2011年6月13日月曜日

デイ・ムジカンテン室内管弦楽団 第50回定期演奏会へ行ってきた


友人の奥さんが加入しているデイ・ムジカンテン室内管弦楽団の定期演奏会に行ってきた。
この楽団はアマチュアで、古典派の曲を中心に年2回演奏会を開催している。
今回は50回目の記念公演で、
楽団結成時のコンサートミストレスだった児玉あい子氏がゲストとして東京から駆け付けた。

いつもは夫婦で出かけるが、今日はあいにく妻は出勤日。
そのため私一人で出かける。
会場はいつも伏見の電気文化会館地下2階のコンサートホール。
ここは会場の設備が良いうえに安いらしく、
借りるのにはかなりの競争を勝ち抜かねばならないらしい。
交通の便もいいし、私もここがいい。
ホールの音の響きもいいと思うし。
友人の奥さんは今回は第二バイオリンの2列目。
私の席からはコンサートマスターの陰に隠れてしまい姿が見えなかった。
かつては3列目で指揮者への花束贈呈係もやっていたが、
もっと若手が入団したからお役御免になったのだろう。
そう思うと、私も随分前からこの楽団の演奏会に来ているのだなあ。

今回も多数の来場者があった。
団員が家族や知り合いにきちんと告知しているということもあるが、
長い間活動しているからファンもいるのだろう。
今回はほぼ満席だったと思う。
早めに行って正解だった。

開演5分前になると、耳障りな不協和音の音が流れる。
5分前だから着席するようにとの合図だ。
着席していない人の方が少ないから、会場はまだ歓談の場となっている。
その後、照明が落とされると静まり返る。
今回の指揮者はいつもの白川和彦氏。
公演のパンフレットの写真は何年前のものだろうか、と妻といつも話している。
そういえば、クラシックをやっている人は理系出身の人が多い気がする。
この指揮者も理系だ。
音楽は芸術ではあるが、理論の部分は数学的なセンスが必要だからだろうか。

この楽団は金管系のパートが少々手薄だ。
古典派中心の管弦楽団で金管はいつも出番があるとは限らないからということか。
今回もホルン以外は全部賛助。
木管はちゃんとコアメンバーがいるから安心して聴いていられる。
弦バスの上手なおじさんも健在だ。
ティンパニーの人は上手いなあと思っていたら、
どうやら某高校のブラバンの先生らしい(あとで聞いた話)。
今日は3曲。
W.A.モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調 K.543
J.S.バッハ ヴァイオリンとオーボエの為の協奏曲ニ短調 BWV1060a
L.V.ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」op.68

私の好きなバロックと古典派ばかり。
いつもはロマン派の曲も入るのだけど、今日はそれが無い。
まあ、ベートーヴェンはロマン派っぽい感じだけど。

今回はバイオリンに見慣れない男子がいた。
新たに入ったのだろうか。
この楽団は男が少ないから一人増えただけでも目立つのだ。

ゲストの児玉あい子氏(ヴァイオリン)は廣瀬圭祐氏(オーボエ)と一緒に2曲目に独奏を披露。
私の席が悪かったのか、児玉氏のヴァイオリンがあまり聞こえなかったのが残念。
バッハの曲で太くて低い音ばかりだったからかも知れない。
廣瀬氏は曲の途中で舞台に置いてあったビンにマウスピースを浸した。
湿度を一定に保つ必要があるのだろうか。
どういう目的で・・・興味があるところだ。
オーボエ奏者はマウスピースを自作する人が多いというが、
廣瀬氏はどうなんだろうか。

チェンバロの音はやっぱり弱いなあ。
20人くらいの弦楽編成と一緒にやっても音がかき消されてしまう。
それでもかすかに聞こえるチェンバロの弦の音がいい味出している(敢えてハープシコードとは言わない主義)。
そう言えば、アンコールが無かったのも残念。
諸般の事情でアンコール曲を準備できなかったとしても、
例えば今日やった田園の第1楽章の出だしの16小節くらいやるだけでも
少しは印象が違うと思うんだけどな~。
今回は終わりの挨拶をしているときに帰る不届き者も少なかっただけに残念。

