名古屋能楽堂恒例のイベントであるワークショップ「囃子」が開催されます。
私もこのワークショップに参加して竹市学先生と出会い、
ワークショップ後に入門して現在に至ります。
この講座は能楽で使われる楽器(笛・小鼓・大鼓・太鼓)を一通り触って音を出してみて、
その中から2つ選んで発表会に備えて練習するというスケジュールになります。
最後の日は発表会で、能舞台で合奏します(グループに分かれて発表)。
能の楽器を触ったことが無い方を対象にした内容です。
日程 : 5月31日(火)、6月2日(木)、6月7日(火)、6月9日(木)、6月14日(火) ※5回通しで受講しないとついていけませんので、休まないことが前提です。
時間 : 18時30分~20時15分
受講料 : 3,000円(5回通し)
対象 : 高校生以上
定員 : 30名(応募者多数の場合は抽選)
応募方法 : はがきに住所・氏名・電話番号を記入の上、名古屋能楽堂へ申し込み(FAX可)
応募締切 : 平成23年5月7日(土) ※当日消印有効
申込み先 : 〒460-0001 名古屋市中区三の丸1-1-1
名古屋能楽堂 能楽ワークショップ<囃子>係
TEL052-231-0088
FAX052-231-8756
主催 : 公益財団法人名古屋市文化振興事業団<名古屋能楽堂>
講師 : 笛 竹市学(藤田流笛方)、小鼓 後藤嘉津幸(幸清流小鼓方)、大鼓 河村眞之介(石井流大鼓方)、太鼓 加藤洋輝(観世流太鼓方)
2011年4月30日土曜日
2011年4月25日月曜日
放送大学の面接授業を受けてきた
初めての受講だったが、予想以上にかなり面白かった。
放送大学の醍醐味かもしれないと思えるほどだった。
私は昨年10月から1年間、
学芸員資格取得のために放送大学へ入り(選科履修生)、
昨年度のうちに必要科目の単位が全部取れたので、今年は好きな科目だけを履修している。
放送大学は通信制の大学。
だから、卒業するための必須単位を取得すれば普通の大学と同じ「大学卒」(学士)となる。
ただ、通信制大学とは言っても実際に授業に出なければならない単位数が決まっており、
全て通信科目だけで単位を揃えて卒業することはできない。
実際に授業を受ける科目を面接授業と言うが、
そのうちの一つを受講してきたというわけだ。
放送大学は大学入学資格(高校卒業など)があれば入試無しで誰でも入学できるから、
在学生の年齢幅は結構広い。
今回受講した授業は平均年齢は多分私の年齢くらい。
女性が7~8割くらいだったか。
今回受講した科目は「心理療法的面接」。
講義は朝9時45分から16時35分まで、
途中休憩をはさみながら目一杯のボリューム。
それが2日間。
午前中が ~2限、午後が3~4限で、
毎時間出席チェックされる。
午後は眠い時間帯で結構辛い。
しかし、面接授業は面白い。
通信科目だと自分でテキストを読んで学習し、
事前指導の問題を自力で解いて送らねばならないが、
授業を受けるとテキストを読まなくても耳から聞いて分かるというのがよい。
講師にもよるかも知れないが、この先生の講義はためになる余談もあって面白い。
先生自身も現役の臨床心理士だから多くの人の考え方を知りたいと思っているらしく、
受講生からの意見をしきりに聞きたがっていた。
内容は、
心理療法の歴史と種類
心理療法の実際の症例紹介
心理療法の最近の動向とその問題点
認知行動療法施行の実際の映像とその解説
心理療法における治療関係の意味
面接実習
受講生の何人かは自分の職場などでうつ病の人がいて、
その対処の仕方を学びたいという目的で来ているようだった。
この授業はあくまで「面接初歩」だが、
心理療法の考え方とか面接において肝に銘じておくこと、
テクニックなどプロの話を聞けたことは大きい。
どんな本を読んでも書いてないこともいろいろ聞けたし。
それに、認知行動療法は元々はうつ病や精神を病んでいる方を治療するためにアメリカで確立した治療手法だが、
そのような病気ではない人にも応用が効く手立てだということも分かった。
普段の生活にも応用できそうなので、いろいろ試してみたい。
2011年4月23日土曜日
