2010年12月26日日曜日

OECDにショートビデオを応募してパリに行こう!

OECD 50th Anniversary Video Competition

OECDは2011年、設立50周年を迎えます。
その記念行事として、次世代を担う若者から “Vision for progress”というテーマ
の3分以内のショート・ビデオを募集します。

≫ 応募資格
18~25歳(国籍は問わない)

≫ 応募方法
- 2011年3月1日24時(パリ時間・日本時間の3月2日午前8時)までにコンペティショ
ンに提出するビデオをYou Tubeにアップロードします。

≫優勝者の特典
- フランス・パリに招待
- 国際フォーラムで優勝フィルムを上映
- 世界各国からの政府、民間団体、メディアとのミーティングの機会の提供。


≫ コンペティションのスケジュール
2010年12月1日:コンペティション開始
2011年3月1日24時(パリ時間): ビデオ提出〆切
2011年3月31日: 20組のファイナリストが選ばれ、2011年3月末まに、コンペティシ
ョン・ウェブサイトにて発表されます。ファイナリストにはメールでご連絡差し上げ
ます。
2011年3~4月:一般投票が行われます。
2011年4月15日:優勝者の発表:優勝者はコンペティション・ウェブサイトに発表さ
れ、メールでもご連絡差し上げます。

詳しくは下記のサイトをご参照下さい。
http://www.oecd.org/document/20/0,3746,en_21571361_44315115_46513044_1_1_1_1,00.html

皆様のご応募をお待ちしております。
特に、大学、NGO関係の方々におかれましては、部内での告知にご協力頂ければ幸い
です。

OECD東京センター
mailto:tokyo.contact@oecd.org
www.oecdtokyo.org
www.oecdilibrary.org (preliminary version)

〒100-0011 東京都千代田区内幸町2-2-1
日本プレスセンタービル3階
Tel. 03-5532-0021 Fax. 03-5532-0035

2010年12月20日月曜日

ホーチキつけてー!

ずっと前に購入していた家庭用火災報知機(住警器)をようやく取り付けた。
取り付けしたはもちろんコレ。
ホーチキ株式会社のハイガード。





よくビルなどで見かけるのはこういうのだけど、
これは単体では作動しません。
受信機などと一体となってようやく使い物になるもの(左:差動式感知器、右:定温式感知器)。



火災報知機メーカーは数あれど・・・
「九段」。これはいけません。



「門真」。通称「松」、これもいけません。 



「幡ヶ谷」。これもいけません。



「目黒」。やっぱりこれが一番でしょう!



何故かって?それは秘密です。
ちなみに、私はこんな資格も持ってます。
消防設備士 甲種4類(自動火災報知設備) の免状。

私は文系なので受験資格が結構厳しかったのだけれど、
何とか受験できました。
簡単には取得できないから大事にしていきたい資格。
もうすぐ更新講習をうけなければならないのがネック。
かつては図面(と言ってもP型の)が書けたんだけどもうダメです。
記号も忘れてしまいました。

2010年12月12日日曜日

東海シティマラソンに初出場

今日は予定が詰まって充実した1日だった。
東海シティマラソン、この大会は今回が初出場だ。
ずっと楽しみにしていた大会。
が、しかし・・・2週間前のお伊勢さん健康マラソンで左ふくらはぎが軽い肉離れになり、
出場は厳しい状況だった。
でも、せっかくエントリーしたから来年度以降の下見を兼ねて出場することにした。

当日は8時過ぎに現地に到着し、
スタート地点に一番近い駐車場(横須賀小学校)に車を停めるつもりだった。
が、なんと8時の時点で満車。
仕方ないから元浜公園へ駐車。
スタート前に念願だったMさんと会う。
Mさんとは初めて会うのに
何だか昔からの知り合いのように感じた。
ランニング&オートバイという共通の趣味があるからだろうか。

