2008年8月31日日曜日

バイクのバッテリーを交換


バイク(TZR250)のバッテリーを交換した。3年くらい使っていたもので、しばらくバイクに乗らなかったうちに完全にあがってしまいほとんど充電しなくなったからだ。私のバイクはキック始動なのでバッテリーが無くてもエンジンがかかるが、適正な電圧が出ないとウィンカーやメーター類が正しく作動しない。特に、夜間走行に不安があったので交換することにした。

いつも買っている武豊のバッテリー屋へ注文する。すると、少々値上がりしたとのこと。ガソリンをはじめ、何でも値上がりしているな~。定番のバッテリーらしくすぐ入るとのことだったので、3日後に交換にいくことに。

TZR250の規定バッテリーは元々GS(日本電池)製だったが、この会社が湯浅と合併したのでGS YUASAバッテリーとなった。そのためマニュアルのものとは型番が変わってしまったので、いちいちバッテリーをみなければならず面倒だ。今の型番はYB5L-B。

車やバイクのバッテリーは鉛蓄電池で、常にフル充電状態にしておいた方が長持ちする。逆に、ニッカド(ニッケル・カドミウム)電池やリチウム電池はフル充電の状態のままにしておくのはよくないらしい。特にニッカド電池はメモリー効果と呼ばれる問題があり、あまり使用しない状態で充電を繰り返すと電池の容量が減ってしまう。それぞれの蓄電池の特性をよく理解して使っていれば長く使うことができて経済的だ。

規定のバッテリーは密閉式ではなく、買うときに希硫酸を詰めてもらって若干充電しなければならない。だから、買いに行く時間を伝えてある。ここのバッテリー屋は学生時代のバイトの先輩に教えてもらった店。気のいいオヤジがいるのでずっとここで買っている。以前は・・・円くらいだったと記憶しているが、今回の値段は・・・。オヤジいわく、以前の値段で売っていたら赤字とのこと。値上がりの原因は世界的な鉛価格の高騰の影響らしい。貴重な資源だ、大切に使っていこうと思う。

2008年8月24日日曜日

新美南吉記念館 特別展

半田市にある新美南吉記念館で、「特別展 教師南吉と67人の生徒達」という展覧会が開催されている。これは、南吉が安城高等女学校(現在の安城高校)に赴任してから70年になるのを記念して開かれているもので、作家南吉ではなくて「教師としての南吉」にスポットを当てた展示になっている。生徒達に書かせた作文を添削したものなどが多数展示され、生徒達をどのように指導していたかがよくわかる。作家としてではなく、南吉の人間くさい一面を見ることができる。私が行った日は意外と県外からの訪問者が多くて驚いた(他府県ナンバーの車が多く停まっていたので)。10月13日まで開催しているので、興味のある人は観にいってみるといいと思う。
多くの人は小学校の教科書で「ごんぎつね」で新美南吉に出会うが、私もその頃から南吉の作品を読み始めた。幸い我が家には牧書店刊行の新美南吉全集があったので、それを読んでいた。全集には南吉の日記の巻もある。日記とは書いてあるが、内容はそのとき何を考えていたかを書き留めたものが割合として多く、ある意味創作のためのネタ帳のようだ。これを読むと南吉が何を考えていたのかがよくわかって興味深い。南吉の作品はずっと読んでいないが、また読み返してみたいと思う。

2008年8月17日日曜日

お盆




今年のお盆。父の墓参りへは都合がつかないため行けなかった。父の墓は、遺言により徳島の先祖代々の墓地にあるからだ。父の希望により位牌も徳島の本家にあるため、仏壇も我が家にはない。でも、走馬灯はあるので出してみた。私もそれなりの歳になったし、父の遺言とは言っても本家に迷惑を掛けっぱなしではいけない。そろそろ位牌は持ち帰らなければならないかなあと思う。ただ、遺骨だけは本人の希望通りそのままにしておきたい。
父が徳島出身なので我が家は一応真言宗なのだが、私はあまり真言宗にはなじみがない。というのも、私は生まれも育ちも半田だし、ウチの辺りでは真言宗は少ないからだ。母方は浄土真宗だし、出席した葬儀も真宗が多かったので「きみょうむりょうじゅにょら~い」という真宗のお経の方がなじみがある。真言宗の「おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだら・・・」という呪文みたいなお経にはあまり・・・、という感じ。
今年のお盆は発掘以外はどこへも出かけなかったが、オリンピック期間中ということもあってそれなりに楽しかった。お出かけではないが、地域の盆踊りへは出かけた。もちろん、踊るのが目的ではなくて、福引が目的。私の地区の盆踊りは地域コミュニティが主催して行われ、隣組の役員さんの協力で開催されている。私は数年前に隣組の役員をやり、そのときに福引の存在を知った。意外とよさそうな景品だったので、役員さんには申し訳ないが毎年福引のためだけに行っている。例年はハズレでごみ袋くらいしか当たらないが、今年はなんと2等!何かなあと思っていると、米(きらら397)5Kgだった。予想していなかっただけに嬉しいが、持って帰るのはちょっと重かった。

