無いから、
メーカーの在庫が無くなれば輸入品しか無くなる。
そんな状況だから、町の写真屋もフィルム現像機を自店で維持するのを止めたところばかりになってしまった。
以前は町の写真屋で安く現像して貰えたのに、
今だと店から外部のラボに出しているから、24枚撮り1本現像+各1枚プリントで2,000円くらいはかかると思う。
これは以前の倍ほどの値段だ。
私は一眼レフはフィルムカメラしか持っていない。
ブログに使う程度なら携帯のカメラでもいいけれど、キレイに撮りたい写真はやっぱり一眼レフで・・・と思う。
でも、現像代がこんなに高くてはやってられない。
と思っていいラボは無いかなあといろいろ調べたところ、
インターネットで注文、郵送でフィルムのやり取りができる写真屋を見つけた。
いくつか店があるけれど、
私は岩手県にあるプリネット・ワンという写真屋を選んだ。
ここに注文するにはまず店のホームページを探し、
そこで何を注文するのかを入力する。
会員登録した方がやや安い値段になる(登録は無料)。
注文の際に代金支払い方法も入力しなければならないから予め決めておく。
HPの注文メニューを見て驚いたが、写真の現像や焼き増しだけでなく、
ネガをスキャンしてデジタルデータにもしてくれる(.jpgデータに変換したものをCD-Rに焼いてくれる)。
これはいいと思って早速注文してみた。
混み合っているので時間がかかるという返信メールがあったが、
1週間くらいで現像したフィルムとプリントした写真、データが入ったCD-Rが届く。
プリントした写真を見たら、結構いい感じにプリントされていた。
用紙はちゃんとした印画紙を使っているし。
これなら今後はずっとここへ依頼すればいいな。
フィルムカメラがいつまで使えるかわからないけれど、
今でもデジカメの画像よりフィルムカメラの画像の方がキレイだと思うから、
できる限りフィルムカメラを使って行きたい。
ところで、今回ずっと家で保管していたかなり古い白黒フィルムも使ったので現像に出した。
KodakのTRI-X PAN(400TX PAN)。
トライエックスはかつては世界的に著名だったモノクロフィルム。
今ではプロフェショナル用としてのみ販売しているとされる(実際はカメラ量販店などで誰でも購入可能らしい)。
かなり昔に、一度使ってみたいなあと思って購入したものの、何に使おうか決めていなかったためにタイミングを逃したまま家に保管していた。
いつまでも置いておくフィルムがダメになってしまうためようやく使うことにしたというもの。
ただ、撮影したものを現像してみたが、やっぱりあまりキレイには写らなかった。
もっと早く使っていれば・・・もったいないことをしたな。
この変化は非常に早いスピードだったので、フィルムメーカーがついて行けないほどだった。
今では国内メーカーでフィルムを作っているところは無いから、
メーカーの在庫が無くなれば輸入品しか無くなる。
そんな状況だから、町の写真屋もフィルム現像機を自店で維持するのを止めたところばかりになってしまった。
以前は町の写真屋で安く現像して貰えたのに、
今だと店から外部のラボに出しているから、24枚撮り1本現像+各1枚プリントで2,000円くらいはかかると思う。
これは以前の倍ほどの値段だ。
私は一眼レフはフィルムカメラしか持っていない。
ブログに使う程度なら携帯のカメラでもいいけれど、キレイに撮りたい写真はやっぱり一眼レフで・・・と思う。
でも、現像代がこんなに高くてはやってられない。
と思っていいラボは無いかなあといろいろ調べたところ、
インターネットで注文、郵送でフィルムのやり取りができる写真屋を見つけた。
いくつか店があるけれど、
私は岩手県にあるプリネット・ワンという写真屋を選んだ。
ここに注文するにはまず店のホームページを探し、