治療のため2週間全く走ってない。
しかも今回は10kmだ。
10kmの試合に出るのは高校駅伝の1区10kmを走って以来だから20年ぶりくらい?
どこまで走れるかわからない。
念のために、今までやっていた治療用のテーピングから
肉離れを防ぐテーピングに変えた。
でも、コレで完全に防ぐことができるわけではない。
さて、スタート。
スタート地点に行くのが遅かったからかなり後ろからスタートする。
今日はゆっくり走るから、まあ後ろからでもいいか。
しかし、周りにいる人たちは明らかに遅いので、
人の間を縫って少し前の方へ。
足の様子を見ながら1kmあたり4分30秒くらいで流して走ってみる。
が、やっぱり2km辺りから左足ふくらはぎが痛くなって来た。
こりゃ棄権だなあ~と考えつつ、行けるところまで行ってみる。
すると、4km地点辺りで今度は右足ふくらはぎも痛くなってきた。
だからここでリタイア。
長い競技生活で初めての途中棄権だ。
ここからスタート地点へ歩いて戻るわけだが、
体がすぐ冷えてしまい寒かった(ここに来るまでに遠回りしているので、実際は2kmくらい歩けばスタート地点だが、遠く感じた)。
歩きながら、右足まで同じような症状になってしまったことに対し、
何だか限界を感じた。
心肺機能は余裕があるのに筋肉がついて来ない。
今までのように走ろうとすると肉離れ・・・。
今日はゆっくり目のペースで走っていたのに、だ。
もう今までのように走ることは無理なんだろうか・・・ 。
現役時代に走り込み過ぎて身体にダメージが相当溜まっているのだろうか、とか
年齢的に今までのような負荷に耐えられない筋肉になってしまったのだろうか、とか
スタート地点に戻りながらいろんな考えが頭をめぐった。

ゴール付近(スタート地点付近)で偶然K氏・Iさん・Wさんと会う。
アクトス6時間リレーマラソン以来だ。
すっかり盛り下がった気分だったので、
3人に会って少し救われた。
声を掛けてくれたから元気を貰うことができた。
レース後の食事やお風呂に誘われたが、
私は午後から約束が会ったので辞し、
急いで帰宅。
午後から亀崎の雑貨屋「空の花」というところでの呈茶イベントに行くためだ。

この続きはもうひとつのブログ「お祭見物記」へ!

2010年12月5日日曜日

愛知万博メモリアル 愛知駅伝 (第5回愛知県市町村対抗駅伝競走大会)

愛知駅伝の審判に行ってきた。
会場はモリコロパーク。
第1回の頃はまだ公園整備が全くできていなくて、
工事中の立ち入り禁止区域を特別に開放してレースをしたものだ(もちろん未舗装区間が多数あった)。
それから数えて今年で5回目。
大会も紆余曲折を経て段々こなれてきたカンジだ。
主催は東海テレビだから、
いかにもテレビ局の人というカンジの人がうようよ。
何でメディアの人ってあんなにすぐ分かるんだろうか?
独特の雰囲気だ。

私は今年も愛知陸上競技協会から派遣の走路員。
担当区間も同じ場所だ。
会場に9時半集合。
そこで審判の打ち合わせがあり、
なんと弁当(お昼用)が配布される。
自分のエリアに配置される補助員は11時半に来るからそれまでに食べろということだ。
仕方ないからすぐ食べる。

この大会はいろんなスポンサーがついているが、
その中の大スポンサーである某大手メーカーからの要望により、
今年から走路補助員のすべき担当業務案内が配られた。
何やら、この会社の社員は愛知駅伝の補助員としての働きぶりが人事考課に影響するらしく、
働きが悪い人は評価が下がるらしい。
で、昨年度の大会で「走路員のすべき仕事内容が釈然としない」というクレームがあったために
今年は案内を作ったそうだ。
しかし、補助員をすることが人事考課に影響するなんて・・・。
本来の業務じゃないのに・・・
これって法的に問題ないのだろうか?と考えてしまう。

