私はモミジが好き。
そんなわけで我が家の庭にもモミジの木があるが、
一体どんな名前の木(品種)なのかイマイチわからない。
モミジは園芸用に多数の品種が作られたから似たような葉っぱの木がたくさんある。
先日図書館で偶然「カエデの種別ハンドブック」という本を見つけたので早速調べてみることにした。
一般的にモミジと言われているものは正式にはカエデ科カエデ属の木の総称である。
我が家にあるモミジは西尾にある憩いの農園で「山モミジ」として売っていたものを購入したので、
まず最初に本当に山モミジなのか調べてみる。
今は冬で落葉期間なので、落ち葉を参考に調べてみた(上の写真が我が家のカエデの落ち葉) 。
この本によると、山モミジはこんな葉っぱ↑
紅葉したときの葉の色が黄色だし、葉っぱの形も違う。だから、我が家のモミジは山モミジとは違うようだ。
で、葉っぱの形を元に似たものを探してみたら、オオモミジというのがあった↑
これは紅葉したときの葉の色が赤だし、形も何となく似ている。
もう少し調べてみたところ、イロハモミジというのがあった↑
葉っぱの形(特に切れ込み)や紅葉のときの葉の色、葉につながる枝の色などこれが一番ぴったり合う。
ということで、我が家のモミジは多分イロハモミジだと思う。
イロハモミジは日本で一番よく見られるカエデ属の木だとのこと。
この木からも多数の園芸品種が作られているとか。
モミジの木はカミキリ虫の食害を受けやすく、その対策を練らねばならないのが面倒だが、
しっかりとやっていきたいと思う。
2011年2月13日日曜日
2011年2月7日月曜日
古い発信機
2月6日は愛知県知事選挙だった。
でも、この日は所用のため都合が悪かったので期日前投票へ行って来た。
私は今まで選挙を棄権したことはない。
まだ「不在者投票」と称していた時代からだ。
今は投票日に旅行に行くという理由でも期日前投票を受付してくれるが、
「不在者投票」の時代は厳格で、公的な理由がないとダメだった(遊びの理由は不可)。
私が大学時代の頃、ちょうど大学祭の日が投票日になったことがある。
衆議院か何かの補欠選挙だったと思う。
そのときも市役所で不在者投票をしたのだが、
理由を説明したら「大学祭において企画実行委員のお手伝い」という理由(これだと遊びではないという解釈になるらしい)にされて
一応投票できることになった。
ただ単にサークルで模擬店をやるというのが本当の理由なんだけどね~。
それはさておき、今回も不在者投票の会場は半田市役所だ。
市役所の本庁舎は極めて古い。
耐震基準を満たしていないということで、
近いうちに建て替えとなるらしい。
その旧玄関ホールにかなり古い発信機(火災報知機の押しボタン)を見つけた。
よく見てみると「東京報知機株式会社」と書いてある。
これは現在のホーチキ株式会社のことだ。
ホーチキのHPで沿革をチェックしたところ、
1972年7月に商号をホーチキに変えたとある。
だから、この発信機はそれ以前に製造され、
取り付けられたものだ。
ちょっと珍しいので写真に撮っておいた。
が、この近くにあった地区ベルは某幡ヶ谷に本社のある会社のものだった。
普通は建物の火災報知システムは同じメーカーのものが付いているはずなんだが・・・。
多分、施工後の保守契約や改修・増築工事などの際に幡ヶ谷に乗っ取られたんだろう。
仕方ないなあ。
2011年2月4日金曜日
藤田流の節分
今年は偶然節分の日が笛の稽古日だった。
19時から稽古だが、少し早めに稽古場(藤田舞台)に到着。
稽古は舞台横の稽古部屋で行う。
まだ私の前の時間のお弟子さんが稽古中だったので、
舞台の前で能楽の友などを読みながらしばし待つ。
そのとき気付いたのだが、舞台上に節分で撒いたと思われる豆が落ちていた。
コレが豆のアップ↑。
そういえば、入り口からココまでの経路でも豆が落ちていたなあと思い返し、
伝統ある藤田流でもちゃんと古式に則った通りの豆まきをしているのだと知る。
よく見ると、普通の大豆だけではなく黒豆も撒いているようだ。
稽古の際に師匠に伺ったところ、
理由は知らないが藤田流では黒豆も撒いているとのこと 。
今日は拾ってはダメだと言われているそうな。
稽古のあと、入り口までの経路をしっかり観察して通ったところ、
いろんなところに豆があった。
あらゆる場所に撒いているカンジだ(トイレも)。
今年は正月(松の内)にも稽古日があったから藤田流のお正月の一端が見えたし、
