2012年10月7日日曜日
名駅の登山用品店「駅前アルプス」が移転!
もう通い出して20年くらいになる名駅の登山用品店「駅前アルプス」が移転した。
元々店があった第二豊田ビルが建替えするからだ。
移転先は、旧店舗の目の前に新築完成した名古屋クロスコートタワー1階だ。
全面移転したのはお盆のころだったが、
中々都合がつかなくてようやく行けた。
やっぱり新築のビルの店だけあって、以前とはかなり雰囲気が違う。
かなりおしゃれになってしまった感じだ(個人的には山やはおしゃれじゃなくてもいいと思うけど、
すべて新しくしたからおしゃれな感じになっても仕方ない)。
前の店よりは面積が少し狭くなったかな。
それでも結構の広さがある。
私がこの店に通い出してもうかなりの年数が経っているから
お店の人たちもそれなりの年齢になってきた。
そういう私も同じように歳を取った。
登山用品は日常生活にはあまり関係が無いと思う人が多いと思うが、
そうでもない。
登山用の着るものは基本的に速乾性の生地だから、
普段使いにしてもいい(バーゲン品になったものなど本当にお値打ち)。
ザックも、見た目重視じゃなくて性能重視のものを多数置いてるから、
ここで選ぶといいと思う(今使っているのはここで買った)。
他の店で値段だけにつられて見た目重視のザックを買ってしまわないように。
やっぱり、安かろう悪かろうだと思う。
最近は登山に行く時間的ゆとりがないためこの店へもあまり来ることがないが、
それでも定期的にウィンドーショッピングをして目を肥やしている。
買わなくても観るだけでも楽しいから。
また、登山に行きたいなあ。
2012年10月1日月曜日
第30回駒ヶ根高原マラソンへ出場!
中央アルプス駒ヶ根高原マラソンへ出場した。
今年は第30回記念大会だそうで、過去最高の4000人を超える参加者があった。
ゲストランナーは今年は有森裕子だった。
私は一昨年に続いて2回目の出場だ。
この大会は前夜祭で地ビール・地酒飲み放題や大抽選会があるし、
エントリーした人には市内観光施設など割引券が貰えるから
結構いい大会だと思う。
この時期のレースってあまり無いところもポイント。
難点はかなりきつい坂道が多いコースだというところ。
走れば分かるが、あり得ない角度の坂が延々続いているのだ。
自転車に乗って登り切るのは無理!というくらいきつい坂だ。
ただ、スタート前にチラッと小耳にはさんだ話によると、
来年はコースが変わるかも知れないとか(市街地の方へ)。
ちょっと楽しみだったりする。
今回も泊まるのは駒ヶ根ユースホステル。
相部屋である意味合宿所みたいだから疲れるという人もいるが、
私はあまり気にならない。
ユースは厳しいというのは昔の話。
試合前日に泊まる人はほとんど出場予定者とその家族だ。
私の部屋に泊まっている人もほとんどが出場者。
ユースとは名ばかりで宿泊者の平均年齢は高い。
前回出場したときに知り合った方々は1名を除いて会えなかった。
会えたのは79歳のランナーNさんだ。
この人はなんと宿で同じ部屋、しかも私の下のベッドだった。
Nさんは前回会ったときも名前と顔を覚えられないと言っていたが、
今回再会してもやっぱり私を覚えていなかった(一緒に夕飯食べたのに)。
前夜祭で酒をたらふく飲んだらしくベロベロに酔っぱらっていた。
でも、お互いの自宅が比較的近いということもあっていろいろ話をしてくれた。
今までの出場レースのこと、練習のこと、家族のこと。
定年後から本格的にマラソンに取り組み、
今でも年間5レースくらいはフルマラソンやウルトラマラソンを走るとか。
毎日30km走っているというからすごい(今年の誕生日で80歳になる)。
海外遠征へも何度も行っているそうだ。
市民ランナーは長い距離のレースの方が格が上だという意識が強いみたい。
いろんな人と話をして、私は6kmの部だと話すと「な~んだ」と言われる。
駒ヶ根高原マラソンは15kmの部があるからだ。
私は練習が全然できておらず、15km走れる足が出来ていない。
だから、6kmの部へエントリーしている。
普段は5kmのレースに出ているからこの距離のレースが好きだし。
でも、いつか15kmの部へ出てNさんと一緒に走りたいなあ。
ちなみにNさんはフルマラソンを4時間ちょっとで走るそうだから
79歳でも侮れないのだ(イーブンペースでしか走れないから、短い距離は遅いらしい)。
今回のタイム、私は一昨年のタイムより7秒遅いだけだった。
前回出場したときより練習不足で年齢もアップしているのにほぼ同タイムだから、
これはまあまあなんじゃないか?
