2010年3月15日月曜日

名古屋国際女子マラソンで

今年も名古屋国際女子マラソンの審判をした。
例年通り走路員係を委嘱された。
たが、いつもと担当エリアが違ったから少し勝手が違って大変だった。
今回のエリアは例年より広い。
しかも、交差点が3つもあって歩道橋まで。
現場警察官との打ち合わせも3回か・・・。
厄介だなぁ。
でも、私も審判歴が長くなってきたのでこういう厄介な場所に回されたのか。

レースは見所が結構あったのだが、
沿道の観客が非常に少ない。
私の担当エリア周辺は、
犬山ハーフのときより少ないんじゃないかと驚くほど沿道が閑散としていた。
だからそういった意味では少々寂しいレースであった。

広い担当エリアを私1人でカバーすることは無理なので、
自主整理員(補助員)が35人配置された。
社会人の団体と市内の高校の生徒だ。

私はいつも、社会人の団体の方に
どういう経緯で設立された団体なのかを聞いている。
今回一緒になった団体は、ランニングを通して親睦を深めるとう趣旨で
主に愛知県と三重県の人で設立されたとのことだった。
入会資格はなんと60歳以上!
だから、平均年齢は60代後半じゃないのか?というカンジだった。
ただ、みんなとても元気。
40代になってからランニングを始めて、
それ以来71歳になるまでに500レースに出場している人や、
今年74歳で昨年のホノルルマラソンを完走した人とか(この人はランニングを始めて10年)。
私の方が元気を貰った感じになった。
補助員の経験も豊富で、
安心してお願いできる方々だった。

一方の高校生。
これが大変よろしくない。
この高校の陸上部は結構強豪のはずなのに・・・。
ダラダラしていて真面目でない。
話は聞いてないし、すぐ集まって喋ってばかり。
決められた時間になっても持ち場にいない。
数年前の名古屋ハーフのとき、
この高校の生徒が私のエリアの補助員だったことがあるが、
その当時は男子校で
生徒も非常にピリッとしていて真面目だった。
それが、今やこの惨状。
男子はともかく、女子がいけない。
昨日まではこの高校は私の中で5本の指に入るほど好印象だったが、
一気にイメージダウン。
上記の社会人の団体の方から「あの子達大丈夫なの?」と言われてしまう始末。
世の中の流れなのか・・・。

あと、女子マラソンのときには
以前勤務していた会社の上司が応援がてら会いにきてくれる。
とても嬉しいことで毎年楽しみにしている。
ちょうど転勤の時期でもあり、人事異動や今年度の業績、
管理本部や経理部、名古屋支店の様子などを知らせてくれる。
が、今年はそれらの話と一緒に辛い話も・・・。
それは、私が大変お世話になった元上司がガンになって余命いくばくもないという話だ。
その人は既に定年を超えていて現在は子会社の社長だ。
私の人生に非常に影響を与えてくれた人。
今日来てくれた方と並んで、
この方がいたから今の自分があると言っても過言ではない。
年齢の順番だから、いつか見送る日が来るとは思っていたが、
こんなに早く・・・。
今は療養していて調子が良いらしいがどうなるか分からない。
先日会議のために久々に出勤したときは
見た目はいつも通りでクチは悪く、態度もデカくて相変わらずだったとか。
その上、この話を教えてくれた方に向かって
「おい、俺の葬式はお前がするんだぞ!」と言ったとか。

早いところお見舞いに行きたいから
タイミングを教えてもらえるようお願いした。
でも、お見舞い・・・一体どんな言葉を掛けたらよいのか。

2010年3月8日月曜日

卒業式 & 名古屋国際女子マラソン走路輸送全体会議

今日は、愛知県(名古屋市以外)の公立中学校の卒業式だ。

私はたまたま、ここ数年で今年度卒業する生徒を非常勤講師として教えていたので、
今年卒業する教え子が300人少々いる。
まあ、私のことは忘れている生徒が多いと思うが、
遠くの空の下から彼らの門出を祝福したい。


さて、
今度の日曜日が名古屋国際女子マラソン。
私は毎年愛知陸協から競技役員(審判)を委嘱されていて、
今日はその審判の会議があった。
私は毎年走路員(走路審判)を委嘱されていて、今日はその走路員の全体会議だった。
会議は中日新聞社の本社北館会議室で行われた。
内容は毎年だいたい同じ。
自分の担当エリアの資料が渡され、
管轄警察署からの注意事項や大会運営における注意事項の確認、
補助員への指導の徹底など。
今年はアジア大会の代表選考レースになっているので
結構ハイレベルの争いになりそうとのこと。

