2010年7月25日日曜日

PIERRE MARCOLINI(ピエール・マルコリーニ)でパフェを食べる


ついに行って来た!
名駅のミッドランド スクエア地下1階にあるピエール・マルコリーニだ。
ここはチョコレートが有名なお店で少々高級。
小市民には縁遠い店だが
一度はここのカフェに入ってみたいと思い、
名駅薪能を観る前に行って来たのだ。

高級だから空いていると思いきや・・・
意外と混んでいる。
待っている人が・・・6人か?
私は並んでお店に入るのが好きではないが、
今回はせっかくだし待つことにした。
待つこと10分、意外と早く入ることができてよかった。

私が頼んだのは上の写真のパフェ。
この店では定番のもの。
今日のお昼ごはんよりかなり高価。
でも、とてもおいしい。
私はこの手のものが好きなのでいくらでも食べられるカンジだ。
奥さんは下のパフェを注文。
季節商品らしい。

店の客は8割くらいが女性だ。
男は女と来ている客ばかり。
意外だったのは一人で来ている女の客が何人もいたこと。
買い物帰りなのか、みんな百貨店やブランド店の紙袋を持っている。
リッチだなあ~。
私もいつかそんな身分になってみたいものだ。

祖父の死

父方の祖父が亡くなった。
享年101歳。
かなり長寿だ。
私が子どもの頃、既に高血圧で何やらたくさん薬を飲んでいた。
その上、太っていた。
だから長生きはしないと思っていたのにかなり長生きだった。
病死ではなくて、老衰という眠るような死だったそうだ。
101歳だから体はそれなりに弱っていて
いろいろ大変なことがあったそうだが、
老衰というのは一番いい亡くなり方だと思う。

ただ、私は遠方に住んでいるので葬儀などすぐ駆けつけられないのがネック。
日帰りは無理な距離だから(片道5時間は掛かる)。
飛行機だとすぐ着くんだが、ダイヤが合わないから使えない。

私の祖父母はみんな長寿だ。
母方は祖父母とも亡くなっているけれど、
二人とも80代後半まで元気に生きた。
あとは父方の祖母が93歳で健在(年相応にいろいろあるが、病気で明日をも知れぬ命ということは無い)。
私も長生きしてしまうのかなあ。
元気だったらいいけど・・・。

2010年7月18日日曜日

The Smiths のカバー曲の数々

The Smithsは私の青春時代の締めくくりの時期に良く聴いていたバンド。
そのため、Smithsの曲を聴くとその頃の落ち着かない複雑な気持ちが思い出される。
こう感じるのは私だけではないようで、
若い頃にSmithsを聴いていた人たちは一様に
「切ない」とか「キュン」とした気分になるようだ(いろんな人からそのように聞いたので)。
どうしてこう感じるのかは分からない。
モリッシーの独特な歌声とジョニー・マーのサウンドがそう感じさせているのは確かだが・・・。

私がSmithsと出会った頃(大学4年の頃)にはこのバンドは既に解散していた。
が、CDジャケットの写真やサウンドが好きで結構聴いていた。
就職して東京(本社での研修)へ行ったときはSmithsのCDやテープしか持って行かなかった。

バンドが解散したのは今から20年以上前だ。
しかし、中心メンバーのモリッシーやジョニー・マーは今でもソロで活躍しているので
知っているも多いと思う。
彼らが今活躍している若いミュージシャンに大きな影響を与えたことは確かだ。
日本ではあまり売れなかったのが不思議だが、
1980年代のロックシーンでは欠かすことができない重要なバンドだ。

さて、先日YouTubeを見ていたら、
若い人たちが意外とSmithsのカバーにチャレンジしている映像があることに気付いた。
Smiths好きがこんなにいるとは・・・。
みんなジョニー・マーのギターの技に迫ろうと頑張っている。

”Stop Me If You Think You've Heard This One Before” 


※このメタボ腹がイイという説もある。

 ”ASK”




中でもピカ一なのはコレ。
MTRにギターパートを3トラック分録音して
MIXするというもの。
ジョニー・マーの真髄に迫っている。



原曲はコレ。



やっぱりSmithsの曲はイイ!
なんだか切ないような若い頃の複雑で微妙な気持ちが蘇るが
ときどき聴きたくなる曲だ。

The Smithsとは

2010年7月11日日曜日

乳酸は疲労物質ではない?

