春は新人の入社、転勤・退職の時期。
今年は東北の大震災の影響で歓送迎会を自粛する雰囲気が広がっているため、
開催を中止した会社もあるだろう。
特に定年退職する人の送別会が無くなってしまったのならそれは寂しいことだったろうと思う。
さて、私が以前勤務していた会社はかなり古い会社だったから、
昔から続く変な行事がかなり残っていた。
その一つに転勤する人の見送りがある。
転勤する人は自家用車で異動することを禁じられていた。
それは事故があると困るからだ。
自家用車は会社の費用で車載トラックに載せることとなっているので、転勤する人は新幹線か飛行機か・・・公共交通機関を利用するということになる。
転勤する人は何月何日何時何分の列車で行くかを予め報告しなければならないことになっており、それが社内に掲示される。
それを見て、都合がつく社員は全員駅のホームまで見送りにいく。
協力会社の社長なども駆け付ける。
転勤者はそこで挨拶し、見送りする側はそこで万歳三唱。
さらに転勤者を胴上げまでするという念の入れよう。
これは見送られる側としてはかなり恥ずかしい行為なのだが、ずっと続いている恒例行事だ。栄転ではない人でも、一応栄転ということで胴上げされる。
新幹線ホームでも空港でもお構いなし。
転勤するときは大抵家族も一緒に行くから、その一部始終を見る羽目に。
そういえば、電車の発車時刻ギリギリまで隠れていて胴上げを逃れようとした人もいたな。
ちなみに、私は本社から名古屋へ赴任するときに東京駅でやられた。
このときは新人だったから胴上げはなかったけれど、同期の野郎どもが
私が乗る新幹線を追っかけてホームをダッシュしたのが懐かしい思い出だ(まだあの頃は若かった)。
2011年4月2日土曜日
花車茶会へ行きました
花車茶会へ行ってきた。
ブログにこのことを書くのは久しぶりだが、
ずっと行ってなかったわけではない(昨年は2回ほど行けなかったが)。
私のようなド素人が茶会の感想なぞを云々すると茶会の品位に関わるといけないと思い
自粛していたのだ。
が、前回(2月:1周年記念茶会)は主催者から茶会の感想を求められ、
やっぱり書いたほうがいいのかなあと少し考え直して、
少々書こうと思う。
私はいつも職場の同僚と一緒に行く。
同僚は2人とも表千家でお稽古しているので私とは違う(私は習ったことが無い上に、この茶会以外には行ったことがない) 。
だが、茶会に来ているある方(主催者側の人かも)は、
何故か私がボスで2人を引き連れてきていると見られているらしい。
昨年8月の茶会は所用で欠席だったが、
同僚はその人から「今日はボスは休みか?」と聞かれたそうだ。
確かにこの茶会に誘ったのは私だが・・・
私がボスなんて恐縮してしまう。この茶会も今回で8回目。
私たちはいつも午前中の同じような時間に行っているが、
他の参加者もみんな各自同じ時間に来ているようだ。
だから、待合にいるといつも同じような顔ぶれになる。
皆さんお知り合いと連れ立って来ているので、
それらの方と話をすることは今のところないが、
相手の方もこちらを常連だと認識しているだろう。
ただ、常連とは言え
全くレベルは上がっていない。
初心者も初心者だが、
回を重ねるにしたがっていつまでもそうも言っていられないカンジになってきた。
男だからと言って正客をやって欲しいといつも言われるし・・・
何らかの勉強をしていかねば、と考えつつ何もできずに今に至る。
今回は震災の影響でいつもより客が少なめに感じた。
いつもは待合がもっと込んでいると思うのだが・・・。
地元の祭礼などと重なっているだけだろうか。
今回同じ席に入る顔ぶれを見ると、
お師匠さんみたいな方など、正客をやってしかるべきという方ばかり。
しかも、ベテランのような男性もいる。
こりゃ気楽でいいぞ、と胸を撫で下ろす。
案の定その方が正客に推されたが、
その方から次客の席に来いと言われてしまう。
せっかくなのでその席へ座らせてもらい、勉強させていただこう。
今日の席主は松尾流だ。
いつもは半東さんは女性が多いのだが、
今日は全員が男性。
明治以降に成立した流派らしいが大名茶の伝統を持つらしく、
作法などがピシッピシッという折り目正しい動きで男性的だ。
