2013年3月17日日曜日

リニューアルした新美南吉記念館(新美南吉生誕100年) 愛知県半田市




リニューアルした新美南吉記念館(愛知県半田市)へ行ってきた。
今年は新美南吉生誕100周年の年に当たる。
新美南吉が生まれ育ち、29年の短い人生のうちで最も長く過ごしたのが半田市岩滑地域であり、
亡くなったのは岩滑の自宅だった。
お墓も半田にある(北谷墓地)。
南吉の童話の舞台は故郷の岩滑のものが多い。
私が子どもの頃は新美南吉の関連資料は岩滑コミュニティセンターの2階の一室に所狭しと並んでいたが、
今から20年くらい前に新美南吉記念館が完成してそこで一般公開されるようになった。
そして、今年その記念館がリニューアル。
今までの展示内容に少し慣れというか飽きもあったのでどのように変わったのか見てみたくて行ってみた。
印象は一言で言うと「随分と良くなった!」だ。
新美南吉記念館は南吉の地元の半田市北部の岩滑地区にある。
南吉の家がある集落からは少し西方に離れおり、童話「ごんぎつね」の舞台となったエリアだ。
ここが完成した当時は周りは丘陵地帯であまり何もなかったからいい雰囲気だったが、
最近すぐ隣に中央分離帯がある大きな道路が開通し、南側には大型スーパーが開店・・・。
周辺は宅地開発(でも今は空地が多い)。
すっかり景観が変わって雰囲気が台無しになってしまったのが惜しい。

記念館の建物は建設当時いろいろ物議を醸したが、外観は面白い形状をしている。
リニューアルしたのは中身だ。
図書室の前が街並みの雰囲気となり、展示室がグレードアップ。
見応えある展示物がいろいろ。
そして、グッズ販売コーナーの品揃えもかなり充実していた。
欲しいものがかなり増えて迷うほどだ。
グッズ販売コーナーや喫茶ルームは入館料を払わなくてもショップ用の入口から入れるから
また買いに来ようかな。

2013年3月10日日曜日

第2回名古屋ウィメンズマラソンの審判をしました

今年もウィメンズマラソンの審判をした。
事前の天気予報によると当日はかなり暑いということだったが、
当日になってみると曇り空でやや寒いくらいだった。
ランナーとしても、大会役員としてもホッとしたところだ。
暑ければ体調不良になるランナーが増えるからだ。

さて、私は今年も走路の担当の審判だ。
当日は朝7時55分に現地集合。
しかし、ボランティア団体1つが来ない。
しかも、そのボランティア団体の代表者が私の担当ブロックのボランティアリーダーなので
非常に困った。
学生審判も2名ほど来ない。
もちろん連絡先はわからないから何ともしようがない。
仕方ないので、今来ているボランティア団体の方に頼んで補助員の割り振りを決めてもらう。
結局準備開始時間ギリギリになってみんな揃ったからよかったものの、
誰も来ないという状況になったらホントに何ともならなかったと思う。
今後の課題だ。

毎年、私の知り合いが出場しているらしいが、私が担当するのは前半ということもあってランナーがまだ大集団になっている。
だから、誰がどこにいるのかわからなかった。
安田美沙子も走っているとのことだったが、それもわからなかった。

しかし、名古屋の都会のど真ん中をあれだけ長時間にわたって通行止めにして大会を行っているのに、そのことについてあまり何も感じていないランナーがいるらしいと聞いてがっかりした。
走れるのは当たり前だと思っているらしい。
大会出場のためにお金を払ったから走る権利があると思っている人がいたらそれは考えを改めてもらいたいなあと私は思う。
大会を運営するためには、非常に多くの人たちの協力が無ければ不可能。
しかも、コースの周辺に住む人やそこで仕事をしている人は強制的に無償で協力させられている。
それなのに、走っている人の中にそれを理解せず、
軽い気持ちでふざけ半分に出場したり、
走れるのは当たり前と考えていたり、
大イベントなんだから出場者が少ないと困るだろう、と考えている人がいたら残念でならない。
今年は無かったが、私は何度も沿道住民や通行する車の人から文句を言われ、
対応に困ったことが何度もある。
「マラソンなんてやめちまえ!バカ野郎!」って言われたことや、
「名刺を出せ」と脅迫めいたことを言われたこともある。