私の担当エリアはスケートリンクの南西側にある池の北の道路だ。
4区(小学生女子)・6区(小学生男子)・9区(アンカー:一般男子)が通る。
例年は歩道と走路の間に柵が無かったために応援の人たちが前に出てきて困ったが、
今年は予め柵が設置されていたので助かった。

今日は空いている時間にまきまきさんというアスリートに会って挨拶するつもりだったが
時間が合わず断念。
スタート時間までひまなので、担当エリアで少したそがれる。
私がいたところはちょうどいいカンジの林が広がっているところで、
初冬の日差しが木漏れ日となって私に降り注ぐ。
何となく癒される気分だ。
このままボーっと池や遠くの景色を眺めていたい気分に駆られたがそういうわけにもいかない。

レース中に反則行為があった。
某自治体のチーム(名前は伏せるが、白いユニフォームで上位を走っていたチーム)の
コーチ役の大人(サングラスの男)が選手に併走していたのだ。
それも、途中から走路に入って、
6区の小学生男子の選手に声を掛けながら。
陸上競技規則で、選手に対する助力は禁止されている。
今回の場合は声を掛けながら伴走することと、
選手ではない者が走路に入って走っていたことがルール違反。
ルールを教えるべき大人が平然と違反していたことに驚いた。
反則してまで勝ちたいの?
その大人のせいで、
一生懸命走ったその区間の小学生男子の頑張りは正当に評価されない。
大人がルールを破って援助してしまったのだから。
この駅伝大会で感じる嫌な部分の一つだ(とにかく勝てばいい、と考える風潮が
いつも上位にいるチームに蔓延している気がする)。
この問題は走路委員会へ報告したから
来年度は厳しく注意されることだろう。
まあ、この大会は陸連の正規の大会じゃないから
お祭気分で楽しめばいいと言えばいいのだけど、
監督者はもっと真面目に取り組んで欲しい。

2010年11月30日火曜日

お伊勢さん健康マラソンに初出場

今日、初めてお伊勢さん健康マラソンに出場した。
名前から分かるとおり、
伊勢神宮のある三重県伊勢市で開催されるマラソン大会だ。

http://www.city.ise.mie.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1212994398859&SiteID=0

三重県は県庁所在地が津市なのに、
三重県営陸上競技場は何故か伊勢市にある。
この競技場がスタート・ゴール。
種目はハーフ・10km・5km・ファミリーウォークがある。
ハーフはなんと1時間30分から10分刻みでペースメーカーが数人走る。
ゲストランナーはウルトラマラソン日本代表の岩本能史氏。
スペシャルゲストはアテネオリンピックの女子マラソン金メダリストの野口みずき氏(野口氏は伊勢市出身だから)。


写真は挨拶中の野口選手。かなり小柄だった。
私は5kmに出場。
今回は人生で初めて、怪我による途中棄権を覚悟して出場した。
11月18日の練習で左足のふくらはぎを痛めてしまったからだ。
そもそも、11月7日の半田市民マラソン以後に全く走らなかったので、
ちょっと焦って18日に練習を再開したところの怪我だった。
だから、その後は走るのを完全に止めて怪我の回復に努めた。
練習無しでどこまで走れるか・・・
というより、
痛みが再発しないようにどこまで走れるか、という点がかなり問題だった。
念のため、
左足は伸びるタイプのテーピングで万全を期した。

さて、当日。
この大会は出店ブースの数がスゴイ。
有名な大会社のブースが連なっている。
このブースは協賛企業なので
無料でいろんなものがもらえるサンプリングというのをやっている。
もちろん無制限にもらえるわけでは無いが、
かなりいろんなものが無料でもらえる(大会出場者にはサンプリング品との交換チケットが事前に配られる)。
ランニング用品や伊勢の名産品・お弁当の類の販売もある。
応援にきた人にも当日無料チケットが配られるので、
事実上誰でももらい放題!
きっとメインスポンサーのぎゅーとら(伊勢市が本社のスーパー)がこれらの協賛企業を連れてきたんだろう。
それにしてもスゴイ。