走路員をやっていると毎年トラブルの処理係もしなければならないため、
昨年トラブルに巻き込まれた審判からの苦情も続出して
会議はいつも長くなる。
私も昨年は野次馬にケチをつけられて延々30分も苦情を言われっぱなしで謝りっ放し。
危うく昼ごはんを食べられないところだった。
でも、私のエリアの苦情はまだマシな方で、
もっと沿道の観客が多い中区方面の走路員はもっとハードだ。
観客はもう無法者で、勝手に中央分離帯に入ったり(中央分離帯は車道の一部なので入ってはいけない)、歩道橋の上から応援させろと食いかかってきたり。


今年で31回目になる名古屋女子マラソンであってもこの状態。
名古屋よりもっと都会で、かつ道路の閉鎖時間が長い東京マラソンでは
もっとハードな苦情が出ているに違いない。
東京マラソンはどのように対処しているのかを知りたいし、
走路員係の苦労も聞いてみたいと思う。


今年は例年と違う場所を任された。
昨年までは桜山交差点を担当していたので勝手が分かっていて楽だったが、
今年はちょっと違う場所だ。
その地区はよく知っている場所だが、
審判をするとなるとちょっと勝手が分からないから
予め地図等で下調べをしないと・・・。
私の担当エリア(およそ200mくらいの区間)には自主整理員(補助員)が35人配置されるので、
彼らに指示しなければならないし、
担当の警察官とも打ち合わせしないといけないし。

でも、毎年の恒例行事。
ちょっと楽しみだ。

2010年2月28日日曜日

犬山ハーフマラソン

今日は生まれて初めてハーフマラソンを走った。
そう、あの有名な犬山ハーフマラソンだ。

私はあまり真面目に練習していないので、
絶対的な走り込み量がかなり不足している。
だから、今までは仲間からハーフのお誘いがあってもお断りしてきた。
ただ、いつかはハーフを走ってみたいと考えていた。
で、トレーニングをしなければならない状態に追い込めば練習せざるをえないと考えて
犬山にエントリーした。

エントリー(11月)から3ヶ月計画で練習すれば余裕だと思っていたのだが、
計画は数日で崩れた。
それは、エントリー後すぐに中学校の非常勤講師を依頼されたからだ。
その影響で練習が全くできなくなり、
昨日までの走行距離は恥ずかしくて言えない・・・。
多分3ヶ月で3桁いってないはず・・・。

という無茶な状況だったので、
距離に対する不安を払拭するために
今週月曜日に無理して22km走を行った(練習でもハーフの距離を走ったことが無いから)。
これは結構参考になった。

今日はあいにくの雨。
会場に到着してみるとグラウンドは沼と化し、
ドロドロのひどい状態だった。
私のスカイセンサーのキレイな黄色がみるみるくすんで行く・・・。
荷物を置いておく場所も無い。
雨もあがらないという状態なのですっかりアップをする気が無くなり。
アップ無しでレースに臨むことに(ストレッチとかも一切無しで、着替えただけ)。

スタート時刻になると日も差し始め、
やっとレースらしい気分になってきた。
で、スタート。
今日の作戦は、最初の1kmくらいはアップのつもりでジョックで行き、
その後前半は1kmあたり4分45秒くらいで行く。
後半は、そのときの様子によって上げるかそのままいくか考える、
というものだ。


今日の1kmごとのスプリットタイムは次の通り。

0~1km 5分11秒
1~2km 4分45秒
2~3km 4分53秒
3~4km 4分45秒
4~5km 4分41秒
5~7km 9分37秒・・・6km地点を見落としたため
7~8km 4分43秒
8~9km 4分39秒
9~10km 4分47秒
10~11km 4分44秒
11~12km 4分36秒
12~13km 4分26秒
13~14km 4分29秒
14~15km 4分32秒
15~16km 4分27秒
16~17.0975km 4分52秒・・・ここから「ラスト〇km」表示に変わったため。
~18.0975km 4分23秒
~19.0975km 4分24秒
~20.0975km 4分29秒
~ゴール   5分6秒 


前半の10kmを通過して余裕があったので、
ペースアップすることに。
いつものストライド走法へとチェンジ。
ただ、ここでまた
月曜日と同じ両足の裏にマメができ始める(これは途中で潰れた)。
14kmくらいからお腹が空き始める。
16km過ぎから何となく眠くなる(ときどき目をつぶっていた)。