日本にはまだ海外のようなマラソン文化が根付いていないから、
都会でマラソン大会をやることに否定的な人は多い。
賛成している人の中にも、
じゃあ自分の家の近くがコースになって自宅から長時間にわたって車が出せなくなるとどうだと聞くとそれは嫌だという人も多い。

開催するには大会役員や大会ボランティアも多数必要だ。
陸上競技アマチュアスポーツだから、
審判は資格は持っているけれど職業ではなくボランティアと同じ(実際に陸連から給料を貰ってないし)。
これだけ巨大な大会だとボランティアも数が全然足りなくて、
いろんな団体に頼み込んでかき集めているということもある。
交差点等を担当する警察官も、走路になっているエリアの警察署から来ているのではなく、
全県から呼び寄せているのだ。
コースのエリアの警察署からすべての人員を出すと、その警察署の日常業務ができなくなるからだ。
もちろん、ランナーが安全に走ることができるよう、
コースの管理や医療サポート体制も万全にしている。
某大会(ハーフマラソン)では、
中途半端な気持ちでエントリーして、
結局最後まで走れなくて棄権したランナーが膨大な人数になり、
選手収容用のバスが足りなくて大変だったという話を聞いたことがある。
棄権者が増えると、何か体調の上で問題が無いかと担当役員はヒヤヒヤするのだ。

そういうことを理解した上で感謝の気持ちで走ってもらえたらいいと思う。
この大会だけでなく、
一般公道を使った大会は
本当は走ってはいけない道路を特別に許可されて走ることができるのだから。
自分の趣味のために多くの人たちの協力を得られるということは極めて幸せなことだと思う。


2013年3月3日日曜日

千秋家の墓地(名古屋市緑区)



15年振りくらいに名古屋市緑区野並(相生山?)にある千秋家の墓地へ行ってきた。
墓標を確認するためだ。
そうしたら、立入禁止の札があって墓地へは入れないようになっていた。
千秋家とは、明治時代に入るまでの間に熱田神宮の大宮司を世襲した由緒正しい家柄。
元々熱田神宮の大宮司はこの地の豪族の尾張氏(尾張国造)が代々世襲していたが、平安時代末期に熱田大宮司の尾張員職(かずもと)の娘と、尾張国の目代・藤原季兼(藤原南家)との間に生まれた藤原季範(すえのり)が熱田神宮大宮司職を継いだ。
彼の孫である憲朝が号を千秋と称したことから、それ以後子孫は千秋氏を名乗り、明治初期まで熱田大宮司職を世襲した(明治時代になって大宮司という職名は伊勢神宮に限定されたため、現在の熱田神宮のトップの職名は宮司)。
なお、季範の娘の由良御前(NHK大河ドラマ「平清盛」で田中麗奈の役)は源義朝と結婚して源頼朝を生んだ。
名古屋との意外な接点だ。

かつては千秋家墓地として名古屋市教育委員会が建てた案内看板もあったのだが、それも既に取り外されていた。
いろんな人がブログ等で取り上げて、しかも市やその他の人たちが野並の散策ルートとして紹介しているから、不特定多数の人が墓地に入って好ましくないことが発生したのだろう。
そもそも、墓地だから本来は物見遊山で行ってはいけないし。
私は調査目的だけれど、お参りじゃないからダメなんだよな・・・。ここの墓地は千秋家の私有地みたいだし。
ということで中へは入れず、外からの確認だけに留めた。
でも、調査の目的は一応は達成できた。
 しかし、熱田神宮大宮司を世襲した家柄の墓地がどうしてここにあるのか?
それは、かつてこの地を所領にした時代があったからだと思われる。
千秋家が源氏とのつながりがあることは既に書いたが、貴族の藤原家につらなる千秋家は源氏と強く結びついたのちに武家化していったらしい。
室町時代には代々京都に在住して幕府に仕え、将軍家の奉公衆となっていた。
また、安土桃山時代には尾張の所領が危うくなったことから尾張に戻って織田家に仕え、すでに神官とは名ばかりの国人的な武将であったという。
ただ、信長から「大宮司職に専念せよ」との指示があってから武家であることを辞めて大宮司職に専念した模様だ。

