2011年1月5日水曜日

元JAPANのベーシスト Mick Karn(ミック・カーン)氏が死去

あのミック・カーンがガンのため52歳の若さで亡くなった。
好きだったので早すぎる死が残念でならない。
もうあのミック・カーン独特の粘りのあるベースを聞くことはできない。
家族に見守られながらの旅立ちだったと記事にあるのがわずかな救いだ。

Mick Karn Official Home Page
「Mick Karn」についてのWikipediaの記述


以下、Yahoo!の記事を転載。

元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが死去

リッスンジャパン 1月5日(水)13時1分配信
元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが死去
拡大写真
52歳でこの世を去った元ジャパンのベーシスト、ミック・カーン
昨年自ら肺ガンであることを公表していた元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが1月4日、ロンドンの自宅で亡くなったことがオフィシャル・サイトで発表された。52歳だった。

1月4日ロンドン・チェルシーの自宅で家族や縁の人たちに囲まれ息を引き取ったというカーンは、昨年6月に自らがガンであることを発表し、その後、闘病生活を送っていた。

70年代半ばにデヴィッド・シルヴィアン、スティーヴ・ジャンセンらとジャパンを結成。グラムロックを継承した化粧など奇抜なファッションは日本でもアイ ドル的人気を博し、特にヴィジュアル系ロックにファッション面で大きな影響を与えた。また後期の『孤独な影』や『錻力の太鼓』はロックに史に残る傑作とさ れている。

カーンのフレットレス・ベースを使用したオリジナリティ溢れるベース・サウンドは、ジャパン解散後もスタジオミュージシャンとして数多くの大物ミュージ シャンに愛され、数多くの作品に関わった。また坂本龍一など日本のミュージシャンとの共演も数多く残したことも知られ、ビビアン・スー、土屋昌巳、佐久間 正英、屋敷豪太らとユニットThe d.e.pを結成したことでも知られている。








2011年1月1日土曜日

藤田流の舞囃子のCDを入手!

今年は喪中のため、例年とは違う正月を迎えた。
私は毎年年賀状は版画を彫って刷っているが、
それがないだけでかなり時間的・身体的ゆとりがある。
ゆとりがある分、家の掃除がたくさんできたことがよかったな。


さて、待ちに待っていた藤田流の舞囃子CDが完成した。
吹いているのはお家元の藤田六郎兵衛先生だ。
普段の家元の笛よりちょっと吹き方が弱い気がするが録音によってそう聞こえるだけだろう。
これで稽古しやすくなることは間違いない。

次の稽古から鞨鼓を習うので予習しておこう。





 

2010年12月26日日曜日

OECDにショートビデオを応募してパリに行こう!

OECD 50th Anniversary Video Competition

OECDは2011年、設立50周年を迎えます。
その記念行事として、次世代を担う若者から “Vision for progress”というテーマ
の3分以内のショート・ビデオを募集します。

≫ 応募資格
18~25歳(国籍は問わない)

≫ 応募方法
- 2011年3月1日24時(パリ時間・日本時間の3月2日午前8時)までにコンペティショ
ンに提出するビデオをYou Tubeにアップロードします。

≫優勝者の特典
- フランス・パリに招待
- 国際フォーラムで優勝フィルムを上映
- 世界各国からの政府、民間団体、メディアとのミーティングの機会の提供。


≫ コンペティションのスケジュール
2010年12月1日:コンペティション開始
2011年3月1日24時(パリ時間): ビデオ提出〆切
2011年3月31日: 20組のファイナリストが選ばれ、2011年3月末まに、コンペティシ
ョン・ウェブサイトにて発表されます。ファイナリストにはメールでご連絡差し上げ
ます。
2011年3~4月:一般投票が行われます。
2011年4月15日:優勝者の発表:優勝者はコンペティション・ウェブサイトに発表さ
れ、メールでもご連絡差し上げます。

詳しくは下記のサイトをご参照下さい。
http://www.oecd.org/document/20/0,3746,en_21571361_44315115_46513044_1_1_1_1,00.html

皆様のご応募をお待ちしております。
特に、大学、NGO関係の方々におかれましては、部内での告知にご協力頂ければ幸い
です。

OECD東京センター
mailto:tokyo.contact@oecd.org
www.oecdtokyo.org
www.oecdilibrary.org (preliminary version)

〒100-0011 東京都千代田区内幸町2-2-1
日本プレスセンタービル3階
Tel. 03-5532-0021 Fax. 03-5532-0035

2010年12月20日月曜日

ホーチキつけてー!