挨拶のときの手のつき方も独特だ。
以前ならこういったことを見て楽しむという余裕は無かったが、
今は多少は見られる。
少しは成長しているのかも。
正客をされた方は80代だとおっしゃっていた。
それなのにかなり元気で、服装も若々しくておしゃれだった。
私もそうなれるかな~。
今日の席主は自分から道具などの説明をされる方だったので、
時間が押すこともなく、予定通り終了。
個人的には、変わった形の棗をしっかり拝見したかったなあ~。
それと、煙草盆に煙草の葉っぱを入れるものが2つあったと思うが、
この理由を知りたかったな~と。
ブログにこのことを書くのは久しぶりだが、
ずっと行ってなかったわけではない(昨年は2回ほど行けなかったが)。
私のようなド素人が茶会の感想なぞを云々すると茶会の品位に関わるといけないと思い
自粛していたのだ。
が、前回(2月:1周年記念茶会)は主催者から茶会の感想を求められ、
やっぱり書いたほうがいいのかなあと少し考え直して、
少々書こうと思う。
私はいつも職場の同僚と一緒に行く。
同僚は2人とも表千家でお稽古しているので私とは違う(私は習ったことが無い上に、この茶会以外には行ったことがない) 。
だが、茶会に来ているある方(主催者側の人かも)は、
何故か私がボスで2人を引き連れてきていると見られているらしい。
昨年8月の茶会は所用で欠席だったが、
同僚はその人から「今日はボスは休みか?」と聞かれたそうだ。
確かにこの茶会に誘ったのは私だが・・・
私がボスなんて恐縮してしまう。この茶会も今回で8回目。
私たちはいつも午前中の同じような時間に行っているが、
他の参加者もみんな各自同じ時間に来ているようだ。
だから、待合にいるといつも同じような顔ぶれになる。
皆さんお知り合いと連れ立って来ているので、
それらの方と話をすることは今のところないが、
相手の方もこちらを常連だと認識しているだろう。
ただ、常連とは言え
全くレベルは上がっていない。
初心者も初心者だが、
回を重ねるにしたがっていつまでもそうも言っていられないカンジになってきた。
男だからと言って正客をやって欲しいといつも言われるし・・・
何らかの勉強をしていかねば、と考えつつ何もできずに今に至る。
今回は震災の影響でいつもより客が少なめに感じた。
いつもは待合がもっと込んでいると思うのだが・・・。
地元の祭礼などと重なっているだけだろうか。
今回同じ席に入る顔ぶれを見ると、
お師匠さんみたいな方など、正客をやってしかるべきという方ばかり。
しかも、ベテランのような男性もいる。
こりゃ気楽でいいぞ、と胸を撫で下ろす。
案の定その方が正客に推されたが、
その方から次客の席に来いと言われてしまう。
せっかくなのでその席へ座らせてもらい、勉強させていただこう。
今日の席主は松尾流だ。
いつもは半東さんは女性が多いのだが、
今日は全員が男性。
明治以降に成立した流派らしいが大名茶の伝統を持つらしく、
作法などがピシッピシッという折り目正しい動きで男性的だ。
挨拶のときの手のつき方も独特だ。
以前ならこういったことを見て楽しむという余裕は無かったが、
今は多少は見られる。
少しは成長しているのかも。
正客をされた方は80代だとおっしゃっていた。
それなのにかなり元気で、服装も若々しくておしゃれだった。
私もそうなれるかな~。
今日の席主は自分から道具などの説明をされる方だったので、
時間が押すこともなく、予定通り終了。
個人的には、変わった形の棗をしっかり拝見したかったなあ~。
それと、煙草盆に煙草の葉っぱを入れるものが2つあったと思うが、
この理由を知りたかったな~と。
2011年3月26日土曜日
聴く能楽 能の旅人 第4回公演へ行ってきた
わが師匠が出演する「聴く能楽」へ行ってきた。
これは、能の旅人という能楽公演の第4回目のもの。
今回は名古屋能楽堂ではなく、いつも笛の稽古で通っている藤田舞台が会場だ。
普段稽古で通っているときとは違ってたくさんの人が出入りし、
ちゃんと観客席が用意されているのが不思議な感じだ。
さて、藤田舞台は能楽笛方藤田流の家元の家にある舞台。
狭いので定員は80名。