11月の試合に期待できそうだ。
さて、今回は練習不足が深刻ということで実は観光が主目的だった。
金欠だから往復ともに全部下道でドライブ気分。
通る道は飯田街道(国道153号)で、標高1,000mを超える治部坂峠など数多くの峠を越える。
道は勾配がきつくて曲がりくねっているからそれなりに楽しいワインディングロードだ。
行きは途中の飯田の街で寄り道(美術博物館とか図書館とか)、
帰りは駒ヶ根市内でちょっと寄り道したあとに元善光寺や信玄塚で寄り道した。
台風が接近しているから本当は帰りは寄り道せずにすぐ帰ればよかったのだが、
まあ少しの時間だし大丈夫だろうと思っていた。
しかし、台風のスピードが予想以上にアップしていたために、
帰宅時は途中から暴風雨の中を走ることに!
飯田街道の山間部は雨量規制が入る厳しい道だから、
早く通り抜けないとヤバい。
でも、雨が降ってるから前が見えない上に路面が滑るから怖い。
平谷とか稲武とかを通っているときが雨が特に強くて怖かったなあ。
ワイパーハイスピードにしても見えないくらいだった。
休憩なしで山間部のルートを通り抜け、無事帰宅した。
こんな大雨の中を走ったのは20年振りくらいだ(そのときは台風のせいで名阪国道が通行止めになり、仕方なく紀伊半島中央部のガードレールの無いような3桁国道を通った)。
しかし、駒ヶ根はいいところだなあ。
あまりよく知っているわけじゃないんだけれど伊奈谷は全体的に好きかも知れない。
駒ヶ根の良くないところを挙げるとすると、海が無い・日暮れが早い・寒すぎる、というところか。
都会育ちの人は都会が遠いというのがストレスになるかも。
私は海沿いの地方都市育ちだから、駒ヶ根のようなところも好きだ。
ソースかつ丼もおいしいし。
今回も超特大ソースかつ丼を出す店として有名な「ガロ」へ行ってきた。
相変わらずすさまじいボリューム。
少食の人は絶対食べきれない。
しかも、メニューには大盛もあると書いてあった。
大盛食べる人って一体・・・。
私も少食になってきたので、最後はちょっと苦しかったなあ。
また駒ヶ根に行きたい。
そういえば、元善光寺に荒木貞夫揮毫の石碑があった。
どういう関係があるんだろうか。
この人は皇道派の軍人だって教科書で習うはずだけど違ったかな?
真崎甚三郎とか。違ったかな?
2012年9月24日月曜日
名駅今昔(名古屋市中村区 名古屋駅前)
私が大好きな名駅。
いろんな形でおよそ15年ほど過ごした街。
名駅はここ10年ほどで大きくビルが建て替わった。
そして、今もなお建て替えが続いている。
自宅で資料を整理していたときに
今は無き毎日ビルと豊田ビルの古い写真が出てきたので思わず見入ってしまった。
この写真は以前勤務していた会社の某代理店の社長からいただいたもの。
これらはその代理店の現場だったビルだと思う。
古い方は昭和30年の日付が入っている。
戦後10年で、周りはまだビルがほとんど無く、住宅地が広がっている。
完成後の写真はあの見慣れたビルだ。
建築業界や設計士業界では、
このビル群は道沿いにキレイに面が揃っており景観が素晴らしいと
評判だったらしい。
曲がり角は道路に合わせて建物の形も曲線になっているし。
玄人好みとの噂だった。
今はミッドランドが立っていて、
ビルは道沿いでは無く一歩下がった位置に立っている。
今は街の街全体としての景観は考慮せずにビル単体でのデザイン重視だから、
道沿いに面が揃うことはあまり無くなったかもしれない。
そもそも、道沿いではなくて、一歩下がって建築されることが多いこともあるだろう。
そういえば、今年で大名古屋ビルも建て替えのために取り壊し→建て替えとなる。
前のブログにも書いたとおり、
大名古屋ビルは地下街の店にもよく行っていたなど結構馴染みがあるビルだけに
取り壊しと聞いて寂しい気持ちだ。
地下街(ダイナード)ではいろんな店に行ったが、
ボンベイ(インドカレーの店)も一旦閉店するらしい。
ボンベイは辛いカレーを出すカレー専門店で、
水を使わないで野菜から出る水分だけでカレーを煮込むと言う。