前半抑えて走っていたので、
ハーフの鬼門と言われている15km以降も結構快調。
ベストスプリットは17~18kmの4分23秒。

ただ、ラスト2kmから右足ふくらはぎが痛み出す。
右足でキックができないのでやむを得ずピッチ走法へと切り替えるが、
腕に力が入らないので腕振りがイマイチとなりペースがやや落ちる。

ラスト1km、無理して再びストライド走法へ戻すが、
すぐに痛みが悪化してちゃんとしたフォームで走れなくなり失速。
ラスト1kmはほとんどジョック状態で
ここでかなりの人数に抜かれる。
で、何とかゴールにたどり着く。

記録は手元の時計で1時間38分39秒。
ゴール後しばらくしてから止めたから、
数秒はロスしているかな。
でも、めでたく初ハーフで完走し
1時間40分を切ることができた。

ただ、ふくらはぎの痛みはかなりひどい。
普通に歩けない。
やっぱりハーフを走る足ができてなかったな~。
10kmくらいまでなら練習してなくても何とかごまかせるが、
ハーフとなるとちゃんと距離を踏んでおかないとダメだ。
仕方ない、明日は念のため整形外科だな。
職場で何を言われるやら・・・お恥ずかしい。




 
なお、今回もレース後ランチを行い、
チームの気のおけない仲間と楽しく会食ができた。
今回チョイスした店は「ビストロ猫」。
ずっと前から目をつけていた店でやっと行くことができた。

 
ちょっとおしゃれなカンジの店だからジャージで行くのは気が引けたが、
今日はいいよな~。
電話で予約するときのお店の方の対応がとてもいい感じで、
実際に行ってみて余計に気に入った。
店内は猫をモチーフとした装飾物や猫の置物などが随所にあり、
内装の壁紙はあのウィリアム・モリスがデザインしたものを使用。
今日の店内はずっとモーツァルトの曲が流れており、
モーツァルト好きの私にとって至福のひとときであった。
料理は・・・もちろんとても美味しい。
今回はジゼルさんおススメのパスタランチしたが、
他のメンバーが食べていた魚ランチもよさそうだった。
次は魚にしようかな~。

2010年2月21日日曜日

練習メニューを研究するつもりが


我がランニングチームRLTCが日本陸連へ登録して活動することとなった。
私は今年度まで個人で登録していたので、
チームとして登録できることは嬉しい。

ただ、チーム設立者が仕事の都合で関東へ行ってしまった。
今までは彼が他の若いメンバーに練習メニュー等をいろいろ助言していたのだが、
もう彼はいない。

ということで、私も多少は助言できるよう
過去の記録を確認してみた。

過去の記録・・・それは練習日誌だ。
中学時代は陸上競技漬けの毎日だったので、
毎日練習日誌を書いて顧問(O先生:女性)に提出していた。
毎日・・・とは本当に毎日。
それは、練習が休みの日が無いから。
練習が休みになるのは、
テスト週間(テスト週間でもこっそり練習させられたことも何度かある)、
1月2~3日、12月31日くらい。

探してみたら、大会のパンフレットやゼッケン(ナンバーカード)などと一緒に
練習日誌がちゃんと保存してあった。
私の宝だ。
中身を見ると、
その日の練習メニューとか自分の考えたこと、
気持ちなどが書いてある。
それについて、顧問のコメントがちゃんと書いてある。

よく走ったなあと思うのと同時に、
顧問はよくコメントを書けたなあと感心した。
陸上部は結構大所帯だったから、60人以上は部員がいた。
全員が練習日誌を提出していたかどうかは分からないけれど、
練習日誌を書くように指導されていたので、
かなりの人数が提出していたはずだ。
顧問へは毎朝提出し、
帰りの部活の際に返却してもらっていた。

ということは、顧問は帰りまでに全員分の練習日誌を読んで
的確なコメントを書いて返却していたということだ。
しかも、いい日誌はプリントにして配ったりすることもあったし。
この辺りの中学校は「わかあゆ日記」というものも書かねばならないことになっていたので、
自分のクラスのわかあゆ日記を読んでコメントを書き、
授業もやって部活も・・・。
今更ながら、良くやってくれたと感謝している。
顧問は私が中学時代には国体や愛知県代表として海外へも遠征していたアスリートでもあり、
マスターズ陸上のアジア記録保持者だ(投擲部門の三冠王)。
今はもう競技はしていないようだが・・・。