だからAとBのプログラムに分かれていて1日2公演(1公演につき80名。入れ替え制)。
私は今習っているのが鞨鼓なので
師匠が一管で鞨鼓を吹くBプログラムをに行った。
藤田舞台は狭いから、名古屋能楽堂と比べて客席と舞台の間が極めて狭い。
だから舞台上がよく見えてよい。
囃子方の息遣いもよく聞こえる。
この公演は最初はメンバートークがある。
観世喜之さんが中心となってトークを引っ張っていく。
その後が演奏と半能。
私は能楽は音で楽しむ派なのでこういう形態の舞台は好きだ。
師匠の鞨鼓。稽古のときも見本として吹かれるが、
やっぱり舞台上での気合が入った演奏はいつもと違う。
でも、やっぱり師匠の笛の音だ。
その後の半能(熊坂)はスゴイ迫力だった。
シテが長刀を振る場面があるが
客席から舞台までが近いので目の前を長刀が突きつけられるように感じて
少し怖いくらいだった。
次回の公演は9月。今度は名古屋能楽堂だとのこと。
土曜日開催だから仕事の都合がどうなるかわからないが、
出来るだけ行きたいと思っている。
これは、能の旅人という能楽公演の第4回目のもの。
今回は名古屋能楽堂ではなく、いつも笛の稽古で通っている藤田舞台が会場だ。
普段稽古で通っているときとは違ってたくさんの人が出入りし、
ちゃんと観客席が用意されているのが不思議な感じだ。
さて、藤田舞台は能楽笛方藤田流の家元の家にある舞台。
狭いので定員は80名。
だからAとBのプログラムに分かれていて1日2公演(1公演につき80名。入れ替え制)。
私は今習っているのが鞨鼓なので
師匠が一管で鞨鼓を吹くBプログラムをに行った。
藤田舞台は狭いから、名古屋能楽堂と比べて客席と舞台の間が極めて狭い。
だから舞台上がよく見えてよい。
囃子方の息遣いもよく聞こえる。
この公演は最初はメンバートークがある。
観世喜之さんが中心となってトークを引っ張っていく。
その後が演奏と半能。
私は能楽は音で楽しむ派なのでこういう形態の舞台は好きだ。
師匠の鞨鼓。稽古のときも見本として吹かれるが、
やっぱり舞台上での気合が入った演奏はいつもと違う。
でも、やっぱり師匠の笛の音だ。
その後の半能(熊坂)はスゴイ迫力だった。
シテが長刀を振る場面があるが
客席から舞台までが近いので目の前を長刀が突きつけられるように感じて
少し怖いくらいだった。
次回の公演は9月。今度は名古屋能楽堂だとのこと。
土曜日開催だから仕事の都合がどうなるかわからないが、
出来るだけ行きたいと思っている。
2011年3月20日日曜日
愛知陸上競技協会 2010年度審判伝達講習会へ出席
これは毎年この時期に行われるもので、
ルール改正や今年度の各種大会(全国を含む)において起こった事例研究や報告、
審判の昇格者や表彰者の紹介などが行われる。
この講習会を受講することは審判の昇格の用件(直近5年間で3回以上出席)となっている。
陸上競技の審判なら当然受講すべき内容なのだが、
果たしてみんな出席できているんだろうか・・・。
私は名古屋支部なので瑞穂競技場の会議室での講習会へ行ってきた。
内容はいつもの通りで
事例研究では驚くような事例が報告される。
それと、来年度から名古屋国際女子マラソンはマラソンフェスティバルに衣替えすることが紹介され、
それに伴って女性の出場者が多くなることから女性審判員の増強が課題だと言う話になった。
女性ランナーが多数出場すると女性審判じゃないとできないことが増えるのだ。
例えば、ゴール後にナンバーカード(ゼッケン)についているタグを取る担当やトイレ誘導員など。
ドーピング係も全員女性審判だ。
と言っても、そう簡単には女性審判を増やせないから、
補助員を多数お願いして切り抜けるしかないだろうな。
マラソンフェスティバル・・・一体どうなることやら。
2011年3月16日水曜日
半田信用金庫 80周年記念講演会に三宅久之氏が登場
地元の信用金庫のうちのひとつ、
半田信用金庫が今年で創立80周年ということで記念講演会を開催した。
この講演会にはなんとあの三宅久之氏を招くというので早々にチケットをゲットして聞きに行った。
講演会は18時30分開始。
もちろんこんな時間には仕事から帰って来られないから、
有給休暇を取得!