私が現役時代(もう随分前のことだが)は乳酸は疲労物質と言われていた。
練習中に疲れてきたら「乳酸溜まってきた~」などと言っていた。
が、近年になり標題についてまことしやかに語られていることをふと思い出し、
ちょっと調べてみることにした。
そうしたら該当文献があった。

月刊トレーニングジャーナル 2005年4月号(通巻306号)のP12~だ。
『乳酸は「悪者」ではない』とのタイトルがついた文献が掲載されている。

その文献によると、こうだ。
乳酸は運動しなくても体内で生産される(酸素がなくても生産される)。
摂取した糖質は体内で消化されグルコースになり、そしてピルビン酸になる。
その後乳酸となるかミトコンドリア内で酸化されるかのどちらかになる。
糖分解は運動量・運動強度によってコントロールされているわけではないので
ミトコンドリア内で使用されない余剰分が乳酸となるとのこと。
果糖を摂取しても乳酸濃度がアップすることもあるとか。
そもそも、日本で言う乳酸は酸性の乳酸(Lactic Acid)と
中和された乳酸塩(Lacitate)の両方をさすことが一般的なので、
乳酸=酸性ではない(乳酸は生産されたらすぐ乳酸塩となるため)。

また、トレーニングしていくと乳酸濃度は徐々に下がる。
これは、乳酸を中和する能力があがっていくから。
ということは、乳酸を中和する能力が落ちないうちは疲労しないと思うのだが、
実際は乳酸濃度が高くなる前に疲労困憊になることが多いらしい。
そして、登山など高所へ行くと糖分解に抑制がかかるために乳酸の生産が減少するらしい。
でも、登山ではかなり体力的にかなり厳しい。

ということで、
血中の乳酸濃度と体のきつさとは必ずしもリンクしない、
と結論付けている(乳酸がたくさん出ている状態で疲労していることも多いから、
一概には言えないが)。
詳細は実際に文献を読むと面白いと思う。
おススメ!

2010年7月4日日曜日

登山に行きたい!

私の周りの方々が登山に行く計画を立てているらしい。
私は行けないので、いいなーと羨ましがりつつ、
昔使っていた登山道具を久しぶりに出してみた。

この前行ったのはいつだろうか?
結婚してから4回行ったかな。
西穂高岳・宝剣岳・木曽駒ヶ岳・・・
西穂独標や上高地も行ったな。
もう随分前だ。

最後に行ったのは乗鞍岳だった。
乗鞍は2回行ったことがあって、
当時はまだ乗鞍スカイラインが自家用車乗り入れ可だった。
だから1回はバイク(TZR250)で行った。
それも、前日に乗鞍のユースに泊まり、
翌日西穂独標まで登ってから下山し、バイクで乗鞍スカイラインを通って乗鞍登山。
で、そのまま下山して帰宅。
今では考えられない。
乗鞍スカイラインは日本一高い位置にある自動車道(終点の標高は2,701m)だから、
気圧が低くてエンジンのパワーが出ない。
TZRも空気が薄くてエンジンの回転が上がらず、セカンドまでしか入れられなかった。
白煙を吐きながら畳平まで登っていった覚えがある。
2回目は、乗鞍スカイラインの車両規制がかかる直前に180SXで行った。
このときは私のような駆け込み登山者が大挙して押し寄せていたので大渋滞となり、
あの山道を断続クラッチで足が攣りそうになりながら登った覚えがある。

さて、久しぶりに見る装備たち。
ラフマのザック。

いざというときのためのツェルトやコンパスなど。


その他もろもろの登山用具たち。


一応無事だった。まだ使える。

が、一つだけダメになっているものがあった。
それは、登山靴だ。



この登山靴のクッション部分はウレタンだ。
だから、加水分解してしまったものと思われる。
手で押すとグニャッと凹んで戻らない。
買うときからいつかこういう日が来ることはわかっていたが・・・
いざその現実を目の当たりにするとちょっとなあ。
アッパーはまだまだキレイなので、靴底だけ交換するか・・・。
高いかも知れないし、ちょっと考えてみよう。
その前に、登山に行く予定がないから靴底交換しても仕方ないか。

2010年6月27日日曜日

ジョギング仲間 大募集! ジョギング・ランニング同好会愛知<広告>

ジョギングランニング同好会愛知ではメンバーを大募集中です。

ジョギングを始めてみたいけど一人だと続かないという方、
昔陸上部だったという方、
ジョギングの仲間を作りたいという方、
我が同好会に参加してみませんか?
年齢・性別は問いません。
楽しくジョギングができる健康な方ならどなたでもOKです。
会費は無料です。

当会は隔週日曜日の午前中にジョギング会を開催しています。
開催場所は基本的に名城公園です。
ジョギング会ですので、
1kmを6分くらいのゆっくりとしたペースで走ります。
参加メンバーによっては1km5分くらいで走るグループと二手に分ける場合があります。
初心者にはジョックのフォームなど基本からお教えします。
練習後には有志でお風呂&昼食に行きます(それが目当てという方もいるとかいないとか)。