次回は・・・特別公演が9月に11日(日)あるとか。
これは珍しい。
しかも、今度は「レクイエムコンサート」と銘打って
モーツァルトとドブロゴス(この人は知らない)のレクイエムをやるという。
この楽団の人数でレクイエムできるのか?という心配もあるが、賛助を大量に入れるのだろうか。
もちろん合唱隊とソリストもいるから、どこかの合唱団と一緒にやるのだろう。
会場は愛知県芸術劇場コンサートホールだ。
そりゃレクイエムやるのに電気文化会館では狭すぎて楽団と合唱隊が入れないからなあ。
パイプオルガンも無いし。
♪レ~クイエ~ム エテルナム ドナ エイス ドミネ・・・
ぜひ聴きに行きたい。
おっと、今見たら楽団のHPで詳しく案内があった。
レクイエムの編成は・・・楽団のHPをご覧いただきたい。

2011年6月8日水曜日

見晴台遺跡 第51次発掘調査 市民参加者 募集中!!

名古屋市南区にある見晴台遺跡(弥生時代の環濠集落遺跡)では発掘参加者を募集中です。
詳細は名古屋市内の公共施設に置いてある募集要項をご確認ください。

<発掘調査の内容>
発掘場所:名古屋市南区見晴町(笠寺公園内:見晴台考古資料館周辺)
期間:平成23年7月13日(水)~8月14日(日)※毎週月・火休み
昼食:各自で用意(近隣の店へ食べに行ってもよい)
時間:9時30分~16時(休憩・学習会を除く屋外作業は4時間程度)
参加費:無料(ただし、全員ボランティア保険に加入する:250円程度)
募集人員:延べ約400人(うち中学生は約150人)
※1日あたりの定員はほぼ決まっているので、申込者がそれを超えたら抽選となる。

<参加資格>・・・全て当てはまること
①名古屋市内に在住、在勤または在学の中学生以上の方
②中学生については、保護者の承諾が得られる方
③夏の野外での作業ができる方
④事前説明会に参加できる方

<事前説明会>
発掘調査に参加される方に、調査の意義・内容および事前準備などを説明します。
所要時間は約1時間です。
配布資料もありますので、下記の日程のうち必ず1回ご参加ください。
事前説明会を欠席された方は、発掘参加(当選)が取り消されますのでご注意ください。

<説明会の日程>
7月2日(土) ①10時~  ②14時~
7月3日(日) ①10時~  ②14時~
7月6日(水) 16時~
※場所:見晴台考古資料館映像展示室

<申込方法>
往復はがきに住所・氏名(ふりがな)・性別・年齢・電話番号・
勤務先名・勤務先電話番号・参加希望日(中学生は日程が決まっているので、申込要項を確認のこと)
見晴台遺跡での発掘経験の有無・ボランティアの可否(見晴台遺跡での発掘経験がある方のみ)
を記載して、下記住所に送付ください。
資料館窓口での受付はしておりません。
往復はがき1枚につき1名の申込とします。

<送付先>
〒457-0026 名古屋市南区見晴町47
名古屋市見晴台考古資料館「発掘調査」係

<申込期間>
平成23年6月1日(水)~6月20日(月)見晴台考古資料館必着
※6月中に抽選・返信業務を行う必要があるため、必ず6月20日までにお願いします。

<当選者決定のお知らせ>
当選者は6月末ごろ郵送にてお知らせします。
申込多数の場合は参加日を調整させていただきます。
参加日数が減る場合もあります。
ご了承ください。



<サポートボランティア募集>
発掘調査を円滑に楽しみながら進めるために、お手伝いしていただくサポートボランティアを募集します。
サポートボランティアの方には、ご自身でも発掘調査の作業を進めていただきながら、
中学生をはじめ、発掘調査に初めて参加する方に、いろいろなアドバイスをしていただきます。
また、調査期間中発行する「発掘ニュース」の作成にも関わっていただきます。
サポートボランティアは、これまでに見晴台遺跡の発掘調査に参加したことがある18歳以上の方にお願いしています。
※ボランティアですので謝金はありません。

<安全管理>
発掘調査中の安全管理は、資料館職員が責任者として行いますが、
各自の責任において十分注意していただきますようお願いします。
気温によっては作業内容を変更する場合もあります。
万一の場合に備え、
参加者全員の方に保険に加入していただきます。
サポートボランティアの方は資料館で負担しますが、
それ以外の方は保険料(250円程度)の負担をお願いいたします。
保険料は事前説明会の際に徴収させていただきます。