5kmの部は10時半スタートなので、
レースより先にサンプリングの品を多数ゲットした。
大きめのカバンを持参してよかった。

レース・・・アップはもちろん無し。
アップで痛みが再発するといけないからだ。
ただ、ウォーキングを中心に身体を動かして暖め、
柔軟運動を多めにした。

スタート順は申告タイム順なのだが、
何故か私は3列目というかなり前になっていた。
申告タイムは19分30秒(これは目標タイム)。
これで3列目とは随分レベルが低い。
よく見たら4列名以降は「~25分」という札。
きっと腕に覚えがある人たちはハーフや10kmの部に出場しているのだろう。
こんなに前からスタートするのは現役時代以来だ。

スターターは野口みずき氏。
挨拶と激励の言葉があって、スタート。
結構足が軽い。痛みも無い。
最初の1kmはなんと3分34秒。
自分の力だとちょっと早すぎる(最近こんなスピードで走ったことがない)。
次の1kmは少しペースを抑える。

1~2kmは4分8秒。
マアマアだ。
この区間は内宮前のおはらい町を通り抜けるので
ギャラリーが非常に多くて
大きな大会に出ているという錯覚に陥る。
いいカンジで走れていたのだが、ココでふくらはぎに痛みが出始める。
仕方ないので痛みがひどくならないようペースを落とす。
続々と抜かれ始める。
ゆっくり走っていても痛みが酷くなり始め、
ペースを維持できない。

2~3kmは4分27秒。
完全にフォームが崩れて左足を引きずる走りとなるが、
痛みがちょっと引いてきた。
そこでできるだけスピードを上げてみる。
ストライドを伸ばしたほうが痛くないカンジ。

3~4kmは4分16秒。
2~3kmの辺りではどこで棄権しようか考えていたほど痛かったが何とか完走できそうだ。
ラスト1kmで更にペースを上げてみる。
意外といけるかもしれないと思ったところ、ラスト400mくらいでまた強い痛みが・・・。
が、何とかペースを維持してゴール。

4~5kmは4分7秒。
トータルで20分32秒。
この前半田で走ったときは痛みがなくて20分22秒だったから
よくこの状態でこのタイムが出たものだ。
走り終えても意外と体が疲れていなかった。
足が痛くて全力で走れなかったからだ。
この大会のコースは上り下りがほとんどなくて走りやすいから
コースのよさでこのタイムが出たのかも。
レース後、
痛い足を引きすりながら再びブースを回って
サンプリングの品を多数ゲットしたのは言うまでもない。

この大会はとてもいい。
かなり気に入った。
コースが平坦で走りやすいし、
8000人の出場者があるといっても競技部門はそんなに混んでいるわけではないし、
協賛企業からいろんな品が貰えるし。
来年は12月の2週目に開催するらしいから
ゼヒ出場したい。

しかし足が痛い・・・普通に歩けない。
来月の東海シティマラソンは欠場かなぁ。

2010年11月23日火曜日

最後の名古屋ハーフマラソン

今年が最後になる名古屋ハーフマラソン大会。
それは、来年度からは3月に開催される名古屋国際女子マラソンと同時開催へと衣替えするからだ。
ということで、
出場選手はいろんな思いを胸に秘めてこの大会に臨んでいることだろう。

私はこの大会には審判でしか参加したことないから、
これはという思い出らしきものはあまりない。
自分のところへ配置された補助員の働きがいいか悪いかの思い出ばかり(大抵は高校生の補助員が問題)。
もちろんいい思い出もある。
いろんな楽しい話を聞かせてくれる沿道の人がいたり、
助けてくれる人がいたり。

そういえば、私のエリアではなかったが心不全で亡くなった方もいた。
よく考えてみるともう10年以上審判をやっているから
思い出が無いということは無かった。

さて、今年の大会・・・風がかなり強くて困った。
こんなに風が強いのは記憶にない。
何せキロ表示の看板がを押さえていても飛ばされそうになるくらいだから。
観客の情報によると、
午前中の名古屋の風速は7~8mだったそうだ。
おそらく最大瞬間風速は10mを超えていただろう。
そんな中でのレース。
選手はペース配分が難しかったことと思う。
今日は北風だったから、
前半のペースの組み立てが大変だったはずだ。
ここでペースを乱すと後半がヘロヘロになるから。

