2011年8月7日日曜日

見晴台遺跡 第51次発掘調査 市民見学会(現地説明会)


今年もまた、見晴台遺跡の発掘へ行ってきた。
「この暑い時に・・・」と家族から呆れられながら、だ。
今年は第51次発掘調査。
途中で行けなかった年もあるが、確か第34次発掘調査から参加しているように思うから、
もう15年以上参加していることになる。
年数だけで言えばベテランだ(ただ、参加日数はそれほど多くない)。

私は例年、市民見学会(現場説明会)の日には参加できるよう申込している。
それは、この日に行けば今年の発掘調査の概要が分かるからだ。
普通に参加しているだけだと自分が参加した日の様子しか分からない。
でも、説明会で解説を聞くことによって今年の成果や課題などがよくわかる。

ただ・・・例年この日の大人の発掘参加者はやや少ない傾向にある(特にボランティア)。
それは、見学する市民の前で説明をするのを避けたい人が多いからだ。
最近は発掘現場担当の学芸員ではなく発掘参加の一般市民が説明役を担当する方向になっていおり、
どうしても人前で話をしたくないという人はこの日の参加を回避している傾向にあると思われるからだ。
私は人前で話をするのがあまり苦にならないので依頼されれば引き受けている。
今年も説明会当日の朝のミーティングで突然依頼されたため引き受けた(他にやりたいと言う人がいれば譲るが当日依頼じゃあねぇ・・・)。

私が今年掘ったところは調査区北側の環濠だ。
見晴台遺跡は弥生時代の環濠集落で、
3年前から集落北側の環濠の様子を探るというテーマで調査をしている。
現状では北側には2本の環濠があったことが分かっており、
トレンチを入れた調査によってある程度の環濠の幅や深さ、
それに環濠内の土の重なり方も見えてきた。
環濠に積み重なっている土には捨てられた貝などが重なっている層もあった。
 私が掘った日は環濠底部で頭が見えていた壺の頭部分を取り上げるタイミングと重なり、
他の参加者から羨望のまなざしで見られた。
現在の私の興味の方向性は遺物より遺構に向いており、
遺物より遺構の様子に一喜一憂する感じだ。
だから、他の人に取り上げてもらってもよかったのだけれど、
たまたま私が掘ったときに取り上げるタイミングとなった。

今回取り上げた壺は結構破片も残っていて、
ちゃんと形になるようにつなげられそう。
こういうが出土するのは珍しいことだからみんな注目していた。
この土器は弥生後期~古墳時代前期頃のもので、この地域ではあまり見かけない形の土器だ。
 裏面を見ると良くわかるが、
これはろくろを使って形を作ったわけではない。
粘土を綱状にしたものを丸く積み上げていって、
それを土器の形に指で伸ばして形成していったものだ。
裏側にその痕跡が見えるのだ。
 私は外側の環濠を掘ったのでそのエリアの説明を行った。
昨年度までの調査で環濠の北側と南側の斜面の形状がほぼ特定できていたので
今年度の調査中に環濠の底までたどり着く予定だった。
しかし、想定された位置には環濠の底は無く、予想とは違った土の層がでてきた。
そしてそこからは弥生土器の破片も多数出てきた。
ということは、濠の底はもう少し先か・・・あるいは濠の南側の斜面の位置がここではなくて
もう1枚はがした奥にあるのかもしれない。
いずれにしても、環濠の全体像はまだはっきりとわかったわけではない。
でも、おおよその状態は分かっているから
来年度以降の調査によってはっきりするだろうというような説明をした。
今年は説明会がお盆休みにかからなかった影響もあるのか、
例年より見学者が少なかった(50人くらい?)。
この人数だと少しさみしい感じだ。

この環濠部分を始め、内側の環濠についても良くわからない部分が多い。
戦時中に高射砲陣地が築かれていたために壊された部分や、
戦後に住宅が建てられて壊された部分が結構あるために余計に分からなくなっている面もある。
そもそも、弥生時代の遺跡だから、
2000年くらい前のことがそんなに簡単にわかるわけがない。
それを考えるのがまた楽しみな部分だ。