2009年10月12日月曜日

個展 忌野清志郎の世界 (名古屋PARCO)


先日、花車神明社のお祭りを観にいった際、夕方の休憩時間を利用して
PARCOで開催していた忌野清志郎の世界展を観てきた。

私が清志郎を知ったのはRCサクセションがまだバンバン活動している頃。
坂本龍一と組んでやった「い・け・な・いルージュマジック」で知った。

YouTube動画(い・け・な・いルージュマジック)

この曲は一世を風靡した名曲だが、
当時小学生だった私は
その衝撃的な映像に大きなショックを受けた。

さて、清志郎が好きだったと言っても、
私の場合は清志郎という人物が好きだったのかもしれない。
彼のパフォーマンスとか、その活動内容とかが好きだった。
私は熱心にアルバムを買っていたわけではないし、
ライブも1回行っただけ(それも、泉谷しげるとのスパイスマーケットというユニットのライブ)。
と言う感じだが、私にとってはマイケル・ジャクソンが亡くなったことより
清志郎が亡くなったことの方が数倍悲しかった(それも、亡くなったのが亀崎潮干祭の前日だったし)。
だから、この展覧会には行っておきたかった。

展示されているのは、清志郎が描いた絵や、RC時代からのポスター、レコードジャケット、ライブの衣装、清志郎のメモなどいろんなものだ。
パルコギャラリーは狭いので、それなりの量だったが、
まあまあ堪能できた。

ここで気付いたのだが、
Oh!RADIOのCDを買い忘れていた。
早くタワレコいかなきゃ!

2009年10月5日月曜日

竹市学師のCDと、お家元・藤田六郎兵衛師のDVDを買う


10月1日は笛(能管)の稽古日だった。

早舞の三段の唱歌を習ってから二段との差が良く分からなくなってやや混乱しているので、
まず最初にカカリから二段の終わりまで笛を吹く。
いつも二段のヲロシで間違える(半拍早く入ってしまう)ところがあり指摘される。
他は一応は混乱することなく吹けたので、三段の唱歌の稽古に入る。
なぜか間違えずに歌える。
師匠の前だと緊張して間違えないように出来るのだろうか。
家だと間違えてばかりなのに不思議だ。

で、今日は三段の笛の指を習って終了。家で稽古だ。

稽古の後、机の右端の方になにやらCDが。
師匠に伺うと、なんと師匠が出演しているCDであった。
買って欲しいとは言われなかったが速攻購入(手持ちのお金があってよかった)。

「Next Generatation!~ライブ能ミュージック~」
という良く分からないタイトルだが、正統派の能楽囃子のCDだ。
これはTTR能プロジェクトという関西を中心に活動している成田達志師(小鼓方幸流)と
山本哲也師(大鼓方大倉流)の能企画ユニットの初CD。
お二人の名前の頭文字にRevolutionのRを取って「TTR」ということだ。





それともう一つ。
能楽笛方藤田流のお家元が出演している能楽囃子「大和秦曲抄」というDVDの予約も受け付けていた。
速攻予約したのは言うまでもない。

2009年9月30日水曜日

響 Hibiki ~小山喜雄先生の喜寿に集い歌う~ へ行ってきた


先日、伊勢市観光文化会館で開催された元高校教員の小山先生の喜寿祝いのコンサートへ行ってきた。
小山先生は上野高校・宇治山田高校・伊勢高校でそれぞれ合唱部や吹奏楽部の顧問だったそうで、定年退職後は学校外の各団体でも音楽関係の指導をされているとか。
一生音楽漬けの生活を送っているらしい。
その先生が音楽狂いDNAを教え子たちに植え付けたので
それぞれの学校で多くの卒業生たちが今でも音楽活動を続けていてるらしい。
中にはプロの音楽家になった人も何人かいて、
小山DNAのパワーを思い知らされる。

さて、私は上記の学校のOBではないが、
妻が合唱部OBとして出演するので聴きに行った。
今回集まったメンバーは既に還暦を過ぎている人から30代までとかなり幅広い。
でも、やはり年上の人たちの発言力が強いらしく、
いろいろ大変だったらしい。
特に、伊勢高OBは一番最後の教え子なので全体に若く
気を使うことが多かったとか。

このコンサートは発表会というより、
先生の喜寿を祝うイベント的性格が強かった。
OB会と言うべきか。
出演している人と、同時代を過ごした人たちが楽しむための会。
私には共通の思い出がないので、昔話などでは分からないことが多い。