2008年8月10日日曜日

見晴台遺跡 市民見学会(現場説明会)







 今年で第48次発掘調査を迎えた見晴台遺跡の市民見学会が開催された。この遺跡は名古屋市南区見晴町にあり、弥生時代中期から後期にかけてのムラの遺跡である。ただ、縄文時代や中世・近世の遺物も出土していることから、かなり長期間にわたって人が住んでいた地域であるということができる。また、第二次大戦中は日本軍の高射砲陣地になっていたため、戦争関連の遺物や高射砲の台座などもある。2年ほど前にはアメリカの爆撃機であるB29の垂直尾翼の一部が発掘されたために新聞に記事が掲載された(垂直尾翼の大部分は発掘区域外に埋まっていたために、現在は埋め戻されている)。この遺跡は毎年夏に発掘調査が行われ、8月の第2日曜日の午後に市民見学会と称する現場説明会が開催される。
 市民見学会では今年の発掘成果や現状の説明を行う。今年はA区とB区に分かれて発掘を行ったが、B区では芳しい成果が無かったためにA区のみで説明を行った。私は中央部分の説明を担当した。
 中央部分の南半分からは住居址が全く見つからず、ピット(柱の穴)のようなものが多数発見されただけ。北半分からは多数の住居址(竪穴住居)が発見されたので、この中の5号住居址と8号住居址と命名した竪穴住居の説明を行った。
 5号住居は昨年度までに掘り下げ始められ、今年度も継続して調査を行っている住居址である。他の住居址が弥生時代後期と考えられているのに対して、この5号住居址は平安時代の住居址だ。平安時代に竪穴住居?と思う方もいると思うが、ムラに住む一般庶民はこの時代はまだ竪穴住居だったのだ。庶民が竪穴住居ではなくなるのは鎌倉時代に入ってからとされている。さて、この住居址の内部にはカマドが残されていた。土砂に埋まっていたためにカマドは潰れていたが、カマドの構造物の一部として使われた土師器も残っていた。住居内の土坑からは灰釉陶器の椀や皿(この陶器がここから土したから、この住居址が平安時代のものだと推測できる)、瓦、土師器甕などが出土した。平安時代の緑区(南区の隣)では灰釉陶器を生産する窯が多数あり、都へも運んでいたことから、窯の近所である見晴台でもこの器が使われていたと推測できる。また、石や焼土なども住居址内から出土している。焼土は赤茶けた色の土で、他の部分とは明らかに違うので見分けるのは容易だ。
 8号住居址は昨年度の調査で完掘しており、9号住居址に切られている弥生時代後期のものと推測される。
 土を掘って土器などの物が出土したときはすぐわかると思うが、住居の跡や柱の穴の跡はどうやったら分かるのか、という問い合わせがある。これは経験を積まないと見分けられない場合もあるが、土の色の違いで判断する。
 住居址や柱の穴(ピット)は地面を掘って、それが埋まったところだ。だから、埋まった土とその周りの掘らなかった部分とは土の色が違うのだ。だから、発掘するとき、土の色が違っているところを用心深くチェックするのが重要なポイントとなる。また、この地域では通称地山(正式には熱田層)と呼ばれる地層が発掘調査の重要なポイントとなっている。この地層はこの地域が陸になる前に海の中で堆積した地層である。だから、この地層が出たらそれ以上掘っても遺跡は発見されないということになる。地山はオレンジ色の固い粘り気のある土で、こちらも見分けがつきやすい。
 発掘調査は地道な作業だ。しかも、今は夏なので非常に暑くて辛い。まじめに掘りすぎるとめまいがすることもある。でも、発掘が好きだからやっていられる。個人的には何か遺物が出土するより、遺構(当時の生活の様子が地面に残っている跡)を探す方に魅力を感じる。竪穴住居址・ピット・土坑・・・。それらはかつて弥生人が生活していた痕跡であり、時を越えてその同じ場所に立つことができるということが不思議な感じだ。そういうところにロマンを感じなければこんな辛いことは誰もやらないだろう(さらにずっと発掘していると、そんなロマンなんて感じることは無くなるらしいが)。
 私は学者ではないので発掘調査に参加できるということは非常に貴重なことだ。いつまで参加できるか分からないがずっと続けて行きたい。

2008年8月3日日曜日

大須オペラ 千秋楽


ついにこの日が来た。17年間続いた大須オペラ。スーパー一座の夏の定期公演が今年で終幕となった。これは、この劇団を主宰する方が高齢になり、オペラの台本を書くのが難しくなったためとのこと。大変残念だがやむを得ない。


