2011年4月16日土曜日

カンディンスキーと青騎士展へ行ってきた

カンディンスキーと青騎士展へ行ってきた。
今回展示されている作品はドイツのミュンヘンにある「レンバッハハウス美術館」の収蔵作品で、
聞くところによると「レンバッハハウス美術館」が改装中のため巡回展が行われているらしい。
レンバッハは19世紀のドイツで活動した画家で、
彼の描いた自画像やビスマルク像なども展示されていた。
レンバッハの死後、彼の屋敷はミュンヘン市の所有となり、
彼の作品やカンディンスキーの同志でありパートナーだった(カンディンスキーはこの人と結婚したかったのだが彼にはすでに妻がおり、
宗教上の理由で無理だった)ガブリエーレ・ミュンター所有の「青騎士」のメンバーの作品などが寄贈された。
第1次世界大戦以前のカンディンスキーやフランツ・マルク、アウグスト・マッケ、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー、ガブリエーレ・ミュンターなどの作品だ。

庶民から貴族にまで上り詰めたレンバッハは古典的な肖像画家で
当時のミュンヘン美術協会の中心人物だった。
カンディンスキーたちはこの旧態依然とした価値観をよしとせず、
新しい芸術団体を立ち上げた。
ファーランクス、ミュンヘン新芸術家協会、
そして青騎士。
1911年から第一次世界大戦までが青騎士の活動期間だった。
この会の活動について私はあまり知らなかったが、
かなり挑戦的な凄みをもった活動をしていたように感じた。
若いメンバーばかりだったからかも知れない。

この青騎士に関係する作品は、確かこの前松坂屋美術館でも見かけたような・・・。
いや、あれはウィーン分離派(グスタフ・クリムトほか)だった。

今回も収穫は多かった。
カンディンスキーの筆の置き方(色の置き方)の特徴がよくわかったし、
色がついた画用紙を用いて、背景にその色を残す技法やナイフを使う技法など、
その作品を生で見ないとその表現技法はわからない。

残念だったのは、会場が意外と空いていたこと。
先週のゴッホ展から比べると余裕の空き方だった。
ゴッホよりはマイナーな画家だけど・・・。
ちなみに、私はレンバッハの絵の方が好み(写実的な人物画が好きなので)。

ドイツ(ミュンター)とソビエト(カンディンスキー)は敵国になったために、
第一次大戦をきっかけに離別。
青騎士のメンバーも戦死したためにこの会は自然消滅となったが、
ミュンターは第二次大戦後まで生きた。
その長い期間をどのように生きてきたのかを知りたいと思った。

2011年4月14日木曜日

地域政党・減税日本の新人名古屋市議の体たらく

私は特定の党派・政治家に肩入れしないようにしている。
そうすると、彼らの主義主張に縛られて自由な思考・議論が制限されるからだ。
できるだけ公正中庸でありたいし、諸問題について是々非々で対したいという考えから
ずっとそれを貫いてきた。
これを前提として今日の日記を書くことにする

名古屋市長の河村たかし氏が率いる減税日本の議員として当選した名古屋市議の一部が、
賞与の額が少ないと不満を言い立てたために収集がつかなくなり党幹事長が辞任した。
額が少ないから増額できるよう条例を改正しろと主張したという。
これは有権者を裏切る行為で、全く情けない話だ。

河村たかし氏の目的は、減税することだけにとどまらず、
議員の歳費を削減してサラリーマン議員化しないようにすることにもある(議員職はボランティアのようでなければならないという考え方)。
そもそも、名古屋市は多額の負債があるから、
減税するためにはあらゆる分野で支出を減らさねばならない。
市役所の職員賞与は減額されたから、
議員報酬も減額されてしかるべきだろう(多くの議員の抵抗によりまだ減額されないが)。
それを、こともあろうに当選して2カ月ほどの新人議員のクセに賞与が少ないと不平を言うとは全く話にならない。