One Day Cafe #1 (あいちトリエンナーレサポーターズクラブイベント)へ行ってきた
One Day Cafe #1というイベントに行ってきた。
これはあいちトリエンナーレサポータズクラブが主催するアートのイベントだ。
昨年夏から秋にかけて開催されたあいちトリエンナーレをきっかけに結成された「あいちトリエンナーレサポータズクラブ」。
このクラブはトリエンナーレ終了後も交流会や勉強会、トークイベントなどを続けていて、
今年も同様の活動を続けながらトリエンナーレの活動をサポートしていくという。
その活動の一環でこのイベントも開催された。
会場は名古屋市中区の長者町繊維問屋街にある万勝S館(トリエンナーレ期間中にATカフェがあった場所)。
4月23日(土)13~21時の1日限りのイベント。
内容は、
1階:ワークショップ
2階:愛知県立芸術大学在学生・卒業生の作品展示
3階:映像インスタレーション
4階:アニメーションプログラム
地下1階:イベントスペース(プレゼンテーション・パフォーマンス・ライブなど)
若手主体のイベントだ。
私は17時台に行ったので地下1階では丁度服部さんのパフォーマンスが行われていた。
とても面白かったが、いかんせん会場が狭い。
それに、ホールとして建てられたビルではないので部屋の中央部分に柱が何本もあって、
どの位置から観ても演技がよく見えないのが残念だった。
財政難から次回のあいちトリエンナーレ開催に暗雲が漂っているという噂もあるだけに、
このようなイベントで次回開催へ向けて気運を盛り上げて行って欲しいと思う。
会場ではサポーターズクラブの入会受付を行っていたので入会した(会費は無料)。
「名古屋は芸どころ」という言葉もあるが、
芸術に対して本当にそれだけの関心が向いているのだろうか疑問に思っている。
美術展・コンサート・演劇のいずれも都会の割には動員数が多いというわけではないし、
私が愛好する能楽の世界では高齢化が進む。
御園座などの常設ホールの入場者も芳しくない。
ここで、若い力で愛知の芸術界を盛り上げて行って欲しい。
これはあいちトリエンナーレサポータズクラブが主催するアートのイベントだ。
昨年夏から秋にかけて開催されたあいちトリエンナーレをきっかけに結成された「あいちトリエンナーレサポータズクラブ」。
このクラブはトリエンナーレ終了後も交流会や勉強会、トークイベントなどを続けていて、
今年も同様の活動を続けながらトリエンナーレの活動をサポートしていくという。
その活動の一環でこのイベントも開催された。
会場は名古屋市中区の長者町繊維問屋街にある万勝S館(トリエンナーレ期間中にATカフェがあった場所)。
4月23日(土)13~21時の1日限りのイベント。
内容は、
1階:ワークショップ
2階:愛知県立芸術大学在学生・卒業生の作品展示
3階:映像インスタレーション
4階:アニメーションプログラム
地下1階:イベントスペース(プレゼンテーション・パフォーマンス・ライブなど)
若手主体のイベントだ。
私は17時台に行ったので地下1階では丁度服部さんのパフォーマンスが行われていた。
とても面白かったが、いかんせん会場が狭い。
それに、ホールとして建てられたビルではないので部屋の中央部分に柱が何本もあって、
どの位置から観ても演技がよく見えないのが残念だった。
財政難から次回のあいちトリエンナーレ開催に暗雲が漂っているという噂もあるだけに、
このようなイベントで次回開催へ向けて気運を盛り上げて行って欲しいと思う。
会場ではサポーターズクラブの入会受付を行っていたので入会した(会費は無料)。
「名古屋は芸どころ」という言葉もあるが、
芸術に対して本当にそれだけの関心が向いているのだろうか疑問に思っている。
美術展・コンサート・演劇のいずれも都会の割には動員数が多いというわけではないし、
私が愛好する能楽の世界では高齢化が進む。
御園座などの常設ホールの入場者も芳しくない。
ここで、若い力で愛知の芸術界を盛り上げて行って欲しい。
2011年4月16日土曜日
カンディンスキーと青騎士展へ行ってきた
カンディンスキーと青騎士展へ行ってきた。
今回展示されている作品はドイツのミュンヘンにある「レンバッハハウス美術館」の収蔵作品で、