ずっと前に購入していた家庭用火災報知機(住警器)をようやく取り付けた。
取り付けしたはもちろんコレ。
ホーチキ株式会社のハイガード。





よくビルなどで見かけるのはこういうのだけど、
これは単体では作動しません。
受信機などと一体となってようやく使い物になるもの(左:差動式感知器、右:定温式感知器)。



火災報知機メーカーは数あれど・・・
「九段」。これはいけません。



「門真」。通称「松」、これもいけません。 



「幡ヶ谷」。これもいけません。



「目黒」。やっぱりこれが一番でしょう!



何故かって?それは秘密です。
ちなみに、私はこんな資格も持ってます。
消防設備士 甲種4類(自動火災報知設備) の免状。

私は文系なので受験資格が結構厳しかったのだけれど、
何とか受験できました。
簡単には取得できないから大事にしていきたい資格。
もうすぐ更新講習をうけなければならないのがネック。
かつては図面(と言ってもP型の)が書けたんだけどもうダメです。
記号も忘れてしまいました。

2010年12月12日日曜日

東海シティマラソンに初出場

今日は予定が詰まって充実した1日だった。
東海シティマラソン、この大会は今回が初出場だ。
ずっと楽しみにしていた大会。
が、しかし・・・2週間前のお伊勢さん健康マラソンで左ふくらはぎが軽い肉離れになり、
出場は厳しい状況だった。
でも、せっかくエントリーしたから来年度以降の下見を兼ねて出場することにした。

当日は8時過ぎに現地に到着し、
スタート地点に一番近い駐車場(横須賀小学校)に車を停めるつもりだった。
が、なんと8時の時点で満車。
仕方ないから元浜公園へ駐車。
スタート前に念願だったMさんと会う。
Mさんとは初めて会うのに
何だか昔からの知り合いのように感じた。
ランニング&オートバイという共通の趣味があるからだろうか。

治療のため2週間全く走ってない。
しかも今回は10kmだ。
10kmの試合に出るのは高校駅伝の1区10kmを走って以来だから20年ぶりくらい?
どこまで走れるかわからない。
念のために、今までやっていた治療用のテーピングから
肉離れを防ぐテーピングに変えた。
でも、コレで完全に防ぐことができるわけではない。
さて、スタート。
スタート地点に行くのが遅かったからかなり後ろからスタートする。
今日はゆっくり走るから、まあ後ろからでもいいか。
しかし、周りにいる人たちは明らかに遅いので、
人の間を縫って少し前の方へ。
足の様子を見ながら1kmあたり4分30秒くらいで流して走ってみる。
が、やっぱり2km辺りから左足ふくらはぎが痛くなって来た。
こりゃ棄権だなあ~と考えつつ、行けるところまで行ってみる。
すると、4km地点辺りで今度は右足ふくらはぎも痛くなってきた。
だからここでリタイア。
長い競技生活で初めての途中棄権だ。
ここからスタート地点へ歩いて戻るわけだが、
体がすぐ冷えてしまい寒かった(ここに来るまでに遠回りしているので、実際は2kmくらい歩けばスタート地点だが、遠く感じた)。
歩きながら、右足まで同じような症状になってしまったことに対し、
何だか限界を感じた。
心肺機能は余裕があるのに筋肉がついて来ない。
今までのように走ろうとすると肉離れ・・・。
今日はゆっくり目のペースで走っていたのに、だ。
もう今までのように走ることは無理なんだろうか・・・ 。
現役時代に走り込み過ぎて身体にダメージが相当溜まっているのだろうか、とか
年齢的に今までのような負荷に耐えられない筋肉になってしまったのだろうか、とか
スタート地点に戻りながらいろんな考えが頭をめぐった。

ゴール付近(スタート地点付近)で偶然K氏・Iさん・Wさんと会う。
アクトス6時間リレーマラソン以来だ。
すっかり盛り下がった気分だったので、
3人に会って少し救われた。
声を掛けてくれたから元気を貰うことができた。
レース後の食事やお風呂に誘われたが、
私は午後から約束が会ったので辞し、
急いで帰宅。
午後から亀崎の雑貨屋「空の花」というところでの呈茶イベントに行くためだ。

この続きはもうひとつのブログ「お祭見物記」へ!