東北で地震があった影響で首都圏も大混乱の中、
講演会が開催されるか微妙であった。
しかし、予定通り開催された。
当日、ちょっと早めに出かけたつもりが市内は渋滞気味。
やっと到着したらすでに結構先客がいた。
会場は半田市福祉文化会館(雁宿ホール)。
客の平均年齢はちょっと高い。
私はそれより下だ。
そりゃ、こんな時間では仕事をしている人では来ることは不可能だからなあ。
せっかくの講演会なのに惜しい。
今日のチケットは2月中旬に配布終了(満席)とのことだった。
そう、聴講料は無料だったのだ。
タダで三宅先生の話が聞けてラッキーだ。
さて、講演の中身は「たかじんのそこまで言って委員会」と大体似たような雰囲気だ。
三宅先生の毒舌も絶好調で、
直前に発生した東北の大地震の話題もちゃんと盛り込んでいて
素晴らしい情報収集能力だと驚くばかりだ。
しかも、三宅先生は半田信用金庫より2年年上の82歳になる(今年の誕生日が来たら)。
足腰は弱っていても頭脳は明晰。
人生のほとんどが記者生活だから、
取材のルートも多数持っているのだろう。
記者による講演会だから、
政界や財界の内輪ネタや政治家などの批評が中心だが、
もともとその方面に興味があるから楽しく聞くことができた。
ためになる話もいくつかあったが、
それをここに書くと長くなってしまうから止めておこう。
しかし、三宅先生が認める政治家は後藤田正晴(カミソリ後藤田)だったか~
半田信用金庫が今年で創立80周年ということで記念講演会を開催した。
この講演会にはなんとあの三宅久之氏を招くというので早々にチケットをゲットして聞きに行った。
講演会は18時30分開始。
もちろんこんな時間には仕事から帰って来られないから、
有給休暇を取得!