ときどき懇親会を行ったり、
有志による臨時の練習会を行ったりします。
9月に名古屋ドームで行われるアクトス6時間リレーマラソンにも毎年出場しています(今年は3チームでエントリー)。
会員の平均年齢は大体30歳前後。
23~40歳と年齢構成はやや幅が広いです。

2010年6月19日土曜日

洋楽サークル「Freek Out(フリーク・アウト)」のこと


6月10日はロックの日。
こんな大事なことを忘れるとは私も随分焼きがまわったな。
だから、今頃関連記事を書くことに・・・。

洋楽に造詣が深い人なら多分「綴りが違う」と感じたと思うが、
これが正しい。
Freek Out(フリーク・アウト)。通称、F.O。
これは、かつて存在していた洋楽サークルの名称である。
綴りが「Freak Out」ではない理由は、
同名の幻覚剤や
フランク・ザッパをリーダーとする
マザーズ・オブ・インヴェンションのデビュー・アルバムと混同しないためである。

この会は1998年~2004年の間存在していた。
私は結成当初から入っていたわけではないが、
かなり早い段階から参加していたから一応古株だったと思う。
先日、荷物を整理していて
この会が発行していた機関紙(ミニコミ誌)が出てきたので
ちょっと懐かしく思い、いろいろ思い出してみた。

この会は、
「キモノ・マイ・ハウス」と「しのぶ」と称するロック好きのお二人が中心となって結成され、
最終的には全国に3桁のメンバーが在籍していたと思う。
活動は毎月1回会報(Freek Out)を発行するというもの。
会報はいわゆる洋楽系ミニコミ誌で
会員が投稿した記事や絵・写真がそのまま掲載される。
今考えると、写真は個人で撮影したものとは言え
アーティストの肖像権を侵害していたかなあ。

原稿はそのアーティストに対する愛に溢れ、
ライブレポートやディスクレビューなども非常に早い。
いわゆる「追っかけ」もいたので、
マル秘情報もあったり。
とても楽しい原稿がたくさんあった。

その当時は今ほどコンピュータ社会ではなかったから
ワープロやパソコンを持っていない会員も多く、
手書きで送られる原稿は上記2名が全てパソコンで打ち直していた。
信じられないかもしれないが、
今から10年前はまだ今のようなインターネット社会ではなかったので、
ミニコミ誌もまだまだ市民権を得ていたのだ。
会費は確か1ヶ月300円。
滞納しているヤツもかなりいたみたいで、
中心となっていた方は自己資金を大量に持ち出していただろう。
でも、それでも7年も続けられたのは
それだけ洋楽に対して熱い情熱があったからだと思う。

二人とも家族がある身だったから、
今考えると毎月締切に追われる毎日をよく乗り越えてきたものだ。
資金の問題もあったし、
中心の二人は遠く離れた県に住む者同士。
多分電話やメールで連絡取り合っていたのだろうけど、
毎月持ち回りで編集を担当していたから原稿のやりとりとか大変だったろう。
F.Oは毎月特集を組んでいたから、
特集向けの原稿は何が何でもその号に入れなければならない。
でも、会員はお気楽だから、締切過ぎに手書きで原稿を送ってくる。
よく頑張ってくれたものだ。 感謝。

この会のメンバーは毎年のようにフジロックフェスティバルやサマーソニックなどの
真夏のロックフェスへ出かけていた。
私は一度もいけなかったのが悔やまれる。
名古屋のライブハウスなどへ一緒に行くのは数回あったが、
私が会員と会ったのはその数回だけ。
仲良くなった人が数人だけだったのも残念だ。
でも、私の20~30代前半の貴重な思い出として
この会は永遠に心の中に残るだろう。
中心になったお二人や、
この会に誘ってくれた某御倉さんにはとても感謝している(某御倉さんは主要メンバー)。


某御倉さんはフジロックフェスに行ったことがあるから、
この時期になるとフェスのことも気になっているだろうなあ、
と思っていたら、案の定ブログに書いていた。
ただ、フジに行くと野宿(テント泊)&チケット&交通費モロモロで10万くらいかかるとのこと。
フジには行ってみたいけど資金が・・・。
でも、某御倉さんはメンツがよかったらまた行ってみたいとか。
私もそのときは声を掛けて欲しい!
お金貯めとかなきゃ。

そういえば、
1ヶ月くらいまえにキモノ氏から手紙が来てたなあ。
ハガキだったので手書き。
懐かしい字だった。
嬉しかったのでメールで返事せずに手紙を書いて出した。
またいつか会える日が来るか?