私が所持している免許・資格のうち「消防設備士」は文系では中々取得が難しい国家資格(免状)だ。
取得が難しい理由は、文系の学歴の人には受験資格が無い上に、テストの問題も物理が苦手な人には難解だからだ。
消防設備士とは、Wikipediaによると
消防設備士(しょうぼうせつびし、英: Fire Defense Equipment Officer)は、
消火器やスプリンクラー設備などの消火設備、自動火災報知設備などの警報設備、救助袋などの避難設備の設置工事、点検整備を行うことができる日本の国家資格である。
消防法を設置根拠とする。資格取得のための試験は総務大臣指定試験機関の一般財団法人消防試験研究センター(中央試験センター及び46道府県支部)が都道府県知事の委託を受け実施する。
消防設備士の資格保有を証明するために都道府県知事から交付される公文書を消防設備士免状という。実際の消防設備士免状の交付事務も都道府県知事が消防試験研究センターに委託しており、各都道府県の消防設備士免状の作成は同センターの本部でおこなっている。
1965年(昭和40年)5月の消防法の一部改正により、消防用設備の工事又は整備は消防設備士でなければ行えないよう規定され、1966年(昭和41年)10月から資格制度が発足した。
とある。
免状には甲種・乙種があり、甲種は工事と整備・点検ができる。乙種は整備・点検しかできない。
文系の私が受験できた理由は実務経験年数が規程に該当したことによるが、
それでも試験を受けて合格しなければならない。
試験は筆記と実技に分かれ、実技では主に設備図面(P型だったと思う)を描くことが課される。
私は甲種4類(自動火災報知設備)を受験したから、消防法の他に基礎の物理や電気の知識を要求される。
結構難しかったが、猛勉強したおかげで一発合格できた。
理系の人(高専や工業高校電気科出身の人含む)にとっては余裕かもしれないが、
文系にとっては中々厄介な問題ばかりだった。
他の類も受験してみようかなあと思ったけれど、
他の類は主に消火設備で圧力など力学系の問題が出されるのでやっぱり物理だ。
実務経験が無いし、配管の図面は多分描けないと思うので諦めた。
でも、乙種6類(消火器)くらいは受験しておいてもいいかな。
消防設備士の免状を所持している者は定期的に更新講習を受講しなければならない。
危険物取扱主任者はその資格を使って仕事をしない限り講習を受ける義務は無いが、
消防設備士は免状を持っている人全員が義務講習受講の対象となる。
無視して講習をさぼっていると免状の返納命令が来るということだが、本当に来ているかどうかは定かではない。
私の知っている人で、かなり長期間にわたって講習から逃げていた人がいたから。
ちなみに、講習の内容は結構ボリュームがあって、とりあえずテキスト全ページめくるだけみたいな超スピードで進んでいく。
だが、講習の後に効果測定(筆記試験)があるから寝てられない。
成績が悪い人は免状を返納してもらうことになるかもと脅されるから余計に焦る。
私は効果測定の成績は良くなかったはずだが、とりあえず返納しろとは言われなかったからよかった。
もう内容をかなり忘れてしまっているから今受験しろと言われても絶対合格できない。
実務からも離れているし。
大切な資格だから失効しないよう注意しなければ。
2013年8月4日日曜日
2013年7月28日日曜日
今年の日除けアサガオは成績がイマイチの件
今年の日除けアサガオは成績があまり良くない。
ちゃんといつも通り植えたのに(5月中旬に種蒔き)。
成績があまり良くない理由は種を買う店を変えたからかもしれない。
いつもはビバで買っていたのだが、昨年末に閉店してしまったから今年からカーマにしたのだ。
店が違うから売っている種も違う(メーカーが違う)。
多分その影響だろうと思っている。
成績が良くない、というのは成長がイマイチということだ。
もう7月も下旬なのに茂り方がイマイチなのだ。
今年もアサガオ各種とユウガオを植えたが、いずれもイマイチ。
双葉の頃にナメクジに結構食べられてしまったのも痛かった。
駆除剤は効果があったが、散布がちょっと遅かったのか。
いずれにしても、梅雨明けには間に合わなかった。
ただ、今年は今のところ少し涼しい日があるので助かっている。
でももう少し茂って貰わないとなー。
朝夕の日差し対策の必要があるからなぁ。
ちゃんといつも通り植えたのに(5月中旬に種蒔き)。
成績があまり良くない理由は種を買う店を変えたからかもしれない。