某議員は、減額されることは最初から合意が取れていなかったと主張しているが、
この党に所属する以上議員報酬が少ないと不平を言える立場にない(名古屋市の財政状況を見ても、言える立場にない)。
どんな民間企業でも新人は賞与を満額貰えない。
それは、賞与はその人の働きぶりによって評価された額が支払われるもので、
在職期間が短い新人は評価のしようが無いから賞与が減額されるのはごくごく当たり前。
しかも、働きぶりがよくても業績が悪ければ賞与は出ない。
そういえば、役所は業績が良い悪いなんてないから、
いつもほぼ一定の賞与が出ること自体がおかしなことだ(税収が少ない年は賞与が減額されてしかるべき)。

この議員たちは自分たちがどんな仕事をしてどんなことが評価されると思っているのだろうか。
働きぶりが良くても悪くても一定額が貰えるものだと勘違いしてやしないか。
民間の常識も理解していない議員どもは次回は落選だろう。
やつらは、実は減税や議員報酬削減なんてどうでもよくて、
議員になりたくて手段を選ばなかったのだと思う。
河村氏の勢いを利用して、議員になってしまえばこっちのものと考えたのだろう。
河村氏の側も、味方の議員数さえ増やせばいいという安易な考え方から議員にふさわしくない人たちを候補者としてしまったのは否めないところだ(そういう奴に投票してしまった有権者も問題だ)。
もっとも、減税を論じるところは良いが、まず最初に支出削減と負債削減することが先だ。
有権者の耳当たりが良いことばかり論じて、
肝心なところをぼかしているのは好ましい姿勢とは言えない。
いずれにしても、私は名古屋市民ではないから直接関係はないが、
あまりにお粗末なことが新聞に掲載されたので書いてみた。
ちなみに、某民放のニュースでは下記のような報道がなされた。
御参考までに。
http://youtu.be/JsRFY3-SN-Q





2011年4月7日木曜日

没後120年ゴッホ展へ行ってきた

名古屋市美術館で開催されている「没後120年ゴッホ展」へ行ってきた。この展覧会で、ゴッホに対する認識が改まり、行ってとてもよかったと思っている。以下は名古屋市美術館のホームページからの引用。
「どんな芸術家の場合も、独自の作風を確立するまでには様々な試行錯誤の過程があります。どれほど際立った個性であろうとも、その背後には積み重なる歴史と経験があります。だれもが一目でゴッホと見抜く、燃え上がる情念の結晶のようなあの独特の画風が確立したのは、彼が亡くなるわずか2年ほど前に過ぎません。画家になることを決意してからオーヴェールの地で自ら命を絶つまで10年の時しか持たなかったゴッホ(1853-1890)は、驚くほどの集中力と貪欲さであらゆるものを吸収しようとしました。その経験のすべてが血肉となり、あの独特の作風の中に昇華しています。
没後120年を記念して開催される今回のゴッホ展は、美術史上に燦然と輝く名作の数々をご紹介するだけでなく、ゴッホはいかにしてゴッホとなったのかとの視点から、その創造の秘密に迫ります。ゴッホの傑作約70点に加えて、ミレー、モネ、ロートレック、ゴーギャンなど、彼に大きな影響を与えた作家たちの作品約30点。さらに、ゴッホが収集した浮世絵や版画などの資料類約20点を加えて、総数約120点の出品作によってその芸術の全貌を紹介します。あなたの知らないゴッホと出会うこの展覧会。どうぞお楽しみに。」 (以上、引用終わり)

ゴッホが画家として活動開始したのは27歳(1880年)。
その頃の絵ははっきり言ってあまり上手ではない。
それから自殺するまでのおよそ10年間が画家・ゴッホの活動期間だが、
わずか10年で素晴らしい成長を遂げていく。
特に晩年の23年のに素晴らしい作品が多い。
私は基本的に写実的な絵が好みだからゴッホの絵はそれほど好きというわけではなかった。
しかし、今回の展覧会においてまとまった数の実物を観て、その考えを少し改めた。
反対色を用いてうねるように描く絵は癖があるため万人受けするものではないかもしれないが、
実物を観たら魅力的だった。
やはり、絵具の盛り上がりや筆の運びの跡などが分かると迫力も全然違う。
久々に予想より大幅によかった展覧会だった。
難点は・・・とても混雑していたということ。
チケットを買うだけでも30分以上。
会場内はそれなりに流れていたが、ちょっと混みぎみ。
作品解説のヘッドフォンを借りる人は解説がある絵の前で長く滞在する。
解説がある絵が部屋の隅にあると、
そこに人だかりができてしまって周辺の絵が全く観えないということになる。
今回もそういう位置に展示してある作品があった。
テーマとか時代の流れなどその位置に展示したいという見せる側の趣旨もよくわかるが、
だから作品の展示場所はよく考えてもらえたらありがたいと思う。