今は2代目がお店を切り盛りしている。
前にこの店に来た時は、
ビルの取り壊しを前に移転を考えているようだった(他の客がそんな話をしていた) 。
しかし、「一旦閉店する」との掲示が・・・。
やっぱり他の場所へ移動して営業するのは難しいのだろうか。
名駅の客に、よそへ移転した店に来てもらうのはちょっと厳しいか。
最近は名駅が栄をしのぐような勢いがあるようだ。
かつてはオフィスビルばかりで商業地としてはイマイチ感があった名駅。
それが今は地下もうなぎ昇り。
しかし、ちょっと足を延ばせば昔ながらの住宅地や商店街があるのが名駅。
そういうところが好きだ(逆に、私は栄はどちらかというと苦手)。
またゆっくりと名駅を歩いてみたい(今も歩いてるけど、同じようなところばかりだから)。
いろんな形でおよそ15年ほど過ごした街。
名駅はここ10年ほどで大きくビルが建て替わった。
そして、今もなお建て替えが続いている。
自宅で資料を整理していたときに
今は無き毎日ビルと豊田ビルの古い写真が出てきたので思わず見入ってしまった。
この写真は以前勤務していた会社の某代理店の社長からいただいたもの。
これらはその代理店の現場だったビルだと思う。
古い方は昭和30年の日付が入っている。
戦後10年で、周りはまだビルがほとんど無く、住宅地が広がっている。
完成後の写真はあの見慣れたビルだ。
建築業界や設計士業界では、
このビル群は道沿いにキレイに面が揃っており景観が素晴らしいと
評判だったらしい。
曲がり角は道路に合わせて建物の形も曲線になっているし。
玄人好みとの噂だった。
今はミッドランドが立っていて、
ビルは道沿いでは無く一歩下がった位置に立っている。
今は街の街全体としての景観は考慮せずにビル単体でのデザイン重視だから、
道沿いに面が揃うことはあまり無くなったかもしれない。
そもそも、道沿いではなくて、一歩下がって建築されることが多いこともあるだろう。
そういえば、今年で大名古屋ビルも建て替えのために取り壊し→建て替えとなる。
前のブログにも書いたとおり、
大名古屋ビルは地下街の店にもよく行っていたなど結構馴染みがあるビルだけに
取り壊しと聞いて寂しい気持ちだ。
地下街(ダイナード)ではいろんな店に行ったが、
ボンベイ(インドカレーの店)も一旦閉店するらしい。
ボンベイは辛いカレーを出すカレー専門店で、
水を使わないで野菜から出る水分だけでカレーを煮込むと言う。
今は2代目がお店を切り盛りしている。
前にこの店に来た時は、
ビルの取り壊しを前に移転を考えているようだった(他の客がそんな話をしていた) 。
しかし、「一旦閉店する」との掲示が・・・。
やっぱり他の場所へ移動して営業するのは難しいのだろうか。
名駅の客に、よそへ移転した店に来てもらうのはちょっと厳しいか。
最近は名駅が栄をしのぐような勢いがあるようだ。
かつてはオフィスビルばかりで商業地としてはイマイチ感があった名駅。
それが今は地下もうなぎ昇り。
しかし、ちょっと足を延ばせば昔ながらの住宅地や商店街があるのが名駅。
そういうところが好きだ(逆に、私は栄はどちらかというと苦手)。
またゆっくりと名駅を歩いてみたい(今も歩いてるけど、同じようなところばかりだから)。
2012年9月15日土曜日
大名古屋ビルヂング あと半月ほどで閉館(名駅)
大名古屋ビル(大名古屋ビルヂング)が今年の9月30日で閉館し、
取り壊し→建て替えとなる(新ビルの竣工は2015年の予定)。
裏にある旧ロイヤルパークイン(元第一ホテル)のビルも、
その間にあった道路も大名古屋ビルと一体として新たなビル建設用地となるそうだ。
このエリアにまた巨大な高層ビルが建つことになる。
大名古屋ビルは名駅の建物の中でも特に愛着があるビルの一つだけに
無くなるのは寂しい感じだ。
このビルが特に愛着があるという明確な理由はよくわからない。
大名古屋ビルの地下街(ダイナード)の店には良く行ったし、
時間があるときにうろうろぶらついたこともよくあるし。
そういうものの積み重ねなんだろうか。
ビル内は比較的静かだから、