そこで何を注文するのかを入力する。
会員登録した方がやや安い値段になる(登録は無料)。
注文の際に代金支払い方法も入力しなければならないから予め決めておく。
HPの注文メニューを見て驚いたが、写真の現像や焼き増しだけでなく、
ネガをスキャンしてデジタルデータにもしてくれる(.jpgデータに変換したものをCD-Rに焼いてくれる)。
これはいいと思って早速注文してみた。
混み合っているので時間がかかるという返信メールがあったが、
1週間くらいで現像したフィルムとプリントした写真、データが入ったCD-Rが届く。
プリントした写真を見たら、結構いい感じにプリントされていた。
用紙はちゃんとした印画紙を使っているし。
これなら今後はずっとここへ依頼すればいいな。
今でもデジカメの画像よりフィルムカメラの画像の方がキレイだと思うから、
できる限りフィルムカメラを使って行きたい。
ところで、今回ずっと家で保管していたかなり古い白黒フィルムも使ったので現像に出した。
KodakのTRI-X PAN(400TX PAN)。
トライエックスはかつては世界的に著名だったモノクロフィルム。
今ではプロフェショナル用としてのみ販売しているとされる(実際はカメラ量販店などで誰でも購入可能らしい)。
かなり昔に、一度使ってみたいなあと思って購入したものの、何に使おうか決めていなかったためにタイミングを逃したまま家に保管していた。
いつまでも置いておくフィルムがダメになってしまうためようやく使うことにしたというもの。
ただ、撮影したものを現像してみたが、やっぱりあまりキレイには写らなかった。
もっと早く使っていれば・・・もったいないことをしたな。
2013年11月17日日曜日
私が行っている床屋が移転
もう数か月前のことだが、私が行っている床屋が移転した。
随分と前から移転するつもりだという話を聞いていたが、
業者や大家さんといろいろ打合せをしていたらこの時期になってしまったとのことだ。
第一印象は、前の店よりかなり狭くなったということ。
が、内装はかなり凝っている。
全体にシックというかレトロな感じ。
電話もベル音のに変えてたし。
私はこの床屋へ通うようになってから20年以上の常連だ。
この店は、実は移転前に1度改装している(10年くらい前)。
最初は普通の床屋さんという内装だったものをちょっとおしゃれな美容院風の内装に変えたのだ。
それは若い客を増やそうとして行ったものだそうだが、
思ったより若い客(高校生~大学生とか)が増えなかったようだ。
そして時代は流れ、床屋のオーナーも徐々に歳を取り、
常連も歳を取った。
かつては使用人が2~3人いたが、最近は1人でやっているから今の店では広すぎる。
若い子向けの店より、自分も常連も落ち着けるこじんまりとした店にしたいという思いが強くなってきて移転を決めたそうだ。
聞くところによると、最近の若い子は髪を切る=美容院だそうだ(男でも)。
床屋=おじさんが行くところというイメージらしい。
七三分けとかパンチパーマとかオールバックとか、そういう髪型をする人が行く店が床屋(理容店)と思っている人が多いようだ。
それは私にとっては意外だった。
私が若い頃でもおしゃれな奴は床屋ではなく美容院へ行っていたが、
私はずっと床屋だったし、仲間も床屋へ行っている奴が大部分だったし。
何より、どんな髪型にするかとか、ここの部分はどうカットするかとかいちいち聞かれないのがいい。
そんなこといちいち聞かれるのはめんどくせえ!と思ってしまう私はおしゃれじゃないということかな。
「いつもみたいで」と言うだけで適当にカットしてくれるのが気楽でいい。
たまには髪型変えてみない?とか言われても「めんどくさい髪型は嫌なので」と言って
髪型は変えていないつもり。