聞くところによると「レンバッハハウス美術館」が改装中のため巡回展が行われているらしい。
レンバッハは19世紀のドイツで活動した画家で、
聞くところによると「レンバッハハウス美術館」が改装中のため巡回展が行われているらしい。
レンバッハは19世紀のドイツで活動した画家で、
彼の描いた自画像やビスマルク像なども展示されていた。
レンバッハの死後、彼の屋敷はミュンヘン市の所有となり、
彼の作品やカンディンスキーの同志でありパートナーだった(カンディンスキーはこの人と結婚したかったのだが彼にはすでに妻がおり、
宗教上の理由で無理だった)ガブリエーレ・ミュンター所有の「青騎士」のメンバーの作品などが寄贈された。
第1次世界大戦以前のカンディンスキーやフランツ・マルク、アウグスト・マッケ、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー、ガブリエーレ・ミュンターなどの作品だ。
庶民から貴族にまで上り詰めたレンバッハは古典的な肖像画家で
当時のミュンヘン美術協会の中心人物だった。
カンディンスキーたちはこの旧態依然とした価値観をよしとせず、
新しい芸術団体を立ち上げた。
ファーランクス、ミュンヘン新芸術家協会、
そして青騎士。
1911年から第一次世界大戦までが青騎士の活動期間だった。
この会の活動について私はあまり知らなかったが、
かなり挑戦的な凄みをもった活動をしていたように感じた。
若いメンバーばかりだったからかも知れない。
この青騎士に関係する作品は、確かこの前松坂屋美術館でも見かけたような・・・。
いや、あれはウィーン分離派(グスタフ・クリムトほか)だった。
今回も収穫は多かった。
カンディンスキーの筆の置き方(色の置き方)の特徴がよくわかったし、
色がついた画用紙を用いて、背景にその色を残す技法やナイフを使う技法など、
その作品を生で見ないとその表現技法はわからない。
残念だったのは、会場が意外と空いていたこと。
先週のゴッホ展から比べると余裕の空き方だった。
ゴッホよりはマイナーな画家だけど・・・。
ちなみに、私はレンバッハの絵の方が好み(写実的な人物画が好きなので)。
ドイツ(ミュンター)とソビエト(カンディンスキー)は敵国になったために、
第一次大戦をきっかけに離別。
青騎士のメンバーも戦死したためにこの会は自然消滅となったが、
ミュンターは第二次大戦後まで生きた。
その長い期間をどのように生きてきたのかを知りたいと思った。
2011年4月14日木曜日
地域政党・減税日本の新人名古屋市議の体たらく
私は特定の党派・政治家に肩入れしないようにしている。
そうすると、彼らの主義主張に縛られて自由な思考・議論が制限されるからだ。
できるだけ公正・中庸でありたいし、諸問題について是々非々で対したいという考えから
ずっとそれを貫いてきた。
これを前提として今日の日記を書くことにする。
名古屋市長の河村たかし氏が率いる減税日本の議員として当選した名古屋市議の一部が、
賞与の額が少ないと不満を言い立てたために収集がつかなくなり党幹事長が辞任した。
そうすると、彼らの主義主張に縛られて自由な思考・議論が制限されるからだ。
できるだけ公正・中庸でありたいし、諸問題について是々非々で対したいという考えから
ずっとそれを貫いてきた。
これを前提として今日の日記を書くことにする。
名古屋市長の河村たかし氏が率いる減税日本の議員として当選した名古屋市議の一部が、
賞与の額が少ないと不満を言い立てたために収集がつかなくなり党幹事長が辞任した。
額が少ないから増額できるよう条例を改正しろと主張したという。
これは有権者を裏切る行為で、全く情けない話だ。
河村たかし氏の目的は、減税することだけにとどまらず、
議員の歳費を削減してサラリーマン議員化しないようにすることにもある(議員職はボランティアのようでなければならないという考え方)。
そもそも、名古屋市は多額の負債があるから、
減税するためにはあらゆる分野で支出を減らさねばならない。
市役所の職員賞与は減額されたから、
議員報酬も減額されてしかるべきだろう(多くの議員の抵抗によりまだ減額されないが)。