練習メニューを研究するつもりが、
思わず懐かしい思い出に浸ってしまった。

2010年2月15日月曜日

スキーに行きたい


バンクーバーオリンピックが始まり、
日本人選手の活躍に一喜一憂。
 メダル有力候補だった上村愛子選手が4位だったのは残念なことだった。

その試合を観ていて、
私も久しぶりにスキーに行きたくなった。

私は多分、もう10年くらいスキーに行っていない。
私が最後にスキーに行ったのはいつだったか覚えが無いくらいだ。
当時はスノーボードが完全に主流となり、
スキー板はカービングという種類が多くなってきていた頃だ。

だから、私のスキー板は少々旧型だ。
カービングスキーが出回る以前のタイプだからだ。

カービングスキーはエッジが利きやすい形をしているので、
板の長さは短い。
だが、それ以前の板は、
長いほうが安定するという理論で作られていたので、
初心者用の板でも自分の身長+5~10cmと言われていた。

当然、板が長い方が滑走中は安定するが、板の操作は難しくなる。
私の板はドイツのVolkl製(P-20SL)で、2mというかなり長いものだ(身長+およそ30cm)。
板が長いとスピードが出やすいので、ちょっと怖い面もある板だ。

女子モーグルで優勝したアメリカの選手も同じメーカーの板だったので、
まだこのメーカーが存続していたことに気付いた。

スキーには行きたいが、
こんな古い長い板を持っていたら目だってしまうなあ~。

結構いい板なんだけど、
こんなタイプの板を使っている人はいるだろうか・・・。
今も家で眠っている板、日の目を見ることはあるか?

2010年2月8日月曜日

名岐駅伝


今年で64回目を迎える名岐駅伝の審判に行ってきた。
私も現役時代には出場経験がある思い出の大会だ。

この大会は岐阜県から愛知県へと走る駅伝で、
戦前から続く非常に歴史のあるものだ。
予選を勝ち抜いたチームが出場でき、
一般の部と高校の部がある。
当時強豪だったチームが今は弱くなっているので、
時代の移り変わりを感じる。

私は今回も走路員(走路審判)を担当。
雪は降らなかったが、結構冷たい風が吹いていて寒かったな。
でも、北西の風だったから、選手は走りやすかったに違いない。
知り合いがTPACというチームで出場すると聞いていたが、
私が担当する区間ではなかったから会えずに残念。

私が所属するチームが名岐に出場できるようになるとはとうてい考えられないが、
出られたらいいな。

2010年2月6日土曜日

初めての花車茶会




私が個人的に尊敬している〇さんが主催する花車茶会へ行ってきた。
この「花車」とは旧地名で、
名古屋市中村区にある名古屋国際センターの南辺りの地域のことだ。
この茶会は、その花車と呼ばれていた地区にある光明院というお寺にある茶室で開催されるもので、
今回が初めての開催。

私はお茶を習ったことは無い。
しかし、茶の湯の雰囲気が好きだ。
それは以前、Kさんの誘いを受けて黒笹茶会へ行ってみて、
茶の湯の世界に魅了されてしまって以来だ。
狭い茶室の中に流れるゆったりとした贅沢な時間。
独特の緊張感の漂う静謐な空間に響くお湯が沸く釜の音。
茶室にいる間は他の雑念を忘れ、
心地よい気分に浸ることができた。

ということで、お茶を習おうとは思わないが、
茶会へは客として行きたいと思うようになった。
ただ、作法をキチンと稽古したわけではないので
うかつにいろんな茶会へ行くわけにもいかない。
大恥をかいて、周りの客のひんしゅくを買うだけだ。
ということで、知人の〇さんが主催する茶会が丁度良いというわけだ。
前回同様、NHKの裏千家の茶会作法のビデオを観て本番に備えた。

今回は職場の同僚2名(2人ともお茶を習っている:表千家)と行くはずだったが、
折からの降雪のためキャンセルとの連絡。
やむを得ず1人で会場へ向かう。

空いているという時間帯を選んで行ってみたところ、
降雪の影響で更に客の出足が鈍いとのことだった。

受付を済ませて待合でしばらく待つ。
ここには、掛け軸や茶道具などが展示してある。
今回は尾張徳川家と名古屋の町方の茶の湯関係をテーマにした展示だった。
私は茶の湯のことを詳しく知らないので、
こういった展示もかなり勉強になる。