ただ、「いつもみたいに」と言っても季節によって長さが変わるし(夏は短めになる)、
定番の髪型も時代とともに変わっていくから、私の髪型も徐々に変えられているようだ(でも、気にしない)。
慣れた店が気楽でいいから、オーナーが店を辞めるまでずっとここで髪をカットしてもらうことになるだろう。
そう考えると、床屋って長い付き合いになるんだな。
随分と前から移転するつもりだという話を聞いていたが、
業者や大家さんといろいろ打合せをしていたらこの時期になってしまったとのことだ。
第一印象は、前の店よりかなり狭くなったということ。
が、内装はかなり凝っている。
全体にシックというかレトロな感じ。
電話もベル音のに変えてたし。
私はこの床屋へ通うようになってから20年以上の常連だ。
この店は、実は移転前に1度改装している(10年くらい前)。
最初は普通の床屋さんという内装だったものをちょっとおしゃれな美容院風の内装に変えたのだ。
それは若い客を増やそうとして行ったものだそうだが、
思ったより若い客(高校生~大学生とか)が増えなかったようだ。
そして時代は流れ、床屋のオーナーも徐々に歳を取り、
常連も歳を取った。
かつては使用人が2~3人いたが、最近は1人でやっているから今の店では広すぎる。
若い子向けの店より、自分も常連も落ち着けるこじんまりとした店にしたいという思いが強くなってきて移転を決めたそうだ。
聞くところによると、最近の若い子は髪を切る=美容院だそうだ(男でも)。
床屋=おじさんが行くところというイメージらしい。
七三分けとかパンチパーマとかオールバックとか、そういう髪型をする人が行く店が床屋(理容店)と思っている人が多いようだ。
それは私にとっては意外だった。
私が若い頃でもおしゃれな奴は床屋ではなく美容院へ行っていたが、
私はずっと床屋だったし、仲間も床屋へ行っている奴が大部分だったし。
何より、どんな髪型にするかとか、ここの部分はどうカットするかとかいちいち聞かれないのがいい。
そんなこといちいち聞かれるのはめんどくせえ!と思ってしまう私はおしゃれじゃないということかな。
「いつもみたいで」と言うだけで適当にカットしてくれるのが気楽でいい。
たまには髪型変えてみない?とか言われても「めんどくさい髪型は嫌なので」と言って
髪型は変えていないつもり。
ただ、「いつもみたいに」と言っても季節によって長さが変わるし(夏は短めになる)、
定番の髪型も時代とともに変わっていくから、私の髪型も徐々に変えられているようだ(でも、気にしない)。
慣れた店が気楽でいいから、オーナーが店を辞めるまでずっとここで髪をカットしてもらうことになるだろう。
そう考えると、床屋って長い付き合いになるんだな。
2013年11月10日日曜日
映画「BEATCHILD ベイビー大丈夫かっ」を観た
「BEATCHILD ベイビー大丈夫かっ」を観てきた。
感動の野外ライブだった。
当時私は高校生だったからBEATCHILDという野外ライブが開催されたということしか知らなかった。
しかし、ライブ映像を観て驚きと感動の連続だった。
当時このライブへ出演したバンドの音楽を特によく聞いていたわけではない(BOOWYを除く)。
それなのに全てが懐かしく、「リンダリンダ」なんか歌ったこともないのにコーラスの上のパートも歌えそうなくらい。
今とは違って当時の私の周りには意識して聴いていた音楽以外にもいろんな音楽が流れていたんだなあと改めて思うのと同時に、当時は今とは違うロックの空気が流れていた時代だったんだなあと強く感じた。
ファッションやサウンドの古さは否めないけれど、80年代に青春時代を過ごした者としては本当に懐かしく思う。
観てよかった。
もう一度観たいくらいだ。
その当時のことを知らない若い人でも、ロック好きは必見!