それを、こともあろうに当選して2カ月ほどの新人議員のクセに賞与が少ないと不平を言うとは全く話にならない。
某議員は、減額されることは最初から合意が取れていなかったと主張しているが、
この党に所属する以上議員報酬が少ないと不平を言える立場にない(名古屋市の財政状況を見ても、言える立場にない)。
どんな民間企業でも新人は賞与を満額貰えない。
それは、賞与はその人の働きぶりによって評価された額が支払われるもので、
在職期間が短い新人は評価のしようが無いから賞与が減額されるのはごくごく当たり前。
しかも、働きぶりがよくても業績が悪ければ賞与は出ない。
そういえば、役所は業績が良い悪いなんてないから、
いつもほぼ一定の賞与が出ること自体がおかしなことだ(税収が少ない年は賞与が減額されてしかるべき)。
この議員たちは自分たちがどんな仕事をしてどんなことが評価されると思っているのだろうか。
働きぶりが良くても悪くても一定額が貰えるものだと勘違いしてやしないか。
民間の常識も理解していない議員どもは次回は落選だろう。
やつらは、実は減税や議員報酬削減なんてどうでもよくて、
議員になりたくて手段を選ばなかったのだと思う。
河村氏の勢いを利用して、議員になってしまえばこっちのものと考えたのだろう。
河村氏の側も、味方の議員数さえ増やせばいいという安易な考え方から議員にふさわしくない人たちを候補者としてしまったのは否めないところだ(そういう奴に投票してしまった有権者も問題だ)。
もっとも、減税を論じるところは良いが、まず最初に支出削減と負債削減することが先だ。
有権者の耳当たりが良いことばかり論じて、
肝心なところをぼかしているのは好ましい姿勢とは言えない。
いずれにしても、私は名古屋市民ではないから直接関係はないが、
あまりにお粗末なことが新聞に掲載されたので書いてみた。
ちなみに、某民放のニュースでは下記のような報道がなされた。
2011年4月7日木曜日
没後120年ゴッホ展へ行ってきた
名古屋市美術館で開催されている「没後120年ゴッホ展」へ行ってきた。この展覧会で、ゴッホに対する認識が改まり、行ってとてもよかったと思っている。以下は名古屋市美術館のホームページからの引用。
「どんな芸術家の場合も、独自の作風を確立するまでには様々な試行錯誤の過程があります。どれほど際立った個性であろうとも、その背後には積み重なる歴史と経験があります。だれもが一目でゴッホと見抜く、燃え上がる情念の結晶のようなあの独特の画風が確立したのは、彼が亡くなるわずか2年ほど前に過ぎません。画家になることを決意してからオーヴェールの地で自ら命を絶つまで10年の時しか持たなかったゴッホ(1853-1890)は、驚くほどの集中力と貪欲さであらゆるものを吸収しようとしました。その経験のすべてが血肉となり、あの独特の作風の中に昇華しています。
没後120年を記念して開催される今回のゴッホ展は、美術史上に燦然と輝く名作の数々をご紹介するだけでなく、ゴッホはいかにしてゴッホとなったのかとの視点から、その創造の秘密に迫ります。ゴッホの傑作約70点に加えて、ミレー、モネ、ロートレック、ゴーギャンなど、彼に大きな影響を与えた作家たちの作品約30点。さらに、ゴッホが収集した浮世絵や版画などの資料類約20点を加えて、総数約120点の出品作によってその芸術の全貌を紹介します。あなたの知らないゴッホと出会うこの展覧会。どうぞお楽しみに。」 (以上、引用終わり)
ゴッホが画家として活動開始したのは27歳(1880年)。
その頃の絵ははっきり言ってあまり上手ではない。
それから自殺するまでのおよそ10年間が画家・ゴッホの活動期間だが、
わずか10年で素晴らしい成長を遂げていく。
特に晩年の2~3年のに素晴らしい作品が多い。
私は基本的に写実的な絵が好みだからゴッホの絵はそれほど好きというわけではなかった。
しかし、今回の展覧会においてまとまった数の実物を観て、その考えを少し改めた。
反対色を用いてうねるように描く絵は癖があるため万人受けするものではないかもしれないが、
実物を観たら魅力的だった。
やはり、絵具の盛り上がりや筆の運びの跡などが分かると迫力も全然違う。
