2012年11月24日土曜日

伊勢門水展へ行ってきた

伊勢門水展へ行ってきた。
この展覧会を開催している古美術店の方からお誘いがあったからだ。
この方には昔からいろいろお世話になっていて、
こうして声をかけていただけるのが嬉しい。

愛知で祭と能楽を愛好している者で伊勢門水を知らない者はモグリだと言えるほど、
伊勢門水は著名な文化人だと思う。
私が門水を知ったのは祭関係からで、
その後能・狂言関係でも活動していたことを知った。

伊勢門水は実は本名ではない。
水野宇右衛門が本名だ。
屋号は伊勢屋。
これをもじって芸名を考えたらしい。
水野宇右衛門→→水の上の門→門水
という形。
実に洒落ている。

展覧会のチラシにある門水の解説は次の通り。
<本名>水野宇右衛門 別号・沢道庵
<生没年>安政六年(1859)二月二十五日~昭和七年(1932)一月十五日(享年七十九歳)
 末廣町(現名古屋市中区栄三丁目)の旗商「伊勢屋」七代目。本名を「水の上の門」と洒落て「伊勢門水」と号した。門水翁には狂言師、画家、山車祭礼を調査した「お祭り庄サ」、さらには以上をも含めた「オシャラク人」としての多様な顔がある。
 狂言は六歳の時に四世早川幸八に師事し、明治二十四年には「狂言共同社」設立に参加した。洒脱で独特な惚けた芸風で、「鬼瓦」の大名等、人情味溢れる役柄を得意とした。
 門水翁の能狂言画が世に出たのは、明治四十年に木村金秋・織田杏斎が発起人となった「鳳友画会」が最初である。元々機関誌「能楽」に掲載された彼の挿絵が評判を呼び、予約者が七百名を超えた。舞台の特徴をよくとらえ、生き生きとした画風は、当時の能楽評論家・坂元雪鳥や画家の前田青邨から大絶賛された。その後も大正八年の還暦画会、昭和四年の金婚高砂画会を催し、また地方から招かれて行脚画会も開催した。 ・・・以下省略


私の手元には門水の作品は無い。
あると言えばあるが、
それは「名古屋祭」という門水が出版した本だ(明治時代のもの)。
私のは昭和になってからの再販版ではなくて門水が生きている時代に出版されたもの。
かなりボロボロだが私の宝の一つだ。
でも、やっぱり門水の肉筆の作品を一つでいいから入手したい!
しかし、手が出るかどうか・・・。
無い袖は振れない。難しい問題だ。
いつか翁の掛け軸を入手したい。

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