携帯電話時代が来る前はこのビルの地下の公衆電話を良く使っていた。
とりとめのない日常の思い出が一杯あるビル。
それに、何となくこのビルの古臭さが妙に落ち着く感じがするのも理由かも知れない。
当時は普通だったのかも知れないけれど、石のパネルを多様した壁面や階段。
それも壁の曲がり角はとがっていなくて石を曲線仕上げにしているなど結構凝った造りだ。
1階エレベーターホールの壁画も印象的。
ここ10年くらいの間、名駅でいろんなビルが建替えになっている。
JR名古屋駅・毎日ビル・豊田ビル・名古屋ビル・三井ビル・中経ビル・ターミナルビル(松坂屋とターミナルホテルが入っていたビル)・・・。
昔懐かしい建物が無くなるのを寂しく感じるのは私も歳を取ったということか。
ただ、上記のビルが取り壊しになるときと比較すると、
大名古屋ビルの取り壊しは特に寂しく感じる。
ターミナルビルや三井ビルの方が利用度は高かったんだけれど、
それだけの思い入れが無かったのかも。
もっとも、ターミナルビルは地下部分(テルミナのオリンピアや三省堂)の利用頻度だけが突出して高かったから単純には比較にはならないか(地下のオリンピアや三省堂が無くなるのは今回同様にかなり寂しかった)。
このビルの地下は名駅の地下街とつながっていて、
地下鉄名古屋駅やJR名古屋駅のすぐ近くだから結構便利。
地下の各店舗へは大学時代から良く行ってたから余計に愛着がある。
特に玉乃光へはよくお昼にご飯を食べに行ったな。
いつも「チキンの味噌かつ定食」ばかり食べていた。
ご飯とみそ汁はおかわり自由だし。
あとはその隣のスパゲティ屋チェスチーノ。
ランチがお値打ちだった。
HARBSではケーキセットでミルクレープを食べ、
サークルの暑気払いで八角へ行って盛り上がり、
ボンベイで辛いカレーを食べて胃が火を噴き、
花ころもでとんかつを食べ、
かんてらでミルクティー・・・。
地下街で行ってない店は竜むらくらいか?(ちょっと高そうなので)
その他のお店も、その店が入れ替わる前にあった店も何度も行った覚えがある。
ダイナード入口にある本屋(現在は三省堂)は昔は日進堂書店だったなあ。
玉音堂のババア(とみんなで呼んでいた)はまだ健在かなあ。
まだ携帯電話が普及していない時代には、
大名古屋ビルの公衆電話をよく使った。
電話が置いてある周りが静かで電話しやすかったからだ(地下街升半の近く)。
このビルもあと半月くらいで営業終了。
店子はどうなるんだろうなあ。
気になるのでお店の張り紙を見たところ、
移転する店より営業終了する店が多いように感じた。
近くに店を借りるのは難しいし、かと言って遠方で店を再開しても常連は行けないし。
お店を経営していくのは難しい。
今日行ってみたら、もうすでに半数以上の店子は営業終了していた。
9月30日まで営業する店は多分ほとんどないだろう(張り紙してない店がごくわずかあるので、
その店は30日までやるのか?)。
残りの日数、また営業している店に行きたいものだ。
大名古屋ビルが建替えということが広く告知されている関係で、
様子を観に来たり写真を撮ったりしている人がいた。
昔を懐かしむベテラン世代が多いのかと思っていたが
意外と若い人もいた。
元東海銀行の店舗だった場所では
「大名古屋ビルヂング閉館記念写真展」(無料)も開催されていて、
それを観に来る人も結構多い。
このビルが出来たときは私はまだ生まれていないから
写真でその時の様子を知った。
ビルが建設されたいきさつなども分かった。
また、特徴の一つの「ビルヂング」という標記は
名古屋だけ特別に、というわけではなくて
三菱地所(このビルのオーナー)が建てるビルには
最近まで「ビルヂング」と標記することに決まっていたということも分かった。
そう言えば、東京駅丸の内口すぐそばにあった大手町ビルも「ビルヂング」って書いてあった。
ただ、大名古屋ビルはビルの屋上にデカデカとビル名の看板があったから著名なのかも知れない。
このビルが出来た時は周りに大きなビルは無かったそうだが、
今は高層ビルに囲まれて午後はそのビルの日陰になってしまう。