久々に予想より大幅によかった展覧会だった。
難点は・・・とても混雑していたということ。
チケットを買うだけでも30分以上。
会場内はそれなりに流れていたが、ちょっと混みぎみ。
作品解説のヘッドフォンを借りる人は解説がある絵の前で長く滞在する。
解説がある絵が部屋の隅にあると、
そこに人だかりができてしまって周辺の絵が全く観えないということになる。
今回もそういう位置に展示してある作品があった。
テーマとか時代の流れなどその位置に展示したいという見せる側の趣旨もよくわかるが、
だから作品の展示場所はよく考えてもらえたらありがたいと思う。
2011年4月5日火曜日
転勤の季節
春は新人の入社、転勤・退職の時期。
今年は東北の大震災の影響で歓送迎会を自粛する雰囲気が広がっているため、
開催を中止した会社もあるだろう。
特に定年退職する人の送別会が無くなってしまったのならそれは寂しいことだったろうと思う。
さて、私が以前勤務していた会社はかなり古い会社だったから、
昔から続く変な行事がかなり残っていた。
その一つに転勤する人の見送りがある。
転勤する人は自家用車で異動することを禁じられていた。
それは事故があると困るからだ。
自家用車は会社の費用で車載トラックに載せることとなっているので、転勤する人は新幹線か飛行機か・・・公共交通機関を利用するということになる。
転勤する人は何月何日何時何分の列車で行くかを予め報告しなければならないことになっており、それが社内に掲示される。
それを見て、都合がつく社員は全員駅のホームまで見送りにいく。
協力会社の社長なども駆け付ける。
転勤者はそこで挨拶し、見送りする側はそこで万歳三唱。
さらに転勤者を胴上げまでするという念の入れよう。
これは見送られる側としてはかなり恥ずかしい行為なのだが、ずっと続いている恒例行事だ。栄転ではない人でも、一応栄転ということで胴上げされる。
新幹線ホームでも空港でもお構いなし。
転勤するときは大抵家族も一緒に行くから、その一部始終を見る羽目に。
そういえば、電車の発車時刻ギリギリまで隠れていて胴上げを逃れようとした人もいたな。
ちなみに、私は本社から名古屋へ赴任するときに東京駅でやられた。
このときは新人だったから胴上げはなかったけれど、同期の野郎どもが
私が乗る新幹線を追っかけてホームをダッシュしたのが懐かしい思い出だ(まだあの頃は若かった)。
今年は東北の大震災の影響で歓送迎会を自粛する雰囲気が広がっているため、
開催を中止した会社もあるだろう。
特に定年退職する人の送別会が無くなってしまったのならそれは寂しいことだったろうと思う。
さて、私が以前勤務していた会社はかなり古い会社だったから、
昔から続く変な行事がかなり残っていた。
その一つに転勤する人の見送りがある。
転勤する人は自家用車で異動することを禁じられていた。
それは事故があると困るからだ。
自家用車は会社の費用で車載トラックに載せることとなっているので、転勤する人は新幹線か飛行機か・・・公共交通機関を利用するということになる。
転勤する人は何月何日何時何分の列車で行くかを予め報告しなければならないことになっており、それが社内に掲示される。
それを見て、都合がつく社員は全員駅のホームまで見送りにいく。
協力会社の社長なども駆け付ける。
転勤者はそこで挨拶し、見送りする側はそこで万歳三唱。
さらに転勤者を胴上げまでするという念の入れよう。
これは見送られる側としてはかなり恥ずかしい行為なのだが、ずっと続いている恒例行事だ。栄転ではない人でも、一応栄転ということで胴上げされる。
新幹線ホームでも空港でもお構いなし。
転勤するときは大抵家族も一緒に行くから、その一部始終を見る羽目に。
そういえば、電車の発車時刻ギリギリまで隠れていて胴上げを逃れようとした人もいたな。
ちなみに、私は本社から名古屋へ赴任するときに東京駅でやられた。
このときは新人だったから胴上げはなかったけれど、同期の野郎どもが
私が乗る新幹線を追っかけてホームをダッシュしたのが懐かしい思い出だ(まだあの頃は若かった)。
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