このライブは1987年8月22~23日に熊本県の阿蘇山麓にあるアスぺクタという野外劇場で開催された日本初オールナイトロックフェスティバルの記録映画だ、
18時開演、翌日6時終演という予定だったが、ライブ中のほとんどの時間が豪雨という凄まじい状況の中で開催された伝説のフェスだ。
時間帯によっては1時間あたり71mを超える雨量だったという。
日本初の試みとは言え、
運営側が雨の予測をしていなかった模様で詰めが甘かったのは否めないところだろう。
運営本部の部屋もPAも床の上を濁流が流れる状況。
豪雨のため、機材が水をかぶって使えなくなるものが続出。
ドラムセット等を守るために急遽ステージ上にテントが設置されたがそれでも間に合わないほどの大雨・・・。
白井貴子の出番では1曲目の前奏でギターとベースが水にやられて壊れ、
ステージ上のモニターも水濡れのために撤去。
シンセとドラムパートだけの演奏(それもモニターが無いから多分かすかにドラムの音だけが聞こえただけだと思う)で歌った姿と、機材不具合で中断中に一生懸命に観客を鼓舞して
自らもバケツの水をかぶって気合いを入れるところなど全ての人が引きつけられただろう。
客側も雨対策が甘かった部分があったと思われる。
開催日は夏とは言ってもお盆明けだし、標高500mの高原の深夜ライブだから例え雨が降らなくても結構冷える。
映像を見る限りその対策をしていなかったと思われる薄着の客も多かった。
それが豪雨だったからひとたまりも無い。
ミュージシャン・スタッフ・観客ともに気合いで乗り切った我慢大会ライブとも言える。
でも、その状況を何とか乗り越えようとした真剣な姿に心を打たれるのだろう。
雷も鳴っていた時間帯もあった模様だから、今だったら間違いなく中止だったと思う。
しかし、7万人以上を人里離れた山奥に夜中に集めてしまったために帰すこともできなかったのだろう。
とにかく凄まじいライブだった。
全てが感動だったが、
白井貴子の出番前の不安な表情、あのスライダースのメンツでさえ楽屋で困った顔をしていたのに
甲本ヒロトだけは本気で雨を楽しんでいるような笑顔をしていたのが特に印象的だった(ただ、ブルーハーツの出番の頃は雨は降っていなかった)。
これDVDは出ないんだよな。
テレビ放送もDVD発売も一切なし!って書いてあったからなあ。
もったいない。
でも、あの豪雨の中でこれだけのクオリティで映像・音楽を記録できたのは奇跡に近いと思う。
よく今まで残っていたものだ。
ライブには多くのミュージシャンが出演している上に尾崎は死んでるし、契約とか権利とか面倒なことがあるのだろうけれど、
DVD発売して欲しいなあと思う。
感動の野外ライブだった。
当時私は高校生だったからBEATCHILDという野外ライブが開催されたということしか知らなかった。
しかし、ライブ映像を観て驚きと感動の連続だった。
当時このライブへ出演したバンドの音楽を特によく聞いていたわけではない(BOOWYを除く)。
それなのに全てが懐かしく、「リンダリンダ」なんか歌ったこともないのにコーラスの上のパートも歌えそうなくらい。
今とは違って当時の私の周りには意識して聴いていた音楽以外にもいろんな音楽が流れていたんだなあと改めて思うのと同時に、当時は今とは違うロックの空気が流れていた時代だったんだなあと強く感じた。
ファッションやサウンドの古さは否めないけれど、80年代に青春時代を過ごした者としては本当に懐かしく思う。
観てよかった。
もう一度観たいくらいだ。
その当時のことを知らない若い人でも、ロック好きは必見!
このライブは1987年8月22~23日に熊本県の阿蘇山麓にあるアスぺクタという野外劇場で開催された日本初オールナイトロックフェスティバルの記録映画だ、
18時開演、翌日6時終演という予定だったが、ライブ中のほとんどの時間が豪雨という凄まじい状況の中で開催された伝説のフェスだ。
時間帯によっては1時間あたり71mを超える雨量だったという。
日本初の試みとは言え、
運営側が雨の予測をしていなかった模様で詰めが甘かったのは否めないところだろう。
運営本部の部屋もPAも床の上を濁流が流れる状況。
豪雨のため、機材が水をかぶって使えなくなるものが続出。