東北で地震があった影響で首都圏も大混乱の中、
講演会が開催されるか微妙であった。
しかし、予定通り開催された。
当日、ちょっと早めに出かけたつもりが市内は渋滞気味。
やっと到着したらすでに結構先客がいた。
会場は半田市福祉文化会館(雁宿ホール)。
客の平均年齢はちょっと高い。
私はそれより下だ。
そりゃ、こんな時間では仕事をしている人では来ることは不可能だからなあ。
せっかくの講演会なのに惜しい。
今日のチケットは2月中旬に配布終了(満席)とのことだった。
そう、聴講料は無料だったのだ。
タダで三宅先生の話が聞けてラッキーだ。
さて、講演の中身は「たかじんのそこまで言って委員会」と大体似たような雰囲気だ。
三宅先生の毒舌も絶好調で、
直前に発生した東北の大地震の話題もちゃんと盛り込んでいて
素晴らしい情報収集能力だと驚くばかりだ。
しかも、三宅先生は半田信用金庫より2年年上の82歳になる(今年の誕生日が来たら)。
足腰は弱っていても頭脳は明晰。
人生のほとんどが記者生活だから、
取材のルートも多数持っているのだろう。
記者による講演会だから、
政界や財界の内輪ネタや政治家などの批評が中心だが、
もともとその方面に興味があるから楽しく聞くことができた。
ためになる話もいくつかあったが、
それをここに書くと長くなってしまうから止めておこう。
しかし、三宅先生が認める政治家は後藤田正晴(カミソリ後藤田)だったか~
2011年3月14日月曜日
東北の大震災と大津波
とんでもない大地震が起こった。
それに伴う大津波・・・。
今までに見たこともない大惨事だ。
とても言葉に表せない悲しさと恐怖。
地震の2日後に地元の祭の集まりがあったが、
猛者ぞろいの若い衆も流石に言葉少なだった。
わが地元の亀崎は海沿いの町。
東海・東南海地震の際には2~5mの津波が来ると想定されている地区だ。
みんな自分のことのように危機感を持っているのだ。
地震があったとき、私は仕事中だった。
職場は1階だから大きく揺れたわけではないけど、
座っているのに何だかふらふらしてめまいがしているのだと思っていた。
しかし、あまりにも長いので視線を上げたら天井からつり下がっているものが揺れていて地震と分かった。
阪神大震災のときもかなり長く揺れたから、
これはきっと大地震だと嫌な予感がしていたが、やはりそうだった。
地震情報の第一報はネットよりテレビのテロップが早かった。
ネットはみんなが集中してアクセスするから容量オーバーになってつながらなかったからだ。
テレビはそんなことはない。
ネット全盛の時代とは言え、やはり電波で一斉送信できるテレビ・ラジオの効果は絶大だ。
あと、震災に関するチェーンメールやデマが多数寄せられた。
多くの友人が騙されて携帯メールで転送してきたのだが、
それはデマだと伝えた。
転送されたメールその1は、
千葉の石油コンビナートで爆発が起こり、その影響で有毒物質が発生したから
雨に毒物が混じって危険だというもの。
でも、爆発したのはLPガスのタンクらしいから、
爆発的に燃えても有毒ガスはほとんど出ない。
化学反応式を見てみると分かる。
燃焼すると何と水まで出来てしまう。
だからガスで魚を焼くと炭で焼いたようにこんがりとおいしくないわけだ。
もうひとつのチェーンメールは、
東電のエリアへ送電するというもの。
こちらはかなり手が込んでいて、
関電に勤務する人の架空の名前まで付いて回ってきた。
これも、関電エリア(中電も同じだが)は東電と違って電気の周波数が違うから、
変電しないと送電できないのだ。
そもそも、そのメールには今日中に電気の備蓄が底をつくと書いてあったが、
電気がそんなに大量に備蓄できるなら苦労しないぞ。
世界中のメーカーが電気自動車の動力源となる燃料電池の開発にしのぎを削っていることを考えたらわかるだろう。
とまあ、よくチェックすれば分かるようなデマだったが、
大震災に対して多くの人が何かしなきゃという善意の心を狙った愉快犯だと思われる。
困ったものだ。
それはそうと、
チェーンメールが届くよりツイッターのタイムラインの方が早くこの情報が流れた。
そういう意味では、今回の地震ほどSNSが公共利用目的として注目されたことはないだろう。