昨年は走っている選手を観ながら「知ってる人はいるかなー」と考える余裕があったが、
今年は全然なかった。
看板が飛ばされないうちに
早く終わってほしいとずっと考えていた。
そんな中で私を見つけて声を掛けてくれた諸氏に感謝したい。
かなり元気をもらった。
ほんとはこちらが元気を渡さないといけないのに。
審判という立場があるから声を掛けられても
本来はあまり何もできないのだけれど、
今日はうれしかったから手を振った。
偉い人に見つかってないかな~

みんなの元気な姿を見ると私もまた走りたくなる。
が、実は左のふくらはぎを痛めているので走れない。
全然練習してないのに痛めるとは・・・歳かな。
今週日曜日は試合なのになぁ。
どうなることやら。

2010年11月16日火曜日

東京出張


東京出張に行ってきた。
今回は出張より
ついでに組んだ予定の方が中心となってしまった感がかなり強いが、
まあそれはご愛嬌。
今の仕事になって出張はほとんどない。
しかも、私用でも東京へ行くのは数年ぶり。
だからかなり意気込んでついでの予定を組んだのだった。

用事があったのは11月15日(月)。
しかし、ただ出張するだけでは面白くないから、
14日(日)を東京で過ごすことにして前乗りすることに(前日が休みでよかった)。
ただ、13日(土)は仕事だったから、
帰宅して45分でお風呂~ご飯~準備を済ませて
ギリギリのタイミングで夜行バスに乗り込んだ。
今は半田から東京行きの高速バスが出てるから便利だ。
しかし・・・東京到着時間が早すぎて、時間を潰すのが大変。

しかも、私が言った日はちょうど日本でAPECの会議が開催されている期間だったから、
東京中のコインロッカーが使用禁止になっていて重い荷物を預けることもできず・・・。
やむを得ず銀座まで歩いてインターネットカフェで仮眠したのだった。
初めて行く銀座が夜明け前とは・・・。
しかし、普段は見ることが無い時間帯の銀座の様子はレアかも。

ついでに組んだ予定とは・・・
①画家の友達と会って銀座で銀ブラ。
②愛あんまん氏と会って新宿で夕食を一緒に食べる。
③出張の本来の予定が終了した後に東京国立博物館へ行く(東京芸大へも寄り道)。
④その後、東京大学総合図書館へ行く(複写したい資料があった)。
⑤インド人のクリエイター(広告の仕事をしている友達)と中目黒でお茶。
それぞれについてちゃんと書くとその一つずつでかなりの長さになってしまうから割愛するが、
帰宅してしばらくはそのイメージが抜けず、
夢だったような2日間に感じられた。
今回会った人は普段は会えない人ばかりだから余計に。


そして、初めて銀座へ行って
そのよさに触れてすっかり銀座好きになってしまったことも大きい。
画家の友達は今は充電中で銀座の画廊で働いている。
だから、銀座にいる人じゃないと分からないネタもいろいろ教えてもらった。
2日間でいろんな銀座を観た。
夜明け前の銀座、朝の銀座、昼の銀座(ホコ天)、夕方の銀座、夜の銀座・・・
夜になるとメインの通りには30m間隔くらいで客引きが立つ。
スーツを着ているが一目で分かる人たちだ。
銀座の飲み屋さんの客引きは「お飲みは?」と言う。
へ~!という感じだ。

個人的な意見だが、銀座はやっぱり少し年齢を重ねてからの方が楽しさを感じる街だと思う。若いうちはちょっと敷居が高い。
私も今の年齢になってから始めて銀座に行ってよかったかなあと思う。