いつもはビバで買っていたのだが、昨年末に閉店してしまったから今年からカーマにしたのだ。
店が違うから売っている種も違う(メーカーが違う)。
多分その影響だろうと思っている。
成績が良くない、というのは成長がイマイチということだ。
もう7月も下旬なのに茂り方がイマイチなのだ。
今年もアサガオ各種とユウガオを植えたが、いずれもイマイチ。
双葉の頃にナメクジに結構食べられてしまったのも痛かった。
駆除剤は効果があったが、散布がちょっと遅かったのか。
いずれにしても、梅雨明けには間に合わなかった。
ただ、今年は今のところ少し涼しい日があるので助かっている。
でももう少し茂って貰わないとなー。
朝夕の日差し対策の必要があるからなぁ。
2013年7月21日日曜日
ジュマ・イカンガーについて思い出したこと
我々の世代なら恐らく誰でも知っているジュマ・イカンガー。
1980年代に活躍したタンザニアのマラソン選手だ。
当時日本の男子マラソン界は世界トップレベルで、
瀬古や宗兄弟が第一線で活躍していた。
そこへ突然現れたスピードランナーがイカンガーだ。
当時、アフリカのマラソン選手は今ほどハイレベルではなく、
マラソンで初めて2時間10分の壁を破ったアフリカ選手は実はイカンガーだった。
瀬古や宗兄弟が1年ほど休養して復活レースと位置付けた1983年の東京国際マラソン。
そのレースにイカンガーも出場していた。
そのときはまだ日本では無名だったが、
スタート先頭に立ち、37km地点過ぎまでずっとトップを譲らなかった。
この大会は瀬古と宗兄弟・ゴメスの対決だと言われていたのに思わぬ伏兵が現れて、
しかも前半からハイペースで進んだレースとなってかなり盛り上がった。
イカンガーの身長は163cmとかなり小柄なのに、
バネのある大きな走りは身長170cmの瀬古より広いストライドだった。
このレースでは最後は瀬古と宗猛の一騎打ちとなり瀬古が優勝したが、
その手前で落伍したもののイカンガーは一躍有名人となった。
その後、瀬古とはライバルとなるレベルの選手へと成長。
最終的なベストタイムでは瀬古より20秒以上速かった。
最後の競り合いでのスパート合戦では負けることが多かったが、
スタートしてからハイペースで集団を引っ張っていく走り方は
ラスト勝負ではなくスタート地点からロングスパートをかけているようだった。
ロサンゼルス・ソウル五輪ではいずれも入賞した(瀬古より上位)。
私は現役時代は瀬古のようなレース運びだった。
ずっと集団の中でベストな位置をキープして走り、
ラストスパートで一気に抜いて勝つ、という走り方だ。
私は瀬古ほど短距離が速くなかったが、
ラスト200mで競り合ったら負けない自信があった(多分ラスト200mのタイムは、200mのベストタイムに近いと思う)。
だから、イカンガーや宗兄弟などはなぜ先頭を切って走るのかがわからなかった。
先頭を走るということは精神的に負担になると考えていたからだ。
しかし、20年のブランクを経てランニング生活に戻ってみて気付いた。
先頭切って走りたい人は、自分の前に人がいることがストレスになるのだと。
私は現役を退いて以降、チームで練習したことはほとんどない。
普段は1人で走るからランニング中に自分の前に誰かが走っているということは無い。
だからなのか、試合で自分の前に人がいるとストレスに感じるようになった。
本当は抑えていかないといけないところでも、ついスピードアップして抜きたいという衝動に駆られることも。
そう、彼らも同じ気持ちで走っていたのだろう(かどうかは聞いてみないとわからない)。
2013年7月14日日曜日
メニコンとニチコン
日本のコンタクトレンズ市場では最古参のメニコンとニチコン。
この2社が名古屋で創業していることは意外に知られていない。
しかも、同じような時期に同じようなことをしていることも分かった。
各社のHPに掲載されている沿革を見るとわかることだ。
これは何か臭うと思って少し調べてみた。
両社の沿革には昭和26年(1951年)に日本で初めて臨床試験に成功した、とある。
これは偶然の一致では無いと考えるのが自然だろう。
戦後まだ4年、物資は不足している。
しかも東京ではなく名古屋で同じ分野で革新的なことをしている人が別々にいて、
同じ年に成功したなんて偶然ではないと感じる。
そもそも、両社のHPにいずれも「日本で初めて」と書いてあることから、