何かいいことがありそうだ。
19時から稽古だが、少し早めに稽古場(藤田舞台)に到着。
稽古は舞台横の稽古部屋で行う。
まだ私の前の時間のお弟子さんが稽古中だったので、
舞台の前で能楽の友などを読みながらしばし待つ。
そのとき気付いたのだが、舞台上に節分で撒いたと思われる豆が落ちていた。
コレが豆のアップ↑。
そういえば、入り口からココまでの経路でも豆が落ちていたなあと思い返し、
伝統ある藤田流でもちゃんと古式に則った通りの豆まきをしているのだと知る。
よく見ると、普通の大豆だけではなく黒豆も撒いているようだ。
稽古の際に師匠に伺ったところ、
理由は知らないが藤田流では黒豆も撒いているとのこと 。
今日は拾ってはダメだと言われているそうな。
稽古のあと、入り口までの経路をしっかり観察して通ったところ、
いろんなところに豆があった。
あらゆる場所に撒いているカンジだ(トイレも)。
今年は正月(松の内)にも稽古日があったから藤田流のお正月の一端が見えたし、
何かいいことがありそうだ。
2011年1月31日月曜日
名岐駅伝と清洲城
名岐駅伝の審判に行ってきた。この大会は1930年に始まった伝統のある大会で、途中で何度か中断があるものの今年で65回目を迎える。
私も現役時代(高校)の頃に出場したことがあるので親しみがある大会だ。
今年は天気予報だと雪が降るとのことだったが、全く降らず拍子抜けだった。
が、小牧に住んでいる人からは雪が積もっていたと聞き、
地域によって天候がかなり違うことに驚かされた。
今年の担当エリアは清州周辺の走路。一般だとアンカー区間、
高校生だとアンカーの一つ手前の区間だ。
中日新聞本社の会議室に10時集合。諸説明と打ち合わせをしてから現地に向かう。
例年陸協の審判だけでは足りないから、
高校や実業団などから補助員の出してくれるよう依頼しており
私たちのエリアに割り当てられた補助員と一緒に行く。
いつもだと選手の通過予想時刻の30分前に担当場所で待機となっているが、
今年は45分前から待機せよとの指示が・・・。寒いじゃないか!
実は、例年、特に高校生の補助員の態度がよくないと警察からお叱りを受けたらしく、
配置についた後に仲間同士で固まっておしゃべりするのは厳禁だとのお達しがあった。
配置についた後に仲間同士で固まっておしゃべりするのは厳禁だとのお達しがあった。
まあ、これは真面目にやらない方が悪いから仕方ない(審判もそういう補助員に注意しない人もいるし)。
私のエリアに配置された高校生(岡崎城西)はまじめで良かったな。
沿道に住んでいるという幼い兄妹がウロウロしていたからどうしたのかと思っていたら、
道路の向かい側で応援用に配っている旗が欲しいことが分かった。
貰ってきてあげたところ、ちゃんと大きな声で「ありがとう」が言えた。
偉いなあ。
偉いなあ。
しかし、雪が降らかなったとは言え、
曇りで冷たい北風が吹いていたから非常に寒かった。
かなり厚着をしていたが、すっかり冷えてしまった。
さて、レース終了後に清洲城へ立ち寄った。
私の担当エリアに近かったからだ。
今はちょうどNHK大河ドラマ「江」で織田方の城として登場しているので
地元でも観光PRにかなり力を入れている。
今日は寒い一日だったが、
それなりに観光客が来ていた。
歴女と思われる人も・・・。
清洲城は、徳川治世に廃城になっているので(清洲越)、
今の城は近年再建されたもの。
ちょっと立派で派手過ぎやしないか・・・と議論のある城だ。
城の周りは一応少し散策できるようになっており、
信長を祀る祠があったり、
立派な銅像があったりとそれなりに楽しめる(でも、これだけ?と思う人も多いだろう)。
しかし、清洲は秀吉が柴田勝家を抑えて天下人となる足掛かりとなった「清洲会議」が開かれた場所で、
歴史上では重要ポイントだ。
その当時の城やその周辺はどんな感じだったのだろうか、
と想像しながら歩くのも悪くないだろう。
近隣には小牧城・犬山城など小牧長久手の戦いに関連する城もあるし、
金華山(岐阜城)や名古屋城も近い。
これらをセットにして、
戦国末期の尾張~美濃探索する歴史散歩もいいと思う。
2011年1月23日日曜日
アルクカフェ(Alku cafe)で新年会
学術サークル「ひな文庫」の新年会へ行ってきた。行ってきたというより、私が幹事だったから「開催した」という方が正しいか?