政府や東電が情報統制してあまり漏らさないようにしていたのに、
ここでは憶測やガセネタを含めて多くの情報が流れていた。
ただ、ツイッターをはじめとするSNSもよく注意して使わねばならない。
偽情報が氾濫、あるいは巧妙に嘘をまぶしたそれらしい情報を流す輩がいるからだ。
善意の第三者はきちんと内容をチェックせずにそれを転送してしまうから
ここでもチェーンメールのような状態となっていた。
ツイッターではRTというが、クリックひとつで大量に転送できてしまう恐ろしさがある。
正しい情報を見極める力は必須だ。
被災地は広範囲に広がり、
復興までの道のりは極めて長くなることが予想される。
支援ボランティアに行きたいという声をよく聞くが、
ボランティアに行くなら自力で自分の生活全てのことができなければならない。
例えば、現地への行き帰り。
現地の公共交通機関は停止しているし、道路も寸断されているから、
被災地へ入るのも被災地内を移動するのも至難の業だと覚悟しなければならない。
もちろん、車の燃料も自分で持参しなければならない(現地では手に入らない)。
また、自分の食べ物や寝る場所は自分で確保しなければならない。
それは、被災地では食べ物も寝る場所も不足しているからだ。
被災地の方を支援に行くと言いながら、
避難所などで寝て、そこで食べ物を貰う行為は被災地の方に迷惑を掛けることになるのだ。
こう考えると、自力で自己完結できる能力があるのは自衛隊くらいしかいないだろう。
彼らは自力で現地へ入り、
衣食住全てのことを自力で賄える。
素人にはそれができないし、装備もない。
だから、ボランティアに行こうと考えている方は現地の受入体制がもっと整ってからでないと
帰って足をひっぱることになることを理解する必要がある。
私は定職があって、遠方まで支援に行くことはできない。
だから、こちらにいてもできることをしていこうと思う。
募金をすることもよいが、
日常生活において被災地に迷惑を掛けないことが被災地以外にする者のすべきことだと思う。
例えば買占め。
被災地以外が品薄になれば被災地へ回す食料も不足する。
その上、関東では品薄になったために西日本の親戚や知人に荷物を送るように依頼している人が多数いるらしく、
四国や九州の運送業者は関東向けの宅配便の量が激増しているという。
これも西日本から被災地へ荷物を運ぶべき運送業者の足を引っ張っていることになり
厳につつしまねばならない。
不謹慎と言われてしまうかもしれないが、
この件についてなるほどと感じた映像を入手したので貼り付けておく↓。
私もできるだけのことをしたいと思っている。
それに伴う大津波・・・。
今までに見たこともない大惨事だ。
とても言葉に表せない悲しさと恐怖。
地震の2日後に地元の祭の集まりがあったが、
猛者ぞろいの若い衆も流石に言葉少なだった。
わが地元の亀崎は海沿いの町。
東海・東南海地震の際には2~5mの津波が来ると想定されている地区だ。
みんな自分のことのように危機感を持っているのだ。
地震があったとき、私は仕事中だった。
職場は1階だから大きく揺れたわけではないけど、
座っているのに何だかふらふらしてめまいがしているのだと思っていた。
しかし、あまりにも長いので視線を上げたら天井からつり下がっているものが揺れていて地震と分かった。
阪神大震災のときもかなり長く揺れたから、
これはきっと大地震だと嫌な予感がしていたが、やはりそうだった。
地震情報の第一報はネットよりテレビのテロップが早かった。
ネットはみんなが集中してアクセスするから容量オーバーになってつながらなかったからだ。
テレビはそんなことはない。
ネット全盛の時代とは言え、やはり電波で一斉送信できるテレビ・ラジオの効果は絶大だ。
あと、震災に関するチェーンメールやデマが多数寄せられた。
多くの友人が騙されて携帯メールで転送してきたのだが、
それはデマだと伝えた。
転送されたメールその1は、
千葉の石油コンビナートで爆発が起こり、その影響で有毒物質が発生したから
雨に毒物が混じって危険だというもの。
でも、爆発したのはLPガスのタンクらしいから、
爆発的に燃えても有毒ガスはほとんど出ない。