両社がその当時は一緒だったと考えなければ片方が嘘を書いていることになる。
Wikipediaにはメニコンの項目しかないが、
そこにはメニコン創業者がコンタクトレンズを独自開発したと書かれている。
しかし、メニコンのHPにはそんなことはどこにも書いてない。
一方のニチコンのHPには創業時のことが事細かに書いてある。
ということは、これはあくまで憶測だが、
当初はメニコンとニチコンの創業者が一緒に事業を興し、
その後別々の道を歩むことになってそれぞれが会社を興したのではないか。
そう考えるのが自然だろう。
いつ別々の道を歩み始めたのかは定かではない。
双方のHPから沿革をたどってみる。
昭和32年と33年に双方が別々に似た名前の機関を設立しているし、
その前にも昭和26年と27年にも別々の機関を作っている。
どうやらこのあたりで別々の道を歩き始めたようだ。
ただ、本当のことはどうだかわからない。
詳しい情報は掲載されていないから。
ただ、Wikipediaの情報は少々違うと思う。
私はニチコンユーザーだけれど、ちょっと気になったので調べてみた。
この2社が名古屋で創業していることは意外に知られていない。
しかも、同じような時期に同じようなことをしていることも分かった。
各社のHPに掲載されている沿革を見るとわかることだ。
これは何か臭うと思って少し調べてみた。
両社の沿革には昭和26年(1951年)に日本で初めて臨床試験に成功した、とある。
これは偶然の一致では無いと考えるのが自然だろう。
戦後まだ4年、物資は不足している。
しかも東京ではなく名古屋で同じ分野で革新的なことをしている人が別々にいて、
同じ年に成功したなんて偶然ではないと感じる。
そもそも、両社のHPにいずれも「日本で初めて」と書いてあることから、
両社がその当時は一緒だったと考えなければ片方が嘘を書いていることになる。
Wikipediaにはメニコンの項目しかないが、
そこにはメニコン創業者がコンタクトレンズを独自開発したと書かれている。
しかし、メニコンのHPにはそんなことはどこにも書いてない。
一方のニチコンのHPには創業時のことが事細かに書いてある。
ということは、これはあくまで憶測だが、
当初はメニコンとニチコンの創業者が一緒に事業を興し、
その後別々の道を歩むことになってそれぞれが会社を興したのではないか。
そう考えるのが自然だろう。
いつ別々の道を歩み始めたのかは定かではない。
双方のHPから沿革をたどってみる。
| メニコン | ニチコン | ||||||
| 昭和27年 | 日本コンタクトレンズ研究所設立 | 昭和26年 | コンタクトレンズクリニック開設 | ||||
| 昭和32年 | 日本コンタクトレンズ㈱設立 | 昭和33年 | (合)日本コンタクトレンズ研究所設立 | ||||
| 昭和40年 | 東洋コンタクトレンズ㈱ | 昭和35年 | ㈱日本コンタクトレンズ研究所設立 | ||||
昭和32年と33年に双方が別々に似た名前の機関を設立しているし、
その前にも昭和26年と27年にも別々の機関を作っている。
どうやらこのあたりで別々の道を歩き始めたようだ。
ただ、本当のことはどうだかわからない。
詳しい情報は掲載されていないから。
ただ、Wikipediaの情報は少々違うと思う。
私はニチコンユーザーだけれど、ちょっと気になったので調べてみた。
2013年7月7日日曜日
鳴門市の渡船(徳島県)
徳島県鳴門市は鳴門の渦潮や鳴門わかめで有名な海沿いの町だ。
ポカリスウェットやオロナインで有名な大塚製薬が創業した町で、今も大塚関連の会社や施設がいたるところにある。
ここに私の気に入ったポイントがある。
それは渡船だ。
鳴門市に大きな島が3つある(高島・大毛島・島田島)。
それらへは橋を渡って行くこともできるが渡船でも行ける。
その島の一つ、高島に国立大学の鳴門教育大学がある。
この大学へ行く最短ルートは実は渡船なのだ。
少し前この大学へ行く際に渡船を利用してみた。
鳴門教育大学は元々は徳島大学教育学部だったものが分離独立したものだ。
分離したときに徳島市からここへ移転した。
国立大学で、琉球大学を除いて離島にある大学はここだけらしい。
で、島へは橋も掛かっているのだけれど、徒歩や自転車では随分遠回りになる場所にしかない。
そこで渡船だ。
渡船は以前から地域住民のために存在していたもので、朝夕は中高生が多数乗船する。
定員は30名くらい?自転車も乗れる。
スクーターはどうかな?