このサークルは、名古屋市南区にある見晴台遺跡(弥生時代の環濠集落の遺跡)の発掘参加者有志によって結成されたもので、当初は研究発表・読書会やいろんなところへ見学に出掛けるなど結構真面目な活動をしていた。
しかし、メンバーが転勤・結婚するなど状況が変わったために今は発掘OBによるお茶飲み友達の会といった状態だ(現在も発掘に参加しているのは私1人)。
メンバーは個性派揃いで、普通の会社員・主婦・女子大卒のスナック経営者・筑波の研究所勤務の工学博士などなど。
今回は私の個人的趣味で円頓寺にある店で開催した。
場所はアルクカフェ(Alku cafe)。綴りのUにはウムラウトが付くのだけれど、どうやってその字を表示させるか分からないからこのままで・・・。
Alkuとはフィンランド語で「始まり」を意味する言葉。ここでの出会いから生まれたきっかけがお客一人ひとりにとっての「はじまり」になってほしいとの願いを込めているとのこと。それに日本語の「歩く」とも音が同じであり、円頓寺の路地裏を歩く~ということにもつなげたいとか。
この店は2010年11月に開店したばかりの新しい店だ。店の建物自体はかなり古くて、3年前までおばあさんが1人で住んでいた古民家。これをお店に改造したのだ。
いい雰囲気のまさに隠れ家のような小さな店。
経営しているのは大学で経済学を学ぶ女子二人組。経営の実践を学びたいと出店を決意し、不動産屋に相談したところ紹介されたのがここらしい。
本当は円頓寺商店街の通り沿いの出店を希望していたが、いろいろあってここに決めたとのこと。
本当は円頓寺商店街の通り沿いの出店を希望していたが、いろいろあってここに決めたとのこと。
確かに裏通りだから店の場所が分かりにくい。店の前の道もかなり狭いし、お店の正面に来ないとここが店だとは分からないほどだ。
仕入れは早起きして自分たちで柳橋市場へ行っているそうだ。市場は若い子が少ないからオジさんたちに可愛がってもらっているとか。
店のことは名駅経済新聞にも取り上げられている↓
※この写真は緊張して写っている様子。実物はもっと可愛らしい。
店のコーヒーはフェアトレードの豆を使っている(小売もしている)。
今回この店を紹介してくれたのは月のののうさというお店を円頓寺(四間道)で経営している方。
さて、新年会は昼間に開催した。実はこの店は2階建てなんだけれど、
今までは2階にお客を入れたことがなかったとか。
それは、今まで1階で収まらない団体客を入れたことがなかったからだ。
それと2人で経営しているから、
1階・2階の両方へお客を入れて対応できるかがまだ不安だったとのこと。
それと2人で経営しているから、
1階・2階の両方へお客を入れて対応できるかがまだ不安だったとのこと。
我々は8人(しかも子どもがいる)。1か所にまとまって座るのは1階ではちょっと無理。
だから、他の客に気兼ねしなくてもいいように2階を使わせてもらうことにした。
ということで、めでたく我々が2階を使う最初の客となった。
だから、他の客に気兼ねしなくてもいいように2階を使わせてもらうことにした。
ということで、めでたく我々が2階を使う最初の客となった。
昼はランチメニューのみだから、料理はその中から選ぶ。
私は最近メニューに加えたという唐揚げランチをチョイス。
大人