他の客の話すことなどを聞いていたところ、
自分の順番が回ってきた。
とりあえず私の回の10名が寄付へと通される。
そこには席主(宗偏流の方)がいらっしゃり、
本日の趣向などを話される。
今回の茶会は旧暦を大事にしていくという趣旨も含まれるとか。
さすが〇さんがひらく茶会だけはある。
床には傀儡師の描かれた掛け軸が掛かり、
下には会記などが置いてある。
それらを拝見していたところ、とんでもないことを言われてしまった。
それは、私に正客を、ということだ。

正客とは、茶会の主賓のこと。
茶室で一番いい場所に座り、連客を代表して亭主に挨拶をし、
今日の趣向やらお床に飾られたものなどの話を亭主としなければならない。
当然、それなりの経験と知識が不可欠だ。
私は初心者だからと遠慮したが、
茶会では男が正客になると決まっているから、
と押し切られてしまった。
正客を遠慮しあうというのはみっともないと聞いていたので、
覚悟を決めてお受けし、
晴れて正客デビューすることになった。

茶室へは正客から入る。
席主が先回りして私が初心者だということを亭主に告げる。
他の方々も私を助けてくれそうだ。
今回はにじり口がなくて普通の襖の茶室。
しかも、半東が襖を開けていてそのままどうぞと言われる。
入ってお床拝見していると、
「今回は後から拝見する」と言われ、慌てて席に着く。
正客の席の前には煙草盆や火鉢が置いてあって結構狭い。
これではお菓子が置けないので、横へ移動させる。
一番いい席なのでかなり緊張。
床を背中にして、目の前が炉だ。

しばらくして亭主が入ってきて正客に挨拶をするので、
予め教えられたとおり私が代表して挨拶をする。
緊張していて、扇子を前に置くのを忘れる。

その後、お菓子がまず私のところへ運ばれる。
ここで難問が。
お菓子が1人ずつお皿に乗って出てきたのだ。
しかも、黒文字付き。
どうしていいか分からないので、
「これは懐紙を使わなくてもいいということですか?」と
隣の方に聞くと
「懐紙を使います」とのお言葉。
で、早速懐紙に取ろうとすると
「まだ早い」とのお言葉。
お菓子を取るのは亭主がお茶をたてる準備を始めてからとのこと。
一気に汗が噴出す。
で、隣の方に合わせてお菓子を取り、
同じタイミングで食べ始める。
本当は正客が先なんだけどねぇ。

お茶が私のところへ運ばれる。
正客だから、私が一番最初。
隣の人へ「お先に」と声を掛け、
亭主に「お点前頂戴いたします」と挨拶してお茶を飲む。
お茶は・・・ふわふわとした柔らかな感じで美味しい。
余り苦味を感じないお茶だ。
亭主によると、福岡県の八女茶で「森の白」という名だとか。
家元のお好みらしい。

で、飲み干した後にお茶碗拝見。
正客だから、多分私のところにあるお茶碗が一番いいものだと思うが、
それがどんなものかが良く分からない。
亭主がいろいろ説明してくれたが覚えていない。
が、隣の人たちはよく分かっていて、亭主より先にいろいろ話したり・・・。

その後、干菓子が出され、
もう一服お茶が振舞われた。
今回は、正客の私だけが1人で一服、
連客は2人で一服だった。
こういうときは正客はトクだなあ。

茶室内の飾り物や本日の趣向などについての説明が亭主からあった。
掛け軸は、近衛忠煕卿のもの。
これは私でも分かった。
その他は・・・良く分からなかった。
が、炉縁が名古屋城の古材だというのが印象的だった。
こんなもの、一体どうやって手に入れたのか?
そもそも、この茶室の床の間の右壁には徳川家の許し紋が入っている。
寄付の襖の枠はどう見ても紫檀だったし、床は鉄刀木など唐木ばかり・・・。
このお寺って??
それも気になった。
そうこうしているうちに、終わりの時間となった。
隣の方などに挨拶をして部屋を出る。
こうして、私のドタバタ正客デビューが終わった。
疲れた・・・。
でも、楽しかった。

受付へ行ってKさんに挨拶をすると、
次回の予定などを教えてくれた。
今後は偶数月の第1土曜日に行っていくとのこと。
次回は同僚も必ず誘ってこよう。
それと、次回も他に男がいないと正客をやらされてしまうから、
それなりの準備をしておかねば!