ちなみに、これだけ由緒正しい家柄の割に墓石が新しいのは、すべて明治時代以降に作ったからだという。
江戸時代になってここに墓を建てることを幕府から禁じられたために、明治になるまでは松を1本植えて塚を作っていた。
そして、明治になってから墓石を作るようになったようだ。
だから、この中で一番古い墓標(本家筋)は、私が調べたいと思っていた千秋季雄(幕末の大宮司)のモノだと思われる。

2013年2月24日日曜日

第9回浜松シティマラソンへ出場

浜松シティマラソンに初めて出場した。
この日は東京マラソンの日。
その抽選に外れた人がこの日に全国各地の大会へ出場しているが、
この大会もそのうちの一つだ。
愛知県では犬山ハーフマラソンが開催されるが、
数年前に初めて出場したときの印象がとても悪かったのでもう出たくない。
ということで、代わりに出場できそうな大会を探してこの大会を発見したのだ。

しかし、エントリーしてから気付いたのだが、スター時間が8時半とかなり早い。
家から浜松まで行くのに車はちょっと辛い(試合後に運転して帰るのが)。
公共交通機関で行くと、始発&新幹線でないと間に合わないことが判明・・・。
ということで、ついに試合に行くのに新幹線を使うこととなってしまった。

当日は朝から怪しい雲行き。
駅で新幹線を待っている時に雪がちらついたりしていたし。
しかし、浜松は晴天だった。
駅からスタート地点(浜松市役所)へ徒歩で向かう。
新幹線が浜松に着くのは7時29分、荷物を大会本部へ預ける締切時間は8時。
その前に受付を済ませなければならないから、事実上アップ無しだ。

大きな大会ではあるが、運営組織がしっかりとしている印象。
スタートとゴールが違う場所なので預けた荷物はトラックで運ぶが、
その受付体制もスムーズ。
イイ大会じゃないか!
スタートは申告タイム順だ。
良く見てみると、男女関係無しに申告タイム順にゼッケン番号が付与されている模様。
これなら分かりやすいよな。

スタート地点へ移動してみると先導の白バイが2台あり、
自由に記念撮影しているじゃないか!!
みんな走る格好して白バイにまたがって写真を撮ってる。
いいなあ、私は携帯を荷物と一緒に預けてしまったから撮れない・・・。

浜松に着いて気付いたが、風がかなり強い。しかも相当寒い(最高気温は6度の予想だった)。
これは大変なことになりそうな予感。
荷物を預けたあとスタート地点へ集合となっているが、
ココがビルの影になっている場所。
しかも道が広いのでそこを冷たい北風が凄まじい勢いで吹き抜ける。
ここで8時10分から開会式。
その後スタート時間まで10分ほど待機・・・。
ちゃんとアップした人もすっかり冷え切ったことだろう。

さて、スタート。
スタートしてからすぐ下り坂になる。
凄まじい追い風だから予定よりペースが上がってしまう。
最初の1kmは4分を切っていた。
これじゃあ10kmを走るペースだよ、と思いつつどこまで行けるか試してみる。
その後、遠鉄沿いの道を北に向かい自衛隊駐屯地の方向へ向かう。
途中、5~8km位に急な上り坂があるが、
そこでちょっと気合いを入れて駆け上がったのが誤算だった。
アキレス腱を痛めてしまったのだ。
まだ中間点にも達していないのに・・・。
無理してひどくなるといけないから
なるべくキックをしないようにしながら
腕振りと膝の蹴りだしの勢いを使って走るようにする。

凄まじい向かい風でまっすぐ走れないときもある状態なので
徐々に体力を消耗していく。
足をかばっているので余計に疲れてしまい、
折り返し点を過ぎて一気にペースダウンしたつもり。
でも、2~3kmは凄まじい追い風の中を走るのでペースが落ちない。
ということで、呼吸が辛いというより体が辛い状態になって
後半はダラダラだったが、
3年前の初ハーフの記録をおよそ6分少々短縮できた。