ドラムセット等を守るために急遽ステージ上にテントが設置されたがそれでも間に合わないほどの大雨・・・。
白井貴子の出番では1曲目の前奏でギターとベースが水にやられて壊れ、
ステージ上のモニターも水濡れのために撤去。
シンセとドラムパートだけの演奏(それもモニターが無いから多分かすかにドラムの音だけが聞こえただけだと思う)で歌った姿と、機材不具合で中断中に一生懸命に観客を鼓舞して
自らもバケツの水をかぶって気合いを入れるところなど全ての人が引きつけられただろう。
客側も雨対策が甘かった部分があったと思われる。
開催日は夏とは言ってもお盆明けだし、標高500mの高原の深夜ライブだから例え雨が降らなくても結構冷える。
映像を見る限りその対策をしていなかったと思われる薄着の客も多かった。
それが豪雨だったからひとたまりも無い。
ミュージシャン・スタッフ・観客ともに気合いで乗り切った我慢大会ライブとも言える。
でも、その状況を何とか乗り越えようとした真剣な姿に心を打たれるのだろう。
雷も鳴っていた時間帯もあった模様だから、今だったら間違いなく中止だったと思う。
しかし、7万人以上を人里離れた山奥に夜中に集めてしまったために帰すこともできなかったのだろう。
とにかく凄まじいライブだった。
全てが感動だったが、
白井貴子の出番前の不安な表情、あのスライダースのメンツでさえ楽屋で困った顔をしていたのに
甲本ヒロトだけは本気で雨を楽しんでいるような笑顔をしていたのが特に印象的だった(ただ、ブルーハーツの出番の頃は雨は降っていなかった)。
これDVDは出ないんだよな。
テレビ放送もDVD発売も一切なし!って書いてあったからなあ。
もったいない。
でも、あの豪雨の中でこれだけのクオリティで映像・音楽を記録できたのは奇跡に近いと思う。
よく今まで残っていたものだ。
ライブには多くのミュージシャンが出演している上に尾崎は死んでるし、契約とか権利とか面倒なことがあるのだろうけれど、
DVD発売して欲しいなあと思う。
2013年11月3日日曜日
「荒野ノヒカリ」へ行ってきた(愛岐トンネル)
あいちトリエンナーレの平行事業として開催していた「荒野ノヒカリ」が10月27日(日)で最終日だったので、
ナゴヤアドベンチャーマラソンの後にあわてて行ってきた。
場所は定光寺(春日井市)にある愛岐トンネルだ。
愛岐トンネルとは、元々JR中央線が通っていた愛知県春日井市と岐阜県多治見市にまたがる複数のトンネル群。
中央線が電化されるときにこのあたりは新たに山側に複線の線路が開通したので
この部分は廃線となってそのまま忘れられていた。
その後、JR勝川駅が高架の駅舎へと変わる際にレンガ造りのホームの保存運動が起こり、
その際にレンガ造りのトンネルの存在も思い出されてトンネルの保存運動も起こった。
それ以後NPO法人が設立され、この周辺の土地を買い上げるトラスト運動も起こって現在に至る。
トンネル周辺は危険な場所もあることから公開は年数回に限られる。
実はこのトンネルも観てみたくて行ったという感じでもある。
最寄駅はJR中央線の定光寺駅。
このあたりは庄内川と山との景色が素晴らしく、
かつては多くの人出があったらしい。
今は寂れていて、廃業した旅館の廃墟がむなしく建っている。
駅から300mほど歩くと愛岐トンネルの入り口がある。
ここから東に向かって歩く。
トンネルとその間を結ぶ道は廃線時にレールと枕木・保安機器(信号機や電線類)等を撤去しただけで放置されていたから、
バラスト(枕木の下に敷いた砕石)はそのまま。
土をかぶっている部分もあるが基本砂利道と同じで歩きにくい。
革靴やハイヒールでは歩行不可能だろう。
このバラストは歴史遺産なのでそのまま残す方向とのこと。
歩きやすい靴で来るようにしないといけない。
展示作品は主にトンネルの中にある(外にあるものもある)。
トンネルやこの地域の環境を活かした作品と感じか。
作品数は多く無いので、トリエンナーレのようなものをイメージしているとちょっと肩すかしを食らうかも。
私が行ったのは最終日の午後1時前後だったということもあるが、マルシェはほぼ全部売り切れで1店を残して閉店していたのが残念。