物理的には可能だけれど運航規定で禁止されているかも知れない(ガソリンタンクがついているから)。
この渡船は市道扱いなので運賃は無料である。
かつては鳴門市直営だったが今は委託運航されている。
乗船時間は約2分。
対岸はすぐ目の前で、湾内を通る渡船といった感じだ。
30分間隔くらいで出港するので小さな待合所もある。
地域住民の足だから観光ポイントでは無いのだけれど私にとって渡船はとても新鮮に思えた。
しかも誰でも無料で乗れる。
嬉しくなって全航路を制覇しようと思ったが、各航路の発着場所がちょっと離れているので1日で制覇は無理だった(車を使えば可能)。
鳴門の観光地としてはやっぱり渦潮、四国霊場八十八か所の第1番札所霊山寺、そして大塚国際美術館・・・。
観光ポイントではないけれど、この渡船もおススメだ。
2013年6月30日日曜日
最近のマラソンブームについて思うこと
最近の市民マラソンランナーの一部の方について疑問に思うこと。
それは大会の「制限時間」について勘違いしているんじゃないかということだ。
例えば、「制限時間が6時間」の大会は、余裕がある人が6時間ギリギリまで掛かってわざとゆっくり走っていいということではなくて、
真面目に走っても6時間かかる人のための制限時間なのだ。
最近、制限時間ギリギリまで掛かけて遊びながら走る人がいると聞く。
途中のエイドステーション(給水所など)で食べ物を食べあさったり、
1人1つのみというスポンサー提供のグッズを複数持っていったり・・・。
コースの途中で応援してくれる人たち(ボランティアで応援動員されている人も多い)と一緒に遊んだり記念撮影をしたりとやりたい放題。
中には携帯電話で通話しながら走っている人もいたりする。
応援動員された人たちはそういうことをするためにボランティアをしているのではない。
選手が真面目に走って大変だろうからと善意で応援してくれているのだ。
それなのに、全力を出さずわざとゆっくり走って遊んでいる人は
自分の行為が周りの人に迷惑を掛けているということを分かっていないのだと思う。
大会のために一般公道を通行止めにするのは、そうやってだらだらと遊んで走る人のためにではない。
真面目に走るランナーのためだ。
道路を通行止めにすることによってどれだけ多くの人に迷惑がかかっているかを分からねばならない。
エントリー料金を払ったから何でもOKではない。
そして、大会役員やエイドステーション等でボランティアをしてくれている人に感謝する意味を込めて真面目に走らねばならない。
何も、競技者のようにライバルと競り合い全力を尽くして走れと言っているのではない。
自分にとって快適なペースで走ればいいのであって、
制限時間までまだ余裕だからとわざと遊んで走るという姿勢がよくないと言いたいのだ。
自分たちが6時間かけて遊んでいる間、役員やボランティアはひたすら仕事をしなければならない。
寒い中を立ったままでいるのは結構辛い。
一度自分でやってみると良い。
どれだけ大変なことかよくわかると思う。
9時スタートの大会なら、役員は遅くとも6時半には集合だから、
その日は最低でも12時間程度は拘束されるということ。
そして、走路で誘導するなどを担当する役員や警察官は通行止めによる市民の苦情を一手に引き受けなければならないのだ。
その苦情は、いくら事前に説明してあったと言っても収まるものではない。
凄まじい罵声を浴びせる人もいるし恫喝してくる人もいる。
陸上競技はアマチュアスポーツだから、審判員・競技役員も審判資格は持っていてもアマチュアだ。
ボランティアと同じで審判を職業にしているわけではない。
私の知人にもマラソン大会が嫌いな人がいる。
大会の後によく言われる。
「コースの中で遊んでいる奴が多すぎる。遊んでるなら早く走って通り過ぎて行け!通行止めが早く解除されるから」。
日常の練習にも疑問に思うことがある。
ランニング中に道路をわがもの顔で走る人がいることだ。
歩行者への配慮など全く見られない。
例えば、皇居周辺が「ランナーの聖地」と言われるようになり、
多くのランナーが他所からやってくるようになって歩行者と接触する事故も増えている。
皇居周辺はランニングのために道路が作られたわけではないから、地元にいる人たちの生活道としても使われている。
そこで他所から大勢のランナーがやってきてわがもの顔で走るのはどうもいただけない。
一般公道で走るときにも周りの人への配慮が必要だ。
マラソンが一大ブームとなり、ランニングにいそしむ者が急激に増えたためか、そこかしこでマナー違反が目に付くようになってきた。
新聞でもときどき取り上げられることもある。
大会の際には、上記のような遊び半分のランナーをはじめ、勝手に私有地に入ってアップする者、スタート地点付近での立ち小便や喫煙、スタート地点周辺の店や私有地への違法駐車、ゴミのポイ捨て、スタート順を守らない者、過度の仮装で周りのランナーに迷惑になっている者など。