新たなビルがまた愛着を持てるような設計・意匠・雰囲気だといいなあと思う。
取り壊し→建て替えとなる(新ビルの竣工は2015年の予定)。
裏にある旧ロイヤルパークイン(元第一ホテル)のビルも、
その間にあった道路も大名古屋ビルと一体として新たなビル建設用地となるそうだ。
このエリアにまた巨大な高層ビルが建つことになる。
大名古屋ビルは名駅の建物の中でも特に愛着があるビルの一つだけに
無くなるのは寂しい感じだ。
このビルが特に愛着があるという明確な理由はよくわからない。
大名古屋ビルの地下街(ダイナード)の店には良く行ったし、
時間があるときにうろうろぶらついたこともよくあるし。
そういうものの積み重ねなんだろうか。
ビル内は比較的静かだから、
携帯電話時代が来る前はこのビルの地下の公衆電話を良く使っていた。
とりとめのない日常の思い出が一杯あるビル。
それに、何となくこのビルの古臭さが妙に落ち着く感じがするのも理由かも知れない。
当時は普通だったのかも知れないけれど、石のパネルを多様した壁面や階段。
それも壁の曲がり角はとがっていなくて石を曲線仕上げにしているなど結構凝った造りだ。
1階エレベーターホールの壁画も印象的。
JR名古屋駅・毎日ビル・豊田ビル・名古屋ビル・三井ビル・中経ビル・ターミナルビル(松坂屋とターミナルホテルが入っていたビル)・・・。
昔懐かしい建物が無くなるのを寂しく感じるのは私も歳を取ったということか。
ただ、上記のビルが取り壊しになるときと比較すると、
大名古屋ビルの取り壊しは特に寂しく感じる。
ターミナルビルや三井ビルの方が利用度は高かったんだけれど、
それだけの思い入れが無かったのかも。
もっとも、ターミナルビルは地下部分(テルミナのオリンピアや三省堂)の利用頻度だけが突出して高かったから単純には比較にはならないか(地下のオリンピアや三省堂が無くなるのは今回同様にかなり寂しかった)。
このビルの地下は名駅の地下街とつながっていて、
地下鉄名古屋駅やJR名古屋駅のすぐ近くだから結構便利。
地下の各店舗へは大学時代から良く行ってたから余計に愛着がある。
特に玉乃光へはよくお昼にご飯を食べに行ったな。
いつも「チキンの味噌かつ定食」ばかり食べていた。
ご飯とみそ汁はおかわり自由だし。
あとはその隣のスパゲティ屋チェスチーノ。
ランチがお値打ちだった。
HARBSではケーキセットでミルクレープを食べ、
サークルの暑気払いで八角へ行って盛り上がり、
ボンベイで辛いカレーを食べて胃が火を噴き、
花ころもでとんかつを食べ、
かんてらでミルクティー・・・。
地下街で行ってない店は竜むらくらいか?(ちょっと高そうなので)
その他のお店も、その店が入れ替わる前にあった店も何度も行った覚えがある。
ダイナード入口にある本屋(現在は三省堂)は昔は日進堂書店だったなあ。
玉音堂のババア(とみんなで呼んでいた)はまだ健在かなあ。
まだ携帯電話が普及していない時代には、
大名古屋ビルの公衆電話をよく使った。
電話が置いてある周りが静かで電話しやすかったからだ(地下街升半の近く)。
このビルもあと半月くらいで営業終了。
店子はどうなるんだろうなあ。
気になるのでお店の張り紙を見たところ、
移転する店より営業終了する店が多いように感じた。
近くに店を借りるのは難しいし、かと言って遠方で店を再開しても常連は行けないし。
お店を経営していくのは難しい。
今日行ってみたら、もうすでに半数以上の店子は営業終了していた。
9月30日まで営業する店は多分ほとんどないだろう(張り紙してない店がごくわずかあるので、
その店は30日までやるのか?)。
残りの日数、また営業している店に行きたいものだ。
大名古屋ビルが建替えということが広く告知されている関係で、
様子を観に来たり写真を撮ったりしている人がいた。
昔を懐かしむベテラン世代が多いのかと思っていたが
意外と若い人もいた。
元東海銀行の店舗だった場所では
「大名古屋ビルヂング閉館記念写真展」(無料)も開催されていて、
それを観に来る人も結構多い。