残っている1店もメインメニューは売り切れだったし。
そんなにたくさんの人が来てたのか、最終日だから余らないようにしたのか。
でも私がいた時間帯は結構たくさんの人が来ていた。
盛況だったと思う。
音を楽しむ展示(?)もいろいろあって、
愛岐トンネルの対岸を走る愛岐道路を通る車の音が波に聞こえる、
という展示が気になった。
車の走行音だからうるさいなあと思っていたのだが、
考えようによっては波の音か・・・。
今回歩いて行けたのは愛知と岐阜との県境まで。
その向こうは川があって、橋が無い(レンガ製の基礎部分だけ残る)。
岐阜県側にもトンネルがあるが、中には入れない状態だという。
今はそれを全部通れるようにして隣の駅(古虎渓駅)まで歩けるようにする計画があるらしい。
まずはトンネルを所有している名古屋市や多治見市がどこまでやるか、だな。
帰るとき、NPOの方に「紅葉のシーズンにも来てほしい」と誘われた。
ただ、紅葉シーズンはかなり混むらしいからなあ。
ちょっと検討だな。
ここは本当に景色が良くて、
気候がいい季節にお弁当持ちでのんびりしに来たいと思える場所だ。
場所は定光寺(春日井市)にある愛岐トンネルだ。
愛岐トンネルとは、元々JR中央線が通っていた愛知県春日井市と岐阜県多治見市にまたがる複数のトンネル群。
中央線が電化されるときにこのあたりは新たに山側に複線の線路が開通したので
この部分は廃線となってそのまま忘れられていた。
その後、JR勝川駅が高架の駅舎へと変わる際にレンガ造りのホームの保存運動が起こり、
その際にレンガ造りのトンネルの存在も思い出されてトンネルの保存運動も起こった。
それ以後NPO法人が設立され、この周辺の土地を買い上げるトラスト運動も起こって現在に至る。
トンネル周辺は危険な場所もあることから公開は年数回に限られる。
実はこのトンネルも観てみたくて行ったという感じでもある。
このあたりは庄内川と山との景色が素晴らしく、
かつては多くの人出があったらしい。
今は寂れていて、廃業した旅館の廃墟がむなしく建っている。
駅から300mほど歩くと愛岐トンネルの入り口がある。
ここから東に向かって歩く。
トンネルとその間を結ぶ道は廃線時にレールと枕木・保安機器(信号機や電線類)等を撤去しただけで放置されていたから、
バラスト(枕木の下に敷いた砕石)はそのまま。
土をかぶっている部分もあるが基本砂利道と同じで歩きにくい。
革靴やハイヒールでは歩行不可能だろう。
このバラストは歴史遺産なのでそのまま残す方向とのこと。
歩きやすい靴で来るようにしないといけない。
展示作品は主にトンネルの中にある(外にあるものもある)。
トンネルやこの地域の環境を活かした作品と感じか。
作品数は多く無いので、トリエンナーレのようなものをイメージしているとちょっと肩すかしを食らうかも。
私が行ったのは最終日の午後1時前後だったということもあるが、マルシェはほぼ全部売り切れで1店を残して閉店していたのが残念。
残っている1店もメインメニューは売り切れだったし。
そんなにたくさんの人が来てたのか、最終日だから余らないようにしたのか。
でも私がいた時間帯は結構たくさんの人が来ていた。
盛況だったと思う。
音を楽しむ展示(?)もいろいろあって、
愛岐トンネルの対岸を走る愛岐道路を通る車の音が波に聞こえる、
という展示が気になった。
車の走行音だからうるさいなあと思っていたのだが、
考えようによっては波の音か・・・。
今回歩いて行けたのは愛知と岐阜との県境まで。
その向こうは川があって、橋が無い(レンガ製の基礎部分だけ残る)。
岐阜県側にもトンネルがあるが、中には入れない状態だという。
今はそれを全部通れるようにして隣の駅(古虎渓駅)まで歩けるようにする計画があるらしい。
まずはトンネルを所有している名古屋市や多治見市がどこまでやるか、だな。
帰るとき、NPOの方に「紅葉のシーズンにも来てほしい」と誘われた。
ただ、紅葉シーズンはかなり混むらしいからなあ。
ちょっと検討だな。
ここは本当に景色が良くて、
気候がいい季節にお弁当持ちでのんびりしに来たいと思える場所だ。
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