大会によっては地元の特産品が無料で振舞われるが、それをいやしく大量に持って行ってしまうランナーもいる。
みんな立派な大人ばかりだ。
マラソン大会が一般市民からの嫌われ者にならないためにも、
ランナーは周囲の人たちに対する配慮の気持ちをしっかりと持って欲しいと思う。
それは大会の「制限時間」について勘違いしているんじゃないかということだ。
例えば、「制限時間が6時間」の大会は、余裕がある人が6時間ギリギリまで掛かってわざとゆっくり走っていいということではなくて、
真面目に走っても6時間かかる人のための制限時間なのだ。
最近、制限時間ギリギリまで掛かけて遊びながら走る人がいると聞く。
途中のエイドステーション(給水所など)で食べ物を食べあさったり、
1人1つのみというスポンサー提供のグッズを複数持っていったり・・・。
コースの途中で応援してくれる人たち(ボランティアで応援動員されている人も多い)と一緒に遊んだり記念撮影をしたりとやりたい放題。
中には携帯電話で通話しながら走っている人もいたりする。
応援動員された人たちはそういうことをするためにボランティアをしているのではない。
選手が真面目に走って大変だろうからと善意で応援してくれているのだ。
それなのに、全力を出さずわざとゆっくり走って遊んでいる人は
自分の行為が周りの人に迷惑を掛けているということを分かっていないのだと思う。
大会のために一般公道を通行止めにするのは、そうやってだらだらと遊んで走る人のためにではない。
真面目に走るランナーのためだ。
道路を通行止めにすることによってどれだけ多くの人に迷惑がかかっているかを分からねばならない。
エントリー料金を払ったから何でもOKではない。
そして、大会役員やエイドステーション等でボランティアをしてくれている人に感謝する意味を込めて真面目に走らねばならない。
何も、競技者のようにライバルと競り合い全力を尽くして走れと言っているのではない。
自分にとって快適なペースで走ればいいのであって、
制限時間までまだ余裕だからとわざと遊んで走るという姿勢がよくないと言いたいのだ。
自分たちが6時間かけて遊んでいる間、役員やボランティアはひたすら仕事をしなければならない。
寒い中を立ったままでいるのは結構辛い。
一度自分でやってみると良い。
どれだけ大変なことかよくわかると思う。
9時スタートの大会なら、役員は遅くとも6時半には集合だから、
その日は最低でも12時間程度は拘束されるということ。
そして、走路で誘導するなどを担当する役員や警察官は通行止めによる市民の苦情を一手に引き受けなければならないのだ。
その苦情は、いくら事前に説明してあったと言っても収まるものではない。
凄まじい罵声を浴びせる人もいるし恫喝してくる人もいる。
陸上競技はアマチュアスポーツだから、審判員・競技役員も審判資格は持っていてもアマチュアだ。
ボランティアと同じで審判を職業にしているわけではない。
私の知人にもマラソン大会が嫌いな人がいる。
大会の後によく言われる。
「コースの中で遊んでいる奴が多すぎる。遊んでるなら早く走って通り過ぎて行け!通行止めが早く解除されるから」。
日常の練習にも疑問に思うことがある。
ランニング中に道路をわがもの顔で走る人がいることだ。
歩行者への配慮など全く見られない。
例えば、皇居周辺が「ランナーの聖地」と言われるようになり、
多くのランナーが他所からやってくるようになって歩行者と接触する事故も増えている。
皇居周辺はランニングのために道路が作られたわけではないから、地元にいる人たちの生活道としても使われている。
そこで他所から大勢のランナーがやってきてわがもの顔で走るのはどうもいただけない。
一般公道で走るときにも周りの人への配慮が必要だ。
マラソンが一大ブームとなり、ランニングにいそしむ者が急激に増えたためか、そこかしこでマナー違反が目に付くようになってきた。
新聞でもときどき取り上げられることもある。
大会の際には、上記のような遊び半分のランナーをはじめ、勝手に私有地に入ってアップする者、スタート地点付近での立ち小便や喫煙、スタート地点周辺の店や私有地への違法駐車、ゴミのポイ捨て、スタート順を守らない者、過度の仮装で周りのランナーに迷惑になっている者など。
大会によっては地元の特産品が無料で振舞われるが、それをいやしく大量に持って行ってしまうランナーもいる。
みんな立派な大人ばかりだ。
マラソン大会が一般市民からの嫌われ者にならないためにも、
ランナーは周囲の人たちに対する配慮の気持ちをしっかりと持って欲しいと思う。
2013年6月23日日曜日
かつて存在した短波放送曲「Super Rock KYOI」の放送がインターネットラジオで聴ける!