<問い合わせ先>
名古屋市見晴台考古資料館
電話:052-823-3200
FAX:052-823-3223
開館時間:9時15分~17時
休館日:月曜日と第4火曜日・年末年始

2011年6月4日土曜日

特別展「写真家・東松照明 全仕事」 を観てきた

名古屋市美術館で開催されている「写真家・東松照明 全仕事」という展覧会へ行ってきた。
東松は愛知県名古屋市出身で、まだ現役の写真家である(現在は沖縄在住)。


美術館HPに掲載されているこの回顧展の概要は以下の通り。
   現代日本を代表する写真家・東松照明(1930- )は、写真というメディアの記録性を活かしながら、 敗戦からのわれわれ日本人の精神の在り処をその深奥から浮かび上がらせて見せます。1930(昭和5)年に名古屋市東区新出来町に生まれた東松は、20歳の時に写真に出会い、愛知大学を卒業後、上京し岩波写真文庫のスタッフ・カメラマンとしてそのキャリアを始めました。戦後の日本が抱える矛盾や問題を、従来の報道写真とは異なる手法で提示するその表現は、日本の写真の“ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)”としてはやくから注目されました。「被爆」の精神的葛藤を追及し、写真家のライフ・ワークともなった<長崎>シリーズ(1961~)。占領と独自性が屹立する沖縄の精神性を注視した「太陽の鉛筆」(1975)。現在も継続して撮影され続けているこれらの作品群は、歴史や時間の経過はもとより、観る者に「いま」を強く意識させる、優れた“叙事詩”へと結実しています。 今回の展覧会は、60年に及ぶ写真家・東松照明の表現の集大成を見せる本格的な回顧展です。  どうぞご期待ください。



本展は東松照明の「全仕事」を振り返る回顧展である。
愛知大学在学中に写真撮影を開始したとのことで、
そのあたりの作品から現在の作品までをテーマに分けて展示している。

展示構成は次の通り。
1.記憶の肖像、廃墟の光景
2.占領/アメリカニゼーション
3.投影ー時代と都市の体温
4.長崎ー被爆・記録から肖像へ
5.泥の王国
6.太陽の鉛筆ー沖縄・南島
7.“他者”としての日本への回帰ー京・桜
8.“インターフェイス”ー撮ることと作ること

今回は展示作品数が多く(約550点)、1階・2階と地下1階の一部の展示室も使用している。
私が行った日にたまたまボランティアによるギャラリートークが開催される日で、
到着したときに丁度始まっていたので解説を聞くことにした。
ギャラリートークに参加するのは初めてだったが、
これはいいと思った。
それは、東松照明の作品についてより深く理解ができる内容だったからだ。
東松の作品は戦後の日本(敗戦・占領・アメリカ化・被爆地長崎・米軍基地・沖縄)をテーマにしており、
当時の時代背景を正しく理解していないと作品の本質を理解できないと思う。
ギャラリートークを聞くことでそれが少し可能になった。
もちろん、解説を聞いただけでは正しく理解したとは言い切れない。
帰宅後に自分なりに学習することも必要だし、
日頃からの研鑽ももちろん必要だ。

美術品とは言え、作家の発するメッセージを理解するためには
観覧者の側もそれなりのレベルになっている必要がある。
そう感じる企画展だった。
写真の展覧会は久しぶりだが、
今まで観た中では結構充実していてよい展示内容だったと思う。

2011年6月2日木曜日

アサガオで日よけ作戦

今までやろうと思っていてタイミングを逸していた「夏の日除け用アサガオ」を今年は植えてみた。
まだ双葉が出た程度で、今のところは順調だ。
今年は大震災の影響で節電が例年以上に求められる。
我が家は元々電気の使用量が多くない(一戸建てで家族で生活しているが月額5,000円を切っている)し、
エアコンをほとんど使わない家だからあまり関係ないとも言えるが・・・。
日陰になるのは涼しくていいし、室内の日焼けも防ぐことができるし。
ということで、今年は時期を逸することなくスタートできた。