2011年4月5日火曜日

転勤の季節

春は新人の入社、転勤・退職の時期。
今年は東北の大震災の影響で歓送迎会を自粛する雰囲気が広がっているため、
開催を中止した会社もあるだろう。
特に定年退職する人の送別会が無くなってしまったのならそれは寂しいことだったろうと思う。
さて、私が以前勤務していた会社はかなり古い会社だったから、
昔から続く変な行事がかなり残っていた。
その一つに転勤する人の見送りがある。

転勤する人は自家用車で異動することを禁じられていた。
それは事故があると困るからだ。
自家用車は会社の費用で車載トラックに載せることとなっているので、転勤する人は新幹線か飛行機か・・・公共交通機関を利用するということになる。
転勤する人は何月何日何時何分の列車で行くかを予め報告しなければならないことになっており、それが社内に掲示される。
それを見て、都合がつく社員は全員駅のホームまで見送りにいく。
協力会社の社長なども駆け付ける。
転勤者はそこで挨拶し、見送りする側はそこで万歳三唱。
さらに転勤者を胴上げまでするという念の入れよう。
これは見送られる側としてはかなり恥ずかしい行為なのだが、ずっと続いている恒例行事だ。栄転ではない人でも、一応栄転ということで胴上げされる。
新幹線ホームでも空港でもお構いなし。
転勤するときは大抵家族も一緒に行くから、その一部始終を見る羽目に。
そういえば、電車の発車時刻ギリギリまで隠れていて胴上げを逃れようとした人もいたな。
ちなみに、私は本社から名古屋へ赴任するときに東京駅でやられた。
このときは新人だったから胴上げはなかったけれど、同期の野郎どもが
私が乗る新幹線を追っかけてホームをダッシュしたのが懐かしい思い出だ(まだあの頃は若かった)。

2011年4月2日土曜日

花車茶会へ行きました

花車茶会へ行ってきた。
ブログにこのことを書くのは久しぶりだが、
ずっと行ってなかったわけではない(昨年は2回ほど行けなかったが)。
私のようなド素人が茶会の感想なぞを云々すると茶会の品位に関わるといけないと思い
自粛していたのだ。
が、前回(2月:1周年記念茶会)は主催者から茶会の感想を求められ、
やっぱり書いたほうがいいのかなあと少し考え直して、
少々書こうと思う。

私はいつも職場の同僚と一緒に行く。
同僚は2人とも表千家でお稽古しているので私とは違う(私は習ったことが無い上に、この茶会以外には行ったことがない) 。
だが、茶会に来ているある方(主催者側の人かも)は、
何故か私がボスで2人を引き連れてきていると見られているらしい。
昨年8月の茶会は所用で欠席だったが、
同僚はその人から「今日はボスは休みか?」と聞かれたそうだ。
確かにこの茶会に誘ったのは私だが・・・

私がボスなんて恐縮してしまう。
この茶会も今回で8回目。
私たちはいつも午前中の同じような時間に行っているが、
他の参加者もみんな各自同じ時間に来ているようだ。
だから、待合にいるといつも同じような顔ぶれになる。
皆さんお知り合いと連れ立って来ているので、
それらの方と話をすることは今のところないが、
相手の方もこちらを常連だと認識しているだろう。
ただ、常連とは言え
全くレベルは上がっていない。
初心者も初心者だが、
回を重ねるにしたがっていつまでもそうも言っていられないカンジになってきた。
男だからと言って正客をやって欲しいといつも言われるし・・・
何らかの勉強をしていかねば、と考えつつ何もできずに今に至る。

今回は震災の影響でいつもより客が少なめに感じた。
いつもは待合がもっと込んでいると思うのだが・・・。
地元の祭礼などと重なっているだけだろうか。
今回同じ席に入る顔ぶれを見ると、
お師匠さんみたいな方など、正客をやってしかるべきという方ばかり。
しかも、ベテランのような男性もいる。
こりゃ気楽でいいぞ、と胸を撫で下ろす。
案の定その方が正客に推されたが、
その方から次客の席に来いと言われてしまう。
せっかくなのでその席へ座らせてもらい、勉強させていただこう。