ただ、銀座の中央通りにユニクロや吉牛、洋服の青山が出店しているのは納得できない。銀座には似つかわしくない店だからだ。出店は自由だけれど、やっぱり違和感を覚える。

銀座は休日の12時からホコ天となる。すると、何故か道路の真ん中でベンチを出してくつろいでる人とか、犬や猫をつれてきてみんなに見せびらかす妙な人がいて面白い。

我が家では人気の松崎煎餅の本店へも行ってきた。思ったより小さな店だったが、2階のお茶席へも行けて大満足。
後は鳩居堂・伊東屋・教文館・ヤマハ・銀座千疋屋・和光・・・と見るだけ見て回った。

タウン誌・ミニコミ誌、私は必ずその地のものをゲットする。大学時代はミニコミ誌を出版するサークルに入っていたから、こういうものに目が無い。

お店のパンフレットや情報誌の類も必ずゲット。だからモノが多くなって部屋が狭くなる・・・。モノが捨てられないタチだから・・・片付けねば。

出張の用事が終わってから、少し時間があったから東京国立博物館へ。出張先が上野だったからちょうどよかった。

偶然東大寺大仏展をやっていた。今年の8月に研修で奈良へ行き、東大寺でこの八角燈篭を見たばかりだったから、この偶然にビックリ。
博物館の展示案内で、より詳しい状況が分かり勉強になった。扉のうち後補の部分があることとか。一見して分からない技術の高さが素晴らしい。
あと、東大寺では下から見上げることしかできないが、ここでは上からも見ることができるよう館内がレイアウトされていて、普段とは違った角度から見ることができるのもよい。
他の展示物(仏像)もその裏側へ回ってみることができるなど、展示にかなり工夫がなされているのがとてもよかった。

東博には本館の裏にこんな庭園があった。今まで何度か東博に来ているが、ここの存在は知らなかった・・・。何やら春と秋しか公開されないとのことだったので、行ってみることに。

茶室などいいカンジの建造物も多数移築されていた。


庭をこれだけの状態に保つのは大変だから、公開期間を制限しているのだろう。

土日祝は混雑していると思うが、私は平日に行けたから空いててよかった。しかも、本来は休みのはずの月曜日がこの日は特別に公開していたからラッキーだった。

上野には博物館・美術館も多数あるが、あの東京芸大もある。出張先にも近いからちらっと寄ってきた。

その後、本郷まで歩いて東大の総合図書館へ。コピーしたい資料があったからだ。東大の図書館は築90年くらい。建物時代が重厚な作りで博物館のようだ。学生も多数勉強していて、これだけの人数がいながら静謐な空間が維持されていることに驚く。
高速バスで行くと、半田から片道4000円(早割り)。
到着時間が早すぎてちょっと疲れるが、
この安さは無視できない。
バスで往復しても新幹線の片道代金にもならない。
私のような貧乏人にありがたい乗り物だ。
また機会があったら東京へゆっくりと行きたいものだ。

2010年11月7日日曜日

あいちトリエンナーレが閉幕

もう1週間前のことだが書いてしまおう。

821日に開幕した国際芸術祭の「あいちトリエンナーレ」が1031日で閉幕した。
この芸術祭は今回が第1回目で、
トリエンナーレ=3年に1度開催される芸術祭として多分3年後に第2回目が開催される(されて欲しい!)
あいちトリエンナーレ公式HP 