今回は1km当たり4分20秒のペースで行く予定だった。
しかし、突風の影響で1kmごとにタイムにかなりのばらつきが出てしまった。
疲れているはずの10km以後に突然ペースが上がったのは強い追い風による。
その前後は強い向かい風で予定のペースで走れなかったため
予定通りのペースにならなかった。

<1kmごとの区間タイム>
1km・・・3分59秒
2km・・・4分12秒
3km・・・4分17秒
4~5km・・・8分48秒(途中5km・・・21分18秒)
6km・・・4分21秒
7km・・・4分28秒
8km・・・4分25秒
9km・・・4分25秒
10km・・・4分28秒(途中10km・・・43分27秒)
11km・・・4分08秒
12km・・・4分13秒
13km・・・4分08秒
14km・・・4分32秒
15km・・・4分38秒(途中15km・・・1時間5分8秒)
16km・・・4分26秒
17km・・・4分17秒
18km・・・4分29秒
19km・・・4分32秒
20km・・・4分26秒・・・1時間27分20秒
21.0975km・・・4分48秒(ゴール・・・1時間32分8秒)

本当は1時間30分切りたかったんだがあの風では・・・。
聞くところによると「遠州のからっ風」と言って浜松では強い北風の日が結構あるらしい。
そういえば、海に洋上風力発電機があったなあ。
残念だが、目標クリアは次の大会へ持ち越しだ。

2013年2月17日日曜日

ビニールハウスの照明がLEDに!


ビニールハウスの照明にLEDが導入され始めたらしい。
先日の新聞に、円安になって原油高となり、
照明を灯すための発電機の燃料代が重荷になって利益が出ない旨の記事があった。
電球より消費電力が少なくて耐久性も高いのでLED化は当然の成り行きだろう。

電球の灯りとLEDとでは光の色が違う。
LEDの方が随分と白っぽいのだ。
私がときどき通る道沿いにあるビニールハウスの中で
電灯の色が違うところがあるの気付いたのだ。

どんな植物を育てているのだろうか。
電照菊だろうか。
電球とLEDでは光の波長が違うが、
植物にとってはそれは問題にはならないのだろうか。
ただ単に明るさだけが問題になるのだろうか。
そんなことを考えながら、今日もビニールハウスのそばを通り過ぎた。

しかし、原油高となって生産業者がどこまでコストダウンでしのげるか。
LED化には先行投資が必要だから、簡単にできるものではない(場合によっては器具ごと交換)。
円安にしてデフレ脱却というものの、輸入品が値上がりするから輸出に関係ない業種の人たちは大変だ。
私たち庶民も大変だ。

2013年2月10日日曜日

ブライアン・ウィリアムズ展はオススメ!(清須市はるひ美術館)



はるひ美術館で開催されている「ブライアン・ウィリアムズ展」へ行ってきた。
名岐駅伝の審判をした際に美術館に近いエリアが担当だったこともあるが、
チラシを観てとても興味を持ったからだ。

この美術館には数年前に行ったことがある。
とても面白い形をしている。
美術館と意匠を合わせた形の市立図書館が隣に建設されており、
図書館と美術館に囲まれた中央部分の「夢の森はるひ」と併せて「はるひ夢の森公園」を形成している(ここには森はないけど)。
コンペに出品したのかな。

この画家のことは知らなかったが、
絵を観てみてとても気に入った。
彼が描く絵は「曲面絵画」と言うものだ。
作品は全て大きく湾曲している。
そして、キャンバスは四角とか長方形ではなく、
楕円のような形をしている。
これには理由があって、人が風景を見るときの眼の動きを再現しようと考案したそうだ。

解説文によると
 人は視線を、手前のものから遠くのものへ、
 直線的ではなく緩やかにカーブを描きながら移動させます。
 また、区切られた四角い範囲ではなく、見たいところを自在に目を走らせてもいます。
 現実の眼の動きに沿って、臨場感と迫真性を追求したのが、「曲面絵画」なのです。
とある。
絵を観てみて、まさにその通りだと感じた。