それと、後半の合唱の部分ではプロの音楽家のOBの声が非常に大きくて、
目立ちすぎて合唱のバランスを崩していた。
本人は気持ちよく歌っていたんだが・・・。
でも発表会じゃないのでこれでもいいと思う。

さて、私は日帰りだったのだが、ただ合唱を聴くためだけに伊勢に行くのはもったいない。
ということで、当然のごとく寄り道をした。
まず一つ目は尾崎咢堂(行雄)記念館。
戦前に活躍した政治家で「憲政の神様」として犬養毅(木堂)と並び称される。
尾崎は首相にはなっていないので、
日本史の教科書では共和演説事件とか第一次護憲運動(憲政擁護運動)で出てくる程度だと思う。
尾崎の出身は神奈川県だが転勤で三重県に赴任して、
その後この選挙区から代議士になったということで記念館が伊勢にある。
記念館では担当の方が詳しく説明してくれたので理解が深まった。

もう一つはこの古本屋「ぽらん」。
河崎にあり、地元にゆかりのある資料も多数ある模様。
お店には猫もたくさんいて、猫好きには最適かも。
探している本はセットじゃないと買えないものだったので残念。
他にも面白そうな本があったが、ちょっと高かったので今回は断念した。

どこかへ出かけるとき、
こういった寄り道も楽しい。

2009年9月21日月曜日

第30回記念 国際・全日本マスターズ陸上競技選手権大会 in 名古屋


今年は名古屋の瑞穂競技場で開催されるマスターズ陸上の全国大会。
一応国際大会でもあるので、ブラジルや台湾などからも少し選手が出場している。
全国大会と言っても、各県での予選があるわけではないからみんな出場できる。
それだけマスターズの競技人口はまだ少ないということか。
それでも3日間開催だからプログラムは結構過密だ。

さて、私は初日と2日目のみの出席で出発係を担当した。
私は審判歴が長いが、
不良審判員なので競技場での大会の審判は極力避けてきた。
主にロードの大会ばかり審判してきたのだ。
仕事が忙しくて都合がつかないということも多かった。
しかし、競技場での大会もやらないといけないなあと思って今回参加することにした。

私が審判をしている理由は、
今までの恩返しと、競技できることへの感謝の気持ちを忘れないということ、
陸上競技とのつながりを持っていたいということなど。
審判をしているというと、職業が審判と思われる。
しかし、陸上競技は野球やサッカーと違ってプロスポーツじゃないので、
ほとんどボランティアだ。
ただ、日本陸連の公認審判の資格を所持していないとできないので、
資格の必要なボランティアというところか。

今回はマスターズということで、私より高齢の方がたくさん出場される。
見た目にはちょっと大丈夫かという感じのする方も多数いるが、
みんな元気にスタートしていく。
男子の100mの最高齢はなんと95歳!
今大会の最高齢は男子の103歳(砲丸投と円盤投)。
県外からここまで来るのも大変なのに、
更に競技までしてしまうというところがすばらしい。
しかも、複数種目にエントリーしている人も多い。
出場している人たちを見て、
私も出場したいなあと思ってしまった(既にマスターズに出場できる年齢になっているので)。

正確かどうかはわからないが、
マスターズ陸上の選手は、
学生時代に陸上競技をかなりやりこんでいた人ばかりというわけではないと感じる。
現役時代に日本でトップだった人やそれに近い人たち、
全国大会に出場するようなレベルだった人はあまりいないのではと思う。
敢えて出場していないんじゃないか?
それとも、現役時代に練習しすぎて走れなくなっているのか?
仕事が忙しくて走っていられない人もいるだろう。
そう思っている中で、
私が現役時代に静岡県の女子400m県記録を打ち立てたと思われる人を見かけた。
かつて強豪だった磐田北高校で選手だった人だと思う。
その当時、磐田北高校は短距離が強くて、
リレー(四継)の公式戦では何年もバトンパスのミスをしたことが無いということが
陸上競技マガジンに掲載されていたこともあった。
その関係か、何故かこの選手の顔を覚えていた。
かなりたくさんの選手が出場するなか、
初日の年代別リレーでこの人が2走(リレーは私の担当が2コーナー)だったからたまたま見かけたのだ。
元々陸上をやっていた人は身のこなしが違う。
この人は思ったより小柄ではあったが
オーラが出ていて身のこなしや動きが違っていた。
私にとって全国大会に出場する人はスターなので、
我がチームのSさんやMさんはスターなのだが、
この人は高校生のときに静岡県記録を作ってしまった人なので極めつけだ。
そういった人が今でも走っていることが人ごとながらとても嬉しかった。