座敷の南側を全体的に覆う計画で、プランターを5つ設置。
4つはアサガオ、1つはユウガオにした。
アサガオは複数の品種を買ってプランターごとに分けた。
果たして日除けになるかどうか。
価格の安い種ばかりにしたが、発芽率はほぼ100%だ。
日除けにするならゴーヤやヘチマの方が葉っぱが大きくてよいと言われている。
ただ、実がなるのが厄介だし、ネットも丈夫なものにしなければならない。
しかし、アサガオならその心配はない。
それに私は花を楽しみたいと考えてアサガオにした。

さて、後はネットを設置するだけ。
いいネットが中々売ってないのでどうしたものか。
聞くところによると、
海で使う海苔用のネットを買ってきている人が多いらしい。
畑などでよく見かける白いネットは海苔用だそうだ。
私もそれにしようかなあ。

2011年5月29日日曜日

名駅で愚痴聞き会 (ひな文庫)

今日はサークルの会食があった。
その名も「愚痴聞き会」。
あるメンバーから愚痴を聞いて欲しいという申し出があったからだ。

もう10年以上前から細々と活動している元学術サークル「ひな文庫」のメンバーの母親が
今年1月に亡くなった。
そこで、そいつが落ち着いた頃に励ます会を開催することにした。
で、本人からもう落ち着いたと連絡があったのだが
「励ます会じゃなくて愚痴を聞いて欲しい」という希望があったために
本日その会を開いたわけだ。

会場は名駅のミッドランド4階にある名古屋今井屋本店。
会員はほぼ全員が名古屋市民だから、
私が幹事の場合は常に名駅で開催だ(名駅はある程度得意なので)。
11時45分にお店集合。
今回は5名が出席だ。
名駅の店はお昼は予約できないところが多い。
予約客を入れてしまうといろいろ不都合があるからだろう。
そうでなくても客が多くてさばききれないくらいだから。
当日、台風2号が接近していたためにかなり風雨が強かったが予定通り開催。
ミッドランドに行ってみたらいつもと同じようにかなり込み合っていた。
店の前には待つ人も多数・・・。
みんな台風なんてお構いなしか。
今井屋もかなり混んでいて、予約無しでは待つことになっただろう。

この店は鶏の店だ(比内地鶏)。
お昼に行ったのでランチメニューだったがおいしかったなぁ。
卵とじでも鶏肉はちゃんと炭火焼きしたものが乗っている。
難点を挙げると、
男にとっては量が少なすぎることかな。
あとはやや濃い目の味だということ(私は薄味好み)。
でもおいしかったなあ。
夜に酒の席で、というならこの味でピッタリなんだろう。

この店は込み合っていたので、
場所を変えてお茶でも飲みながら・・・ということになり
適当な喫茶店を探す。
しかし、ミッドランドはおろか名駅地下街も喫茶店は満席状態。
仕方ないので名鉄グランドホテル18階のラウンジへ。
ここも少し待つことになったが、
丁度よい具合にすぐ席が空いた。
偶然窓際の景色のよい席だ。
高所恐怖症の人は窓を背中にする席に座ってもらい、
私は景色の良い席へ。
以前ここへ来たのはまだスパイラルタワーができる前だから
もう随分と前のことだ。
タワーができて随分景色が変わったな。
夜の景色もよさそうだから、
また来てみたいなあ。

愚痴話は、まあ家庭問題というものだ。
ここでは書かないが、
どんな家にも少しくらいはあるだろう。
それ以外にもいろんな話をした。
古いサークル仲間だから、いろんな共通の思い出もあるし、
我々の仲だからできる込み入った話もあるし。
面白い話から驚きの話までいろいろ。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
それぞれ予定もあるので夕方にお開きとなった。

この会のメンバーは多くが家庭を持っているので、
今は会としてはアカデミックな活動はしていない。
でも、こうやって理由を作っては会食をしたり
お茶飲み会をしたりしている。
何でも話せる仲間ってやっぱりいいなあ。