2010年12月5日日曜日

愛知万博メモリアル 愛知駅伝 (第5回愛知県市町村対抗駅伝競走大会)

愛知駅伝の審判に行ってきた。
会場はモリコロパーク。
第1回の頃はまだ公園整備が全くできていなくて、
工事中の立ち入り禁止区域を特別に開放してレースをしたものだ(もちろん未舗装区間が多数あった)。
それから数えて今年で5回目。
大会も紆余曲折を経て段々こなれてきたカンジだ。
主催は東海テレビだから、
いかにもテレビ局の人というカンジの人がうようよ。
何でメディアの人ってあんなにすぐ分かるんだろうか?
独特の雰囲気だ。

私は今年も愛知陸上競技協会から派遣の走路員。
担当区間も同じ場所だ。
会場に9時半集合。
そこで審判の打ち合わせがあり、
なんと弁当(お昼用)が配布される。
自分のエリアに配置される補助員は11時半に来るからそれまでに食べろということだ。
仕方ないからすぐ食べる。

この大会はいろんなスポンサーがついているが、
その中の大スポンサーである某大手メーカーからの要望により、
今年から走路補助員のすべき担当業務案内が配られた。
何やら、この会社の社員は愛知駅伝の補助員としての働きぶりが人事考課に影響するらしく、
働きが悪い人は評価が下がるらしい。
で、昨年度の大会で「走路員のすべき仕事内容が釈然としない」というクレームがあったために
今年は案内を作ったそうだ。
しかし、補助員をすることが人事考課に影響するなんて・・・。
本来の業務じゃないのに・・・
これって法的に問題ないのだろうか?と考えてしまう。

私の担当エリアはスケートリンクの南西側にある池の北の道路だ。
4区(小学生女子)・6区(小学生男子)・9区(アンカー:一般男子)が通る。
例年は歩道と走路の間に柵が無かったために応援の人たちが前に出てきて困ったが、
今年は予め柵が設置されていたので助かった。

今日は空いている時間にまきまきさんというアスリートに会って挨拶するつもりだったが
時間が合わず断念。
スタート時間までひまなので、担当エリアで少したそがれる。
私がいたところはちょうどいいカンジの林が広がっているところで、
初冬の日差しが木漏れ日となって私に降り注ぐ。
何となく癒される気分だ。
このままボーっと池や遠くの景色を眺めていたい気分に駆られたがそういうわけにもいかない。

レース中に反則行為があった。
某自治体のチーム(名前は伏せるが、白いユニフォームで上位を走っていたチーム)の
コーチ役の大人(サングラスの男)が選手に併走していたのだ。
それも、途中から走路に入って、
6区の小学生男子の選手に声を掛けながら。
陸上競技規則で、選手に対する助力は禁止されている。
今回の場合は声を掛けながら伴走することと、
選手ではない者が走路に入って走っていたことがルール違反。
ルールを教えるべき大人が平然と違反していたことに驚いた。
反則してまで勝ちたいの?
その大人のせいで、
一生懸命走ったその区間の小学生男子の頑張りは正当に評価されない。
大人がルールを破って援助してしまったのだから。
この駅伝大会で感じる嫌な部分の一つだ(とにかく勝てばいい、と考える風潮が
いつも上位にいるチームに蔓延している気がする)。
この問題は走路委員会へ報告したから
来年度は厳しく注意されることだろう。
まあ、この大会は陸連の正規の大会じゃないから
お祭気分で楽しめばいいと言えばいいのだけど、
監督者はもっと真面目に取り組んで欲しい。

2010年11月30日火曜日

お伊勢さん健康マラソンに初出場

今日、初めてお伊勢さん健康マラソンに出場した。
名前から分かるとおり、
伊勢神宮のある三重県伊勢市で開催されるマラソン大会だ。

http://www.city.ise.mie.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1212994398859&SiteID=0

三重県は県庁所在地が津市なのに、
三重県営陸上競技場は何故か伊勢市にある。
この競技場がスタート・ゴール。
種目はハーフ・10km・5km・ファミリーウォークがある。
ハーフはなんと1時間30分から10分刻みでペースメーカーが数人走る。
ゲストランナーはウルトラマラソン日本代表の岩本能史氏。
スペシャルゲストはアテネオリンピックの女子マラソン金メダリストの野口みずき氏(野口氏は伊勢市出身だから)。