今日の席主は松尾流だ。
いつもは半東さんは女性が多いのだが、
今日は全員が男性。
明治以降に成立した流派らしいが大名茶の伝統を持つらしく、
作法などがピシッピシッという折り目正しい動きで男性的だ。
挨拶のときの手のつき方も独特だ。
以前ならこういったことを見て楽しむという余裕は無かったが、
今は多少は見られる。
少しは成長しているのかも。
正客をされた方は80代だとおっしゃっていた。
それなのにかなり元気で、服装も若々しくておしゃれだった。
私もそうなれるかな~。

今日の席主は自分から道具などの説明をされる方だったので、
時間が押すこともなく、予定通り終了。
個人的には、変わった形の棗をしっかり拝見したかったなあ~。
それと、煙草盆に煙草の葉っぱを入れるものが2つあったと思うが、
この理由を知りたかったな~と。

2011年3月26日土曜日

聴く能楽 能の旅人 第4回公演へ行ってきた

わが師匠が出演する「聴く能楽」へ行ってきた。
これは、能の旅人という能楽公演の第4回目のもの。
今回は名古屋能楽堂ではなく、いつも笛の稽古で通っている藤田舞台が会場だ。
普段稽古で通っているときとは違ってたくさんの人が出入りし、
ちゃんと観客席が用意されているのが不思議な感じだ。

さて、藤田舞台は能楽笛方藤田流の家元の家にある舞台。
狭いので定員は80名。
だからAとBのプログラムに分かれていて1日2公演(1公演につき80名。入れ替え制)。
私は今習っているのが鞨鼓なので
師匠が一管で鞨鼓を吹くBプログラムをに行った。

藤田舞台は狭いから、名古屋能楽堂と比べて客席と舞台の間が極めて狭い。
だから舞台上がよく見えてよい。
囃子方の息遣いもよく聞こえる。
この公演は最初はメンバートークがある。
観世喜之さんが中心となってトークを引っ張っていく。
その後が演奏と半能。
私は能楽は音で楽しむ派なのでこういう形態の舞台は好きだ。

師匠の鞨鼓。稽古のときも見本として吹かれるが、
やっぱり舞台上での気合が入った演奏はいつもと違う。
でも、やっぱり師匠の笛の音だ。
その後の半能(熊坂)はスゴイ迫力だった。
シテが長刀を振る場面があるが
客席から舞台までが近いので目の前を長刀が突きつけられるように感じて
少し怖いくらいだった。

次回の公演は9月。今度は名古屋能楽堂だとのこと。
土曜日開催だから仕事の都合がどうなるかわからないが、
出来るだけ行きたいと思っている。

2011年3月20日日曜日

愛知陸上競技協会 2010年度審判伝達講習会へ出席


















今年度の審判伝達講習会へ行ってきた。
これは毎年この時期に行われるもので、
ルール改正や今年度の各種大会(全国を含む)において起こった事例研究や報告、
審判の昇格者や表彰者の紹介などが行われる。
この講習会を受講することは審判の昇格の用件(直近5年間で3回以上出席)となっている。
陸上競技の審判なら当然受講すべき内容なのだが、
果たしてみんな出席できているんだろうか・・・。

私は名古屋支部なので瑞穂競技場の会議室での講習会へ行ってきた。
内容はいつもの通りで
事例研究では驚くような事例が報告される。
それと、来年度から名古屋国際女子マラソンはマラソンフェスティバルに衣替えすることが紹介され、
それに伴って女性の出場者が多くなることから女性審判員の増強が課題だと言う話になった。
女性ランナーが多数出場すると女性審判じゃないとできないことが増えるのだ。
例えば、ゴール後にナンバーカード(ゼッケン)についているタグを取る担当やトイレ誘導員など。
ドーピング係も全員女性審判だ。
と言っても、そう簡単には女性審判を増やせないから、
補助員を多数お願いして切り抜けるしかないだろうな。
マラソンフェスティバル・・・一体どうなることやら。