このビルが出来たときは私はまだ生まれていないから
写真でその時の様子を知った。
ビルが建設されたいきさつなども分かった。
また、特徴の一つの「ビルヂング」という標記は
名古屋だけ特別に、というわけではなくて
三菱地所(このビルのオーナー)が建てるビルには
最近まで「ビルヂング」と標記することに決まっていたということも分かった。
そう言えば、東京駅丸の内口すぐそばにあった大手町ビルも「ビルヂング」って書いてあった。
ただ、大名古屋ビルはビルの屋上にデカデカとビル名の看板があったから著名なのかも知れない。
このビルが出来た時は周りに大きなビルは無かったそうだが、
今は高層ビルに囲まれて午後はそのビルの日陰になってしまう。
新たなビルがまた愛着を持てるような設計・意匠・雰囲気だといいなあと思う。
2012年9月9日日曜日
登呂遺跡と芹沢銈介美術館へ行ってきた(静岡市)
登呂遺跡に行ってきた。
今から20年くらい前にも一度行っているのだが、
その時の印象はあまり無い。
埴輪の複製品が売っていたことくらいしか覚えていないのだ。
だから、今回はしっかりと目に焼き付けてこようと気合いを入れて出かけた。
登呂遺跡は静岡駅の南およそ3kmくらいのところにある。
目の前には東名高速道路が走っている。
太平洋戦争時に軍需工場を作ろうとして掘っていたところ、木製品や水田跡が見つかり、
それが弥生時代のものだと判ったところから登呂遺跡は脚光を浴びた。
日本史の教科書には必ず掲載されているからみんな知っていると思う。
静岡駅南口から石田街道を南に進めば登呂遺跡に着く。
健脚なら歩くのもまたよい。
私は健脚だから3kmくらいの距離は余裕なのだが、
普通の人は静鉄バスがたくさん走っているからバスに乗った方がよい。
現在の登呂遺跡の周りは住宅地となっている。
バス停のある北側から遺跡に入ると、目の前が再建された住居や倉庫などがあるエリアだ。
それを一通り見学する。
土日はボランティアガイドの方がいて、
詳しい説明や、子ども向けの火起こし体験などを行っている。
ある復元住居に入った時、ボランティアガイドさんから重要な話を聞いた。
一般的に、弥生時代の住居=竪穴式住居と思いがちだが、登呂遺跡は違うという。
一見したところ登呂遺跡で復元されている住居は竪穴式住居だと思えるのだが・・・。
でも、よく見ると住居の周りの地面の高さがポイントがあった。
住居の周りを土で高く盛り上げていたのだ。
つまり、住居内の地面の高さと住居の周りの地面の高さと同じだった。
竪穴式住居とは地面を掘り下げて、そこに柱を立てて梁などを組み合わせて
葦などの屋根を葺いて作る住居のことを言うが、
登呂遺跡では地面を掘り下げていないので竪穴式では無い。
ということで、登呂遺跡の住居は平地式住居と言うらしい。
ウィキペディアでは竪穴式住居の項に例として登呂遺跡の住居の写真を載せているが
これは誤りである。
屋根部分だけを見て竪穴式住居だと勘違いしてはいけないのだ。
解説された方によると、学校の先生などでも登呂遺跡=竪穴式住居だと思い込んでいる人が多いので、
帰ったら教えてやって欲しい!とのことだった。
でも、なぜここは竪穴式にはしなかったのか?
住居の周りにこれだけの土を盛り上げる方が返って大変なのに。
理由はこのエリアの地質にあった。
このあたりはもともと安倍川の氾濫原で地中の水分が多いらしい。
だから、竪穴を掘ると湧水があるなどして住んでいられないために
掘るのを止めて平地式としたらしい。
なるほど、この歳になるまで知らなかった・・・勉強になった。
あと、勉強になったと言えば、
あの有名な「安倍川餅」メーカーの「やまだいち」は登呂遺跡の隣にあることが分かったこと。
ここで作ったものが駅で売られているんだな。
ガイドさんの説明を受けた後に、復元された水田を見つつ
遺跡の南側に建つ登呂博物館へ行く。
前に来たときはこんなの無かった。
内部を見学し、屋上から遺跡を俯瞰する。
天気がイマイチだったので富士山は観えなかったのが残念。
そして、ここのミュージアムショップがイイ!
