2013年7月21日日曜日

ジュマ・イカンガーについて思い出したこと


我々の世代なら恐らく誰でも知っているジュマ・イカンガー
1980年代に活躍したタンザニアのマラソン選手だ。
当時日本の男子マラソン界は世界トップレベルで、
瀬古宗兄弟が第一線で活躍していた。
そこへ突然現れたスピードランナーがイカンガーだ。
当時、アフリカのマラソン選手は今ほどハイレベルではなく、
マラソンで初めて2時間10分の壁を破ったアフリカ選手は実はイカンガーだった。

瀬古や宗兄弟が1年ほど休養して復活レースと位置付けた1983年の東京国際マラソン。
そのレースにイカンガーも出場していた。
そのときはまだ日本では無名だったが、
スタート先頭に立ち、37km地点過ぎまでずっとトップを譲らなかった。
この大会は瀬古と宗兄弟・ゴメスの対決だと言われていたのに思わぬ伏兵が現れて、
しかも前半からハイペースで進んだレースとなってかなり盛り上がった。
イカンガーの身長は163cmとかなり小柄なのに、
バネのある大きな走りは身長170cmの瀬古より広いストライドだった。
このレースでは最後は瀬古と宗猛の一騎打ちとなり瀬古が優勝したが、
その手前で落伍したもののイカンガーは一躍有名人となった。

その後、瀬古とはライバルとなるレベルの選手へと成長。
最終的なベストタイムでは瀬古より20秒以上速かった。
最後の競り合いでのスパート合戦では負けることが多かったが、
スタートしてからハイペースで集団を引っ張っていく走り方は
ラスト勝負ではなくスタート地点からロングスパートをかけているようだった。
ロサンゼルス・ソウル五輪ではいずれも入賞した(瀬古より上位)。

私は現役時代は瀬古のようなレース運びだった。
ずっと集団の中でベストな位置をキープして走り、
ラストスパートで一気に抜いて勝つ、という走り方だ。
私は瀬古ほど短距離が速くなかったが、
ラスト200mで競り合ったら負けない自信があった(多分ラスト200mのタイムは、200mのベストタイムに近いと思う)。
だから、イカンガーや宗兄弟などはなぜ先頭を切って走るのかがわからなかった。
先頭を走るということは精神的に負担になると考えていたからだ。
しかし、20年のブランクを経てランニング生活に戻ってみて気付いた。
先頭切って走りたい人は、自分の前に人がいることがストレスになるのだと。
私は現役を退いて以降、チームで練習したことはほとんどない。
普段は1人で走るからランニング中に自分の前に誰かが走っているということは無い。
だからなのか、試合で自分の前に人がいるとストレスに感じるようになった。
本当は抑えていかないといけないところでも、ついスピードアップして抜きたいという衝動に駆られることも。
そう、彼らも同じ気持ちで走っていたのだろう(かどうかは聞いてみないとわからない)。

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