化学反応式を見てみると分かる。
燃焼すると何と水まで出来てしまう。
だからガスで魚を焼くと炭で焼いたようにこんがりとおいしくないわけだ。
もうひとつのチェーンメールは、
東電のエリアへ送電するというもの。
こちらはかなり手が込んでいて、
関電に勤務する人の架空の名前まで付いて回ってきた。
これも、関電エリア(中電も同じだが)は東電と違って電気の周波数が違うから、
変電しないと送電できないのだ。
そもそも、そのメールには今日中に電気の備蓄が底をつくと書いてあったが、
電気がそんなに大量に備蓄できるなら苦労しないぞ。
世界中のメーカーが電気自動車の動力源となる燃料電池の開発にしのぎを削っていることを考えたらわかるだろう。
とまあ、よくチェックすれば分かるようなデマだったが、
大震災に対して多くの人が何かしなきゃという善意の心を狙った愉快犯だと思われる。
困ったものだ。
それはそうと、
チェーンメールが届くよりツイッターのタイムラインの方が早くこの情報が流れた。
そういう意味では、今回の地震ほどSNSが公共利用目的として注目されたことはないだろう。
政府や東電が情報統制してあまり漏らさないようにしていたのに、
ここでは憶測やガセネタを含めて多くの情報が流れていた。
ただ、ツイッターをはじめとするSNSもよく注意して使わねばならない。
偽情報が氾濫、あるいは巧妙に嘘をまぶしたそれらしい情報を流す輩がいるからだ。
善意の第三者はきちんと内容をチェックせずにそれを転送してしまうから
ここでもチェーンメールのような状態となっていた。
ツイッターではRTというが、クリックひとつで大量に転送できてしまう恐ろしさがある。
正しい情報を見極める力は必須だ。
被災地は広範囲に広がり、
復興までの道のりは極めて長くなることが予想される。
支援ボランティアに行きたいという声をよく聞くが、
ボランティアに行くなら自力で自分の生活全てのことができなければならない。
例えば、現地への行き帰り。
現地の公共交通機関は停止しているし、道路も寸断されているから、
被災地へ入るのも被災地内を移動するのも至難の業だと覚悟しなければならない。
もちろん、車の燃料も自分で持参しなければならない(現地では手に入らない)。
また、自分の食べ物や寝る場所は自分で確保しなければならない。
それは、被災地では食べ物も寝る場所も不足しているからだ。
被災地の方を支援に行くと言いながら、
避難所などで寝て、そこで食べ物を貰う行為は被災地の方に迷惑を掛けることになるのだ。
こう考えると、自力で自己完結できる能力があるのは自衛隊くらいしかいないだろう。
彼らは自力で現地へ入り、
衣食住全てのことを自力で賄える。
素人にはそれができないし、装備もない。
だから、ボランティアに行こうと考えている方は現地の受入体制がもっと整ってからでないと
帰って足をひっぱることになることを理解する必要がある。
私は定職があって、遠方まで支援に行くことはできない。
だから、こちらにいてもできることをしていこうと思う。
募金をすることもよいが、
日常生活において被災地に迷惑を掛けないことが被災地以外にする者のすべきことだと思う。
例えば買占め。
被災地以外が品薄になれば被災地へ回す食料も不足する。
その上、関東では品薄になったために西日本の親戚や知人に荷物を送るように依頼している人が多数いるらしく、
四国や九州の運送業者は関東向けの宅配便の量が激増しているという。
これも西日本から被災地へ荷物を運ぶべき運送業者の足を引っ張っていることになり
厳につつしまねばならない。
不謹慎と言われてしまうかもしれないが、
この件についてなるほどと感じた映像を入手したので貼り付けておく↓。
私もできるだけのことをしたいと思っている。
2011年3月11日金曜日
さらば俊樹
私のバイクの整備をずっと頼んでいたメカニックが事故死してしまった。
未だに信じられない。
奴とは地元の祭りでも同じ組に所属しているから
メカニックになる前から知っていた。
ただ、私とはかなり年齢が離れているから祭りではあまりかかわったことがない。
私が若い衆だった頃はまだ子どもだった。
今は奴が若い衆の年齢。
これからだというときに・・・。