女子はあまり興味が無いかも知れないが、
男の子なら興味がありそうなものがたくさん売っている(遺跡好きな女子なら気に入るかも)。
欲しいものがたくさんあるが、無い袖は振れない。
今回はテラダモケイ監修の弥生住居キットを買った(田宮模型製)。
また作ってないけど楽しみ。
で、今回はこのまま帰る予定だったのだけれど、
登呂博物館の西隣に芹沢銈介美術館というのがあるのに気付いた。
建物の前まで行ってみて、
静岡市立の美術館なのに普通の美術館とはちょっと違った立派な建物なのに興味をもったので
入ってみることにした。
芹沢銈介についてはほとんど知らなかったけれど、
展示されている作品を見てすぐ気に入った。
染色でこんな色合いを出せるとは・・・。
そして琉球紅型のような色合いの作品も結構あった(指導を受けた成果らしい)。
建物は御影石を多様した重厚な造りで、
内部の意匠もさりげなく凝っているところが結構あった。
ここはオススメだ。
気に入る作品がきっと見つかると思う。
ちゃんと手荷物ロッカー(無料)もあるしミュージアムショップもあるし、
来てみてよかった。
ただ、シリーズ絵ハガキ「春夏秋冬」の夏だけが売り切れていたのが残念だった。
そうだ、書き忘れるところだったが、
復元された平地式住居の中にはちゃんと火災報知機(感知器)が付いていた!
しかし、何で防爆型(日本フェンオール製)が付いているのか?
直火でカマドに火をつけるからなのか?
ちなみに、登呂博物館はホーチキの火災報知システムが入っていた。
建物に入ると必ず火災報知機をチェックしてしまう癖はなかなか治らない。
2012年9月2日日曜日
亀崎のイベント「ろじうらVol.3」でボランティアを募集中!
今年で3回目となった亀崎のイベント「ろじうら」。
今回はあの桟掛祭とコラボレーション!
10月21日(日)に開催予定で準備を進めています。
その運営のお手伝いをしてくれるボランティアスタッフを募集中です。
私たちと一緒に楽しいイベントを作りませんか?
多数のご応募お待ちしております!
詳しくは下記のろじうらサイトへGo!
ろじうら ボランティア申し込みフォーム
2012年8月26日日曜日
マリー・アントワネット物語展へ行ってきた(名古屋市博物館)
名古屋市博物館で開催中のマリー・アントワネット物語展へ行ってきた。
マリー・アントワネットというと浪費家というイメージだが、実際はどうなんだろうか。
そういった面も興味を持ちつつ観に行った。
博物館の案内文によると、
わずか14歳でフランス王室に嫁ぎ、その美貌と気品で熱狂的に愛され、
そして憎まれながら37歳という若さで革命の波に飲まれて
断頭台に散った王妃マリー・アントワネット。
王妃として華やかで優雅な宮廷生活を送りながらも、妻として母として悩み、
最後はひとりの女性として毅然として散っていきました。
彼女の洗練されたライフスタイルやファッションなどに焦点を当てながら、
その一生をたどります。
今回はそのライフスタイルやファッションの展示も目玉らしい。
観客は・・・思った通り女性中心だ。
男:女=7:3くらいか。
ベルばらとかのファンもいるのかも知れない。
私は世界史で習った程度の知識しかないので、
今回の展示でふーんと思ったことがいくつもあった。
そして、捕えられ、死の直前まで毅然としていたことなど
全てをわきまえた王妃だったのだということも分かった。
ファッションについては私はあまり興味が持てなかったが、
唯一カツラは注目してしまった。
マリー・アントワネット考案のカツラだ。
試着コーナーにそのカツラの複製品があり、
子どもがかぶっていたのを見た。
かなり背の高い巻き髪のカツラの上に帆船が載ってる。
なんという意匠なんだ。
写真撮影可のエリアだったので親が子どもにかぶらせて写真を撮っていたのだが、
子どもが「重い~早くして~」と言っていたのが印象的だった。
このカツラの話題を知人にしたところ、
どうしてかぶった写真を撮ってこなかったのかと言われてしまった。
確かにかぶってみたかったが、夏休み中で子どもも多かったし、
イイ歳したおっさんがかぶるもんじゃないよな~と思うし・・・。
まあ、子ども優先ということで。
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