久しぶりの瑞穂競技場のトラック。
二段並行ピンのスパイクで走るときのプチプチという独特な音、
エアサロンパスやサロメチールの匂い。
スタート前に選手が腿や頬を叩く音。
現役時代はあれだけ嫌だった緊張感が懐かしく感じた。
と同時に、選手からとてもよい啓発を受けた。

今年はたくさん陸上仲間も出来たし、
もう少し気合いれて練習していこうか。
現役時代のレベルに戻すのは年齢的に難しいが、
来年はもう少し走れるようになっていたい。
まずは5000mに出場しても恥ずかしくないレベルになることかな。

ちなみに、私の中学時代の恩師は出場していなかった(しかし、今でもマスターズの日本記録・アジア記録所持者だった)。

2009年9月14日月曜日

名城公園デビュー!


今日はジョギングランニング同好会愛知の練習会で初めて名城公園を走った。

名城公園は名古屋城のすぐ北側にある公園で、天守閣も良く見える。
元々は名古屋城の中だった場所だ。
園内を一周する1.3kmコースがあり、その大部分が土なのが嬉しい。
そのためか、かなりの方が走りに来ている。
それもハイレベルの方からウォーキング主体の方までいろいろ。
今日は今までの練習会ではお会いしたとこがない方も結構来ていて、
また新たな知り合いが増えた。嬉しいことだ。
欲を言えば、半田でも土のランニングコースがあればいいのにな~。
舗装してあるところは結構あるが、足への衝撃を考えると絶対土の上を走るほうがいい。
でも、むやみに走っても練習にならないので、
1周が1kmとか2kmとか大体の距離が分かるようになっているコースがあるのが好ましい。


この同好会の練習は最初の1時間は合同練習という形を取り、
全員揃って一定のペースで走る。
その後の1時間はフリーとなるので自由に走ってよい(もちろん止めてもいい)。

今日は初心者の方2名がいたため、
S氏がコーチとして指導されることになった。
というわけで、急に他のメンバーを任されてしまった。
しかし、私は名城公園のコースを走ったことがない。
やむを得ず、強引にG氏を誘って一緒に先頭を走ってもらう。
G氏はちょっと油断するとすぐペースが上がってしまうので、
後ろの方々からペースが速いとの声がときどき出る。
一応、1周を6~7分程度で走ることになっていたが、5分台になった周もあったとか。
そこで、H氏と一緒に、
ペースが上がったらワザと付いていくのを止めて
無言の圧力をかける方法を取ったりしていろいろ楽しんだ。

走っている途中でいろんな話をしたが、
その中で、名大のグラウンド(土のトラック)が使えそうだという耳よりの情報を得た。
名大陸上部が練習していなければ使えるらしい。
いつか練習会で使えるかな?

それと、来年は希望者だけでこのコミュとして陸連登録をしようかという話も出た。
G氏は個人で陸連登録しているらしいし、
私は公認審判として陸連登録している。
H氏も登録OKらしいので
あと2名いればチームとして登録できる。
S氏は多分OKだから、あと1人か~。
1人くらいならすぐ集まりそうだ。
まあこれは来年3月の話だから急ぐこともないかな。

今日は練習会のあとに用事があったので
後ろ髪を引かれながらそのまま次の目的地へと移動した。
時間にゆとりがある日ならもっと皆さんと話ができたなあ~と少し残念

2009年9月6日日曜日

アクトス 6時間リレーマラソンに出場!


楽しみにしていたナゴヤドームのリレーマラソンに初めて出場した。
我がチームの名前は「RLTC」!
これは、「伝説のランナー陸上競技クラブ」を英語(Runners of the legendary track & field club)にして、
その単語の頭文字を取ったもの。
何だかどこかにありそうな陸上クラブの名前にしてみたかったのだった。
我々も伝説になれるか?

我がチームは8名(男女混成)で42.195kmを走る部にエントリー。
本当は6時間の部に出場したかったのだが、
思いのほか人気が高くて早々に定員オーバーとなっていたので、
やむを得ずこちらへエントリーした。
42.195kmを8人で襷リレーする。
コースはナゴヤドーム内外を1周する2kmで、
名古屋ドーム内が襷の受け渡し場所となっている。
私は7番目に走る。
T氏から襷を受けて、K氏に渡す。
イベントのレースとは言え、そこそこのタイムで走りたいものだ。

ナゴヤドームに入って控えの席を探している途中で
HOCのメンバーと偶然遭遇。
HOCとはかつての職場。
懐かしい顔も数人いたな。
初対面だけど、私と同じ課の子もいた。
私の名は聞いたことがあるらしい。