かつてグアムにあった短波放送KYOIの放送がインターネットラジオで聴ける。
当時の音源を使った放送で、これは懐かしい。
KYOI http://kyoi.ru/sam/web/index.php
私が中学~高校の頃はまだインターネットなどなく、
日本の田舎にいながら海外と接触するのは短波放送しかなかった。
そうした状況もあってかBCLが流行していた(私の周りだけかな?)。
当時は日本向けの海外短波放送局が多数あってよく聞いていた。
西ドイツ(ドイチェ・べレ)・ソ連(モスクワ放送)・中国(北京放送)・北朝鮮(朝鮮中央放送)・韓国(ラジオ韓国)・台湾(自由中国の声)・ベトナム(ベトナムの声)・フィリピン(ラジオ・べリタス・アジア)・インドネシア(インドネシアの声)・・・
全体としては社会主義国の放送が多かったかな。
そんな中でグアムから日本向けに放送されていた洋楽専門短波放送局がKYOIだ。
KYOIは洋楽専門。
でも短波放送は音質が良くない上に電波障害の影響を受けやすい。
もちろんステレオ放送ではない。
よくもまあ短波で洋楽専門局を作ったものだと当時でも思っていた。
でも、BGM程度に聴くならいいかなと言う感じだった。
最新のヒット曲が次々と流されるから。
アメリカが作った放送局だけど日本向けだから、日本語のちょっとしたコーナーがあったりしたな。
あれだけ聴いたのに受信報告書を送らなかったからべリカードを貰い損ねたのが悔やまれる。
多分短波放送の中で1番長い時間聴いただろう(2番は多分ドイチェ・べレ)
大学に入学してから短波をほとんど聴かなくなり、
いつの間にか閉局していた。
それがインターネットラジオで聴ける。
しかもロシアから放送されているなんて。
当時の放送用テープを売ったんだろうか?
懐かしいから、またときどき聴いてみようと思う。
当時の音源を使った放送で、これは懐かしい。
KYOI http://kyoi.ru/sam/web/index.php
私が中学~高校の頃はまだインターネットなどなく、
日本の田舎にいながら海外と接触するのは短波放送しかなかった。
そうした状況もあってかBCLが流行していた(私の周りだけかな?)。
当時は日本向けの海外短波放送局が多数あってよく聞いていた。
西ドイツ(ドイチェ・べレ)・ソ連(モスクワ放送)・中国(北京放送)・北朝鮮(朝鮮中央放送)・韓国(ラジオ韓国)・台湾(自由中国の声)・ベトナム(ベトナムの声)・フィリピン(ラジオ・べリタス・アジア)・インドネシア(インドネシアの声)・・・
全体としては社会主義国の放送が多かったかな。
そんな中でグアムから日本向けに放送されていた洋楽専門短波放送局がKYOIだ。
KYOIは洋楽専門。
でも短波放送は音質が良くない上に電波障害の影響を受けやすい。
もちろんステレオ放送ではない。
よくもまあ短波で洋楽専門局を作ったものだと当時でも思っていた。
でも、BGM程度に聴くならいいかなと言う感じだった。
最新のヒット曲が次々と流されるから。
アメリカが作った放送局だけど日本向けだから、日本語のちょっとしたコーナーがあったりしたな。
あれだけ聴いたのに受信報告書を送らなかったからべリカードを貰い損ねたのが悔やまれる。
多分短波放送の中で1番長い時間聴いただろう(2番は多分ドイチェ・べレ)
大学に入学してから短波をほとんど聴かなくなり、
いつの間にか閉局していた。
それがインターネットラジオで聴ける。
しかもロシアから放送されているなんて。
当時の放送用テープを売ったんだろうか?
懐かしいから、またときどき聴いてみようと思う。
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