私がこの劇団の舞台を観るようになったのは、私の幼馴染(私の先輩)がこの劇団の看板役者になったからだ。彼は高校のときは理系クラスだったはずだが、いつの間にか演劇の世界へ進んでいた。ずっと前の高校の同窓会報に彼の活躍が載っていて、高校の第2校歌がこの劇団の発声練習に使われている、と書いてあって話題になった(今は歌っていないらしい)。


今年の公演の演目は「パロマの前夜祭」。ちょっとめずらしいスペインのオペラだ。今回は1列目で、目の前がオーケストラのピット。こんな狭いところ(会場が大須演芸場だから)にオーケストラピットを作れるのか、いう感じだが、大須オペラはオケの生演奏なのだ。ちょっと贅沢な気分。楽団員は若手中心。私は能管を習っており、西洋の音楽にもかなり興味があるので、楽団員の持つ楽器にも興味津々。目の前の人がユーフォニウムを吹いていて、音がチューバよりホルンに近いことを今回発見した。指揮者はオペラの編曲もしている方で、もう10年以上ここで指揮をしている。
今回は看板俳優2名によるダブルキャスト。といっても、2つの役を2人で毎回交代で演じるというもの。
だから、それぞれの役がどう違って演じられるのかという面白みもある。
舞台のことを詳しく書くと長くなってしまうので省略するが、今回で終わってしまうのはやはり寂しい。全力でやってきた役者さんや楽団員たちの方がもっと寂しいだろう。アンコールで「♪始めがあるものは終わりがある~」と笑顔で歌っていたが、涙をこらえての舞台だっただろう。役者も辛い仕事だなあと思う。
12月に行われている大須・師走歌舞伎は継続するとのこと。こちらはこの劇団の活動の基本であり、今から楽しみだ。
後で先輩にメールを送信しておこう。



2008年7月26日土曜日

ゴミ箱の中から物を出さないで下さい


先日地下鉄に乗ったときのこと、駅の改札口近くのゴミ箱に写真のような掲示板があった。「お願い ゴミ箱の中から物を出さないでください」。こんなこと当たり前だ!と思うかもしれないが、写真の通り実際に看板は存在している(しかも結構古い)。これは、ごみ漁りをする人が多いためにこのような掲示板があるのだが、とても嘆かわしいことだ。日本はこれだけ経済が発展して、しかも愛知県は日本の中でも非常に好景気であるといわれているのに、この看板を出さなければならないほど貧しい生活をしている人がいる。人それぞれなので一概には言えないが、いろいろ考えさせられることだ。

2008年6月29日日曜日

ロードランナーズ in 大須OYS


 私の友人がバンド活動をしているので、彼らのバンド:ロードランナーズのライブを観に行った。ライブなので聴きに行ったという方が正しいのか。彼らはアマチュアバンドなので、もちろん大きなホールでのライブではない。いわゆるライブハウスというところでのライブで、1バンドあたり30分程度の持ち時間で10バンドくらい出演する中の1つのバンドとして出る、という形だ。今回も大須OYS。ちょっと狭いライブハウスだ。私もかつてちょっとバンド活動をかじったこともあるし、仲間にもバンドをやっている奴も結構いたが、今ではこの友人だけが活動している。

 彼らの出番は21時20分くらい、とのことなので21時頃に入る。私は以前、彼らのライブを最前列で聴いていたときにスピーカーに近すぎたのか1週間ほど難聴になってしまい、それ以降大音量に弱くなった。そのため、常に後方からライブを観ることにしている。出番の前のメンバーには会場で会えるが、出演直前だけあって独特の緊張感を漂わせる。我々はもはや趣味でライブ活動をする年齢ではない。今日出演する他のバンドの奴らは我々より多分10~20年くらい若い。そんな中でのライブなので、ハイレベルの演奏で他を圧倒しなければならない、という気持ちもある。

 このバンドになってからのキャリアは長い。途中で名前を変えたりギターが変わったり休止していた期間もあったが、もう7年以上もやっている。当初は60年代初頭のロックンロールをやるバンドとしてスタートしたが、今はもっと幅広い年代の曲をやる。ほとんどオリジナル曲ばかり。友人はドラムだ。身体はやや小柄で痩せているのでドラム向きではないように見えるが、とてもアグレッシブなドラムを聴かせる。

 曲のレビューを書くと長くなるので避けるが、最初の頃と比べるといいバンドになったなあと思う。曲の完成度も高い。同じメンバーで続けていくと、方向性とか音楽の好みなどが合わなくなってきたり煮詰まってきたりすることもあるが、彼らはこの調子で続けていくであろう。夏は暑いので活動休止するとのこと。秋には活動再開するので、興味のある人は聴きに行って欲しいと思う。