曲面絵画を観ると、四角平面の絵と比較して迫力が感じられ
より立体的に観える。
大きな縄文杉の絵(高さ5mくらい)は本当に樹を見上げているような迫力があったし、
清水寺の絵もその場に行って俯瞰しているように感じられた。
これは実物を観ないと判らない。
とても気に入ったので図録などを買おうと思ったが、
販売していた画集を観たところ、本物のような迫力は無かった。
印刷されたものは平面だから本物とは明らかに違う。
せっかくなのでポストカードは買ったが、
小品の本物を一つ買いたいなあと思えるくらい気に入った。
できたら我が地元の景色の絵を描いてもらいたいとか・・・(無理だけど)。
彼は自然保護活動についても積極的だそうでその気持ちが絵にも表れていると思う。
とても美しい風景画だ。

展示作品が少々少なかったのが残念。
美術館の規模の問題からなのか。
絵の好みは人それぞれだけれど、
風景画・写実的な絵が好きな方は是非実物を観て欲しい。
きっと感動すると思う。
展示期間は2月15日(金)まで。あとわずかだ。

※作品の一つが隣の図書館にも展示されている。
果たしてどこにあるか。
見つけられるかな?

2013年2月3日日曜日

名岐駅伝と清洲甲冑工房


今年も名岐駅伝の審判をした。
自分も高校時代に出場した大会だけに他の大会とは違った気分になる。
今年の私の担当エリアは清須市内だったので、
仕事終了後にまた寄り道をした(これが楽しみ!)。
周辺観光ポイントの清洲城へは何度も行っているが、
そのすぐ近くで活動している清洲甲冑工房のことはあまり知らなかったので
今回はその工房を見学してきた。

工房は観光PR施設の「清洲ふるさとのやかた」の地下部分?(石垣の中)にある。
清州城から見ると、北側にある朱塗りの橋を渡って駐車場の方へ降りてすぐ左の石垣の中にある感じだ。
清洲古城のあった場所になる。

室内に入ると完成した鎧兜が展示してあるのを間近で見ることができる(ショーケースに入っているわけではないから)。
そう、清洲甲冑工房は鎧兜を作る活動をしているのだ。
製作中の様子は間近で見学できる。
活動しているのは主に土日のみと係の方が教えてくれた。
ここでは、素人が甲冑師の先生の指導を受けて鎧の製作を始めたものだという。
鎧は鉄で作るのが本当だが、それだと重すぎるのでアルミを使って作っているそうだ。
そして、漆を塗る部分はカシューというものを使っているという。
カシューとはあのカシューナッツ(漆科の植物)の殻から絞り出した油が原料の塗料だ。
漆より安くてかぶれることが無いので使っているとのこと。
漆と同じように何度も重ね塗りしている。
下地を塗った段階で刷毛目がついてしまうと上塗りしても直らないから
慎重に塗っているとか。

鎧兜を製作するのはかなりの工程を経ることから分業しているのかと思いきや、
全部一人で完結できる体制だとのこと。
一人で完成まで持っていけないと、後で地元へ帰って独立したときに困るからだとのこと。
そう、ここは地元以外の人も受け入れているのだ。
活動している人たちの平均年齢が高いのが目下の悩み。
この活動を一緒に続けてくれる人を募集しているようだ(特に若い人)。
鎧(当世具足)を一領作るのに最低半年はかかるそうで、兜も半年くらい・・・。
具足を一揃えとなると一年はかかる気の長い仕事だ。

作った鎧兜は地元で大いに活用されており、
地元の武者行列とかのイベントに協力しているそうだ。
最近は近くの幼稚園(保育園だったか?)で子どもたちのために鎧兜を着せて卒業アルバムを撮影したところ、
かなり好評で今年も頼むと依頼されたとか。
量産できないのが難点というところか。

このあたりで素人が組織的に鎧兜を作っているのは清洲と犬山くらいだとのことだが、
犬山は外部の人を受け入れていないらしい。
鎧兜の製作に興味がある人は清洲甲冑工房へ問い合わせするといいと思う。