そういえば、奴は去年が年行司だったから
今年は初めて若手取として臨む祭りだったんだ。
あと2カ月で祭りか・・・。
ただひらすら悲しい。
仕事の関係で通夜には行けなかったから
私は告別式に行った。
通夜では若い衆が集まり、祭りのお囃子を演奏したそうだ。
葬儀場へ俊樹を運ぶ時は組事務所の前を通ったと言っていた。
告別式は昼間にあったのにもかかわらず多くの参列者があった。
まだ24歳。
早すぎる死だけに悲しい葬儀だった。
会場には組事務所から持ってきた祭りの写真や看袢などが飾ってあった。
お棺には祭りの装束や手ぬぐいなどが入れられた。
祭好きだから、きっとあの世で喜んでいるだろう。
奴の職場の上司は私の陸上部の先輩だ。
後で職場を訪ねて話を聞いた。
それによると、
事故の日は俊樹は出勤だった。
この日はたまたま店主催のナイトランツーリングがある日だったので、
仕事を終えてからツーリングに合流し、
その帰途(解散したあと)に事故にあったらしい。
第一発見者はツーリング参加者で、
その日が納車だった人とのことだった。
事故の当初はまだ意識がしっかりあり、
「痛ってぇ~、俺の靴が無い」などと言っていたそうだ。
そして自分で救急車に乗り、
そのあと容態が急変して帰らぬ人となった。
先輩は深夜に病院の霊安室に駆けつけ、
涙をこらえて
「お前のせいで仕事が忙しくなったがや」
と言葉をかけたそうだ。
メカニックとしてかなり期待していただけに余計に悲しいと言っていた。
先輩は仕事に対する見方が厳しい人で、
その人に期待されていたということは相当有望株だったのだろう。
そういえば、私のバイクは俊樹と同じ歳じゃないのか?
製造後24年目だから。
昨年エンジンのオーバーホールをしてもらった。
クランクまですべてばらしてもらい、今も絶好調だ。
俊樹が整備してくれたバイク、ずっと乗り続けるぞ。
未だに信じられない。
奴とは地元の祭りでも同じ組に所属しているから
メカニックになる前から知っていた。
ただ、私とはかなり年齢が離れているから祭りではあまりかかわったことがない。
私が若い衆だった頃はまだ子どもだった。
今は奴が若い衆の年齢。
これからだというときに・・・。
そういえば、奴は去年が年行司だったから
今年は初めて若手取として臨む祭りだったんだ。
あと2カ月で祭りか・・・。
ただひらすら悲しい。
仕事の関係で通夜には行けなかったから
私は告別式に行った。
通夜では若い衆が集まり、祭りのお囃子を演奏したそうだ。
葬儀場へ俊樹を運ぶ時は組事務所の前を通ったと言っていた。
告別式は昼間にあったのにもかかわらず多くの参列者があった。
まだ24歳。
早すぎる死だけに悲しい葬儀だった。
会場には組事務所から持ってきた祭りの写真や看袢などが飾ってあった。
お棺には祭りの装束や手ぬぐいなどが入れられた。
祭好きだから、きっとあの世で喜んでいるだろう。
奴の職場の上司は私の陸上部の先輩だ。
後で職場を訪ねて話を聞いた。
それによると、
事故の日は俊樹は出勤だった。
この日はたまたま店主催のナイトランツーリングがある日だったので、
仕事を終えてからツーリングに合流し、
その帰途(解散したあと)に事故にあったらしい。
第一発見者はツーリング参加者で、
その日が納車だった人とのことだった。
事故の当初はまだ意識がしっかりあり、
「痛ってぇ~、俺の靴が無い」などと言っていたそうだ。
そして自分で救急車に乗り、
そのあと容態が急変して帰らぬ人となった。
先輩は深夜に病院の霊安室に駆けつけ、
涙をこらえて
「お前のせいで仕事が忙しくなったがや」
と言葉をかけたそうだ。
メカニックとしてかなり期待していただけに余計に悲しいと言っていた。
先輩は仕事に対する見方が厳しい人で、
その人に期待されていたということは相当有望株だったのだろう。
そういえば、私のバイクは俊樹と同じ歳じゃないのか?
製造後24年目だから。
昨年エンジンのオーバーホールをしてもらった。
クランクまですべてばらしてもらい、今も絶好調だ。
俊樹が整備してくれたバイク、ずっと乗り続けるぞ。
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