我がチームはまあまあの顔ぶれじゃないか?
監督兼エースのフット氏を始め、20代のスピードランナーが揃っている。
そんな中、私のようなじじーが一緒に走っていいのだろうか?と思っていたが、
メンバーに加えていただけたのでめでたく出走できた。
感謝しなければ。

朝、S氏が盛り下がっていたのが気になったが、
どうやら原因は睡眠不足らしい。
しかも、朝はいつもテンションが低いらしいことも判明して一安心。
が、それもつかの間、
スタート直後に数人が転倒し、それに我がチームのフット氏が巻き込まれた。
その際、後続の選手に腰を蹴られたりしたとのことで重症を負ってしまった。
しかし、その後は他のメンバーが各位の力を出し切り、
なんと27位でゴールできた(エントリーは610チーム)。

私は3回走り、
①8分30秒
②8分4秒
③8分11秒
だった。
今の力はこんなものかな。
全盛期より2分も遅いタイムだがやむを得ない。
コース途中の給水所で配っている羊羹が食べたかったなあ~。

その後、一旦解散して
夕方に大曽根の某店で打ち上げ。
フット氏は怪我の状況がかなり思わしくないので打ち上げは欠席。
出席はG氏、Gesele氏、H氏と私の4名となってしまったが、
楽しく話しができてよかった。
これでまた一歩、このチームの人たちとお近づきになれた気がする。
今後もよろしくお願いしたい。


今回は初出場ということで、
状況が良く分からないままスタートしたので反省点もあった。
どんなコースかが良く分からなかったところや、
中継点が普通の駅伝と違ってひどい惨状だったこと、
今誰が走っているのかが全く分からないことなど
来年に向けて対策を練る必要がある。

今日はスタート直後のアクシデントや襷渡しの際に5分くらいのロスがあったことなど
いろいろあったが、
このメンバーで練習していけば順位はすぐ上がると思う
来年はもっと上の順位を目指し、かつ楽しく走れたらいいなあ。

最後に、今回の諸事を全て取り仕切り、
大怪我をしながらその責任感で1走の役目を全うしたフット氏を始め、
一緒に走ったチームのみんなに感謝したい。

2009年8月31日月曜日

ジョギングランニング同好会愛知 練習会


今日は初めてジョギングランニング同好会愛知の練習会に参加した。
オフ会へは参加しているので知っている方も若干いらっしゃったが、
ほとんどの方は初対面だった。

場所はトヨタ自動車のスポーツセンター。
かなり広大な敷地の中に、体育館、陸上競技場、野球場、サッカー場(ラグビー?)、テニスコート、屋内プール、研修センターなどがある。
名古屋グランパスエイトの練習場も隣接している。
トヨタ自動車の・・・ということで、車で行くのは断念(私の車は日産車なので)。
ということで、
バイクで出かけた(トヨタとヤマハはエンジン供給などで付き合いがあったのでOK)。
しかし、現地についてみると駐車場には他社製の車が一杯・・・。
配慮の必要はなかったか。

ここは、タダで全天候型の陸上競技場が使えてしまうのがスゴイ。
まあオールウェザーの材質自体は随分痛んでるけど
タダはいいよな~。
しかも私はトヨタ自動車とは無関係なのにタダ。
メンバーの中にトヨタ自動車の社員はいないはずだし。
いつでもタダなんだろうか?
あと、体育館にある風呂は200円で入れる。
さすが世界のトヨタ!と驚くしかない。

さて、練習会は、1周が2.2kmのコースを会話ができる程度のスピードで走るというもの。
今日のところは1kmあたり6分30秒くらいのペースということで走った。
1周2.2kmのコースは
陸上競技場や野球場などの周りを取り囲むように伸びている道路で、
結構上り下りがある。
だから、ゆっくり走っても結構疲れる。
しかも、練習開始が午後4時でまだ日が照っている。
私はいつも夜中に走っているので、日の光を浴びて走るのはかなり久しぶりだ。
暑さにやられそうになるが、今日のところは大丈夫だった。

このコースを4周して一応練習終わり。
あとは希望者のみトラックでペースランニング4000mと1000mのタイムトライアルを行った。
私は走らずにみんなのタイム取りを行った。
皆さん早い!アクトスで私の遅さが目立ってしまうほど・・・。
ヤバイ。
でも、まあいいか、私は長老だし。
怪我しないようにガンバロー。

※写真は我がチームの主力メンバー(ペーランの途中)。