2011年5月22日日曜日

手作り餃子「月美亭」へ行ってきた


ひょんなことで知り合いになった人が経営している餃子専門店の「月美亭」へ行ってきた。
この店の店主は凝り性らしく、
自分の気に入った味の餃子を作りたいと一念発起して開店したとか。
お店のメニューには研究の成果がつまったものが揃っている。
お昼しか行ったことがないが、
結構ボリュームがあるのに旨くて安いというのがイイ。
店主と知り合ったのは私が携帯を買い換えしたときだ。
地元の祭の同じ組の秀さんから「携帯変えるときは言って来いよ」と言われていたので
買い換えの際に紹介してもらった店の経営者がこの月美亭の店主だったのだ。
当時は携帯ショップを経営していた。
そのときの対応がとても感じがよかったので、
その後妻と母もその店で買い替え(母は新規購入)をした。
今は携帯ショップは閉めて餃子屋一筋だ。
餃子は店主が作っている。
この店の特徴は、餃子屋さんだが小さい子がいる家族でも気軽に行けるということ。
それは子ども向けのメニューがあるからだ。
子どもならみんな大好きなカレー。
そう、メニューにはカレーもあるのだ。
野菜が嫌いな子は餃子も嫌いかも知れない。
でもカレーがあれば大丈夫だ。
ただ、甘口のカレーなので大人はちょっと物足りないかも。
私は定番の「月美定食」が好き。
いろんなメニューを試してみて結局基本に戻った。
この店の餃子は小籠包みたいに中に少しスープが入っている感じがする。
焼き餃子なのに、だ。ちょっと珍しい。

一方、妻は「赤!炊き餃子定食(ごま坦々味)」が好きらしい。
私は辛いのが苦手だからこれはちょっと無理かな。
ランチだけかも知れないが、
定食のご飯の量を3段階で選べる。
もちろん、どの量を選んでも値段は同じだ。
アピタ阿久比店に近いところにあるので、
アピタに行ったついでに立ち寄るのがいいだろう。
お腹が空いているから、また行きたくなってきた!
何度行っても飽きない味の店だ。
なお、店主はブログもやっているのでこちらもどうぞ→ 「月美亭きままなブログ」

2011年5月15日日曜日

水谷由紀夫先生のこと(水谷眼科診療所:ニチコン相談室)

私がコンタクトレンズの検診に通っている名駅の水谷眼科診療所の院長先生が知らないうちに亡くなっていた。
最近の定期検診では若い先生ばかりが担当で、
水谷由紀夫先生がいないなあ~とは思っていたが・・・。
まだ若いので、非常に残念でならない。

私は高校卒業の頃からコンタクトを使っているから
コンタクト暦はすでに20年くらい。
メガネよりコンタクトの方が視力が落ちないし、視界も広い。
何よりうどんやラーメンを食べてもレンズが曇らないのは魅力だ。
ただ、私は目が充血しやすいために最近はもっぱらメガネだ。
使っているコンタクトはずっとニチコンのハードだ。
ソフトは手入れが面倒だし、
ハードよりソフトの方が目に傷がつきやすい(つけたり外したりの際に)と聞いたので
迷わずハードにした。
ハードの方が耐久性が高いらしいし(使える期間が長い)。

名古屋には日本を代表するコンタクトレンズメーカーの本社が2つある。
メニコンニチコンだ。
いずれのメーカーの沿革を見ても、
1951年に日本で初めてコンタクトレンズを実用化した旨の記載がある。
どちらかというとニチコンの方がより具体的に書いてある。
ということは、
おそらくこの2社の創業者は当初は一緒にコンタクトレンズの開発~実用化を目指していたのだろう。
で、あるときに袂を分かち、
それぞれの会社を興して営業開始したのだと思われる。

それはさておき、
水谷先生は口髭を生やした低い声の穏やかな先生だった。
まさに紳士という感じ。
いい先生だった。
亡くなったことが分かった理由は
偶然そのことを書いているHPを発見したからだ。
このHPの主は水谷先生のいとこらしく、
他の場所で眼科を開設している方だ。

そのHPへのリンク→加藤眼科医院HP

記事を読んでびっくりした。
もう何年も前だったなんて。
まだ信じられない。
妻もこの眼科でコンタクトを作ったから、
この話をしたらびっくりしていた。
知っている人が亡くなるというのは寂しい。
これからも多数の先輩方を見送らねばならないが、
いつまでもくよくよしていてはいけない。
ピッとしていなければ。