写真は挨拶中の野口選手。かなり小柄だった。
私は5kmに出場。
今回は人生で初めて、怪我による途中棄権を覚悟して出場した。
11月18日の練習で左足のふくらはぎを痛めてしまったからだ。
そもそも、11月7日の半田市民マラソン以後に全く走らなかったので、
ちょっと焦って18日に練習を再開したところの怪我だった。
だから、その後は走るのを完全に止めて怪我の回復に努めた。
練習無しでどこまで走れるか・・・
というより、
痛みが再発しないようにどこまで走れるか、という点がかなり問題だった。
念のため、
左足は伸びるタイプのテーピングで万全を期した。

さて、当日。
この大会は出店ブースの数がスゴイ。
有名な大会社のブースが連なっている。
このブースは協賛企業なので
無料でいろんなものがもらえるサンプリングというのをやっている。
もちろん無制限にもらえるわけでは無いが、
かなりいろんなものが無料でもらえる(大会出場者にはサンプリング品との交換チケットが事前に配られる)。
ランニング用品や伊勢の名産品・お弁当の類の販売もある。
応援にきた人にも当日無料チケットが配られるので、
事実上誰でももらい放題!
きっとメインスポンサーのぎゅーとら(伊勢市が本社のスーパー)がこれらの協賛企業を連れてきたんだろう。
それにしてもスゴイ。

5kmの部は10時半スタートなので、
レースより先にサンプリングの品を多数ゲットした。
大きめのカバンを持参してよかった。

レース・・・アップはもちろん無し。
アップで痛みが再発するといけないからだ。
ただ、ウォーキングを中心に身体を動かして暖め、
柔軟運動を多めにした。

スタート順は申告タイム順なのだが、
何故か私は3列目というかなり前になっていた。
申告タイムは19分30秒(これは目標タイム)。
これで3列目とは随分レベルが低い。
よく見たら4列名以降は「~25分」という札。
きっと腕に覚えがある人たちはハーフや10kmの部に出場しているのだろう。
こんなに前からスタートするのは現役時代以来だ。

スターターは野口みずき氏。
挨拶と激励の言葉があって、スタート。
結構足が軽い。痛みも無い。
最初の1kmはなんと3分34秒。
自分の力だとちょっと早すぎる(最近こんなスピードで走ったことがない)。
次の1kmは少しペースを抑える。

1~2kmは4分8秒。
マアマアだ。
この区間は内宮前のおはらい町を通り抜けるので
ギャラリーが非常に多くて
大きな大会に出ているという錯覚に陥る。
いいカンジで走れていたのだが、ココでふくらはぎに痛みが出始める。
仕方ないので痛みがひどくならないようペースを落とす。
続々と抜かれ始める。
ゆっくり走っていても痛みが酷くなり始め、
ペースを維持できない。

2~3kmは4分27秒。
完全にフォームが崩れて左足を引きずる走りとなるが、
痛みがちょっと引いてきた。
そこでできるだけスピードを上げてみる。
ストライドを伸ばしたほうが痛くないカンジ。

3~4kmは4分16秒。
2~3kmの辺りではどこで棄権しようか考えていたほど痛かったが何とか完走できそうだ。
ラスト1kmで更にペースを上げてみる。
意外といけるかもしれないと思ったところ、ラスト400mくらいでまた強い痛みが・・・。
が、何とかペースを維持してゴール。

4~5kmは4分7秒。
トータルで20分32秒。
この前半田で走ったときは痛みがなくて20分22秒だったから
よくこの状態でこのタイムが出たものだ。
走り終えても意外と体が疲れていなかった。
足が痛くて全力で走れなかったからだ。
この大会のコースは上り下りがほとんどなくて走りやすいから
コースのよさでこのタイムが出たのかも。
レース後、
痛い足を引きすりながら再びブースを回って
サンプリングの品を多数ゲットしたのは言うまでもない。

この大会はとてもいい。
かなり気に入った。
コースが平坦で走りやすいし、
8000人の出場者があるといっても競技部門はそんなに混んでいるわけではないし、
協賛企業からいろんな品が貰えるし。
来年は12月の2週目に開催するらしいから
ゼヒ出場したい。

しかし足が痛い・・・普通に歩けない。
来月の東海シティマラソンは欠場かなぁ。