チケットはかなり早めに購入していたが、いろいろ忙しくて観にいくのが遅くなり、
ようやく10月になってから見に行き始めた。
特に今年は猛暑で、9月中旬くらいまでは暑さであまりで歩きたくなかったということもあった。
現代芸術ということで、どれくらい好きな作品が見つけられるだろうかと思っていたが、かなりいい感じの作品が多く、もっと早めに来ていればゆったりと観ることができたのに、
と思うほどだった。
特に私の心を鷲掴みにしたのは「インスタレーション」という表現手法。
これは、その空間全体を作品と捉える展示方法。
その場所で、五感を働かせて作品を感じ取るというようなカンジで鑑賞する(と私は理解している)。
これだけ短期間に多くのインスタレーションの作品を鑑賞したことはなく、
それも私の好みに合うものが結構あったので、すっかりインスタレーション好みになってしまった。
あとは映像プログラムも結構面白かった。
 私は芸術の専門家ではなく、ズブの素人だが、この芸術祭は結構成功したのではないかと思う。
現代芸術はかなり好みが分かれるものが多い。
これって芸術なの?と感じるものも結構ある。
でも、それが面白いと感じる。
このイベントを通して現代芸術をかなり身近に感じることができた人は多いはずだ。
 主催者の愛知県は税収不足。3年後に同様のイベントが開催できるか・・・
今のところ正式な発表は無いが、HPでアンケートは募集している(ネット上で無記名で回答できる)。
皆さんゼヒ前向きな意見で回答して欲しい。
 つくづく、もっと早めに観にいけばよかった。
後はパフォーミングアーツのチケットの売れ行きがかなりよくて、
行きたいなあと思うものはすぐ売り切れていたのが残念。
 それに「芸術祭」という割にはアートと舞台が中心で、音楽は少なかったように思う。
3年後は音楽プログラムも増やして欲しい。
あとは愛知県で活躍しているアーティストの発掘も。
 写真はいろいろ撮ったもののうちの一部。
多くの作品が撮影可になっていたので、携帯カメラだが撮りまくってしまった。
 会場は主に栄・長者町・伏見・納屋橋に分かれていて、それぞれ見ごたえがあった。
特に、長者町はあまり歩いたことが無かったから、
いろんな発見があり、またいつかゆっくりチェックしてみたい店もあった。
 しかし、トリエンナーレの会場として借りている建物は基本的に全部空室だったんだよなーと思うと、かなり寂れているのを実感。
崩れそうな建物もあったし。
 このイベントが多少は街の再生のきっかけになったかな?
大ナゴヤ大学でも長者町を研究している人たちがいるし、
徐々に活気が戻るといい。
長者町ではATカフェなどで独自イベントを多数行っていた。
それに、長者町だけのグッズも多数あったし(私が行ったときはほぼ売り切れ状態)。
これらについてはトリエンナーレの公式HPには掲載されず、
また、トリエンナーレ見物必携のBT(美術手帖)別冊(トリエンナーレ特集号)にも詳しく載っていない)。
だからこんなことが行われているとは知らなかった。
この点でも、もっと早く気付けば違った楽しみ方もできたのになあと思う。
草間プリウスは1回乗った。中身は普通のプリウスだった。短い距離の往復運転をしているから、充電レベルがかなり低いようだった(私は助手席に乗ったので、計器類がよく見えた)。
でも、ベロタクシーは乗れなかった。残念。
旧玉屋ビル。ここの作品は全部気に入った。撮影できないものが多かったので、ごく一部だけを(映像作品もあったし)。






硬い山車。これは10月中旬に長者町一帯で開催される商業イベントの「ゑびす祭」で曳きまわされるもの。
お囃子は笛と太鼓、ではないので普通の祭のイメージとは全く違うものだった。








地下鉄伏見駅の地下街にあった「長者町デキタテ工房」。
ここには3人の若手アーティストがいて、作品製作の様子を見せている。
「どうぞ話しかけてください」と書いてあったので、話しかけてみた。
水性ボールペンでドローイングしている方に「ロットリングを使わないのか?」と聞いてみたところ、
既に4~5人から同じことを聞かれたとのこと(使ったことが無いそうだ)。
私は大学時代にミニコミ誌を出版するサークルに所属していたのでロットリングは結構身近な筆記用具だった。
芸術家の間ではマイナーなのかな?
あともう一人、韓国出身の芸術家とも話しをした(その人の作品が世界のいろんな宗教の経典の言葉をつかったデザインだったので、結構奥深い社会的な話をした)。


これらの作品のうち、インスタレーションの作品はもう観ることができない(全く同じものは事実上再現不能だから)。
何だか万博が終わったときと似た寂しい気持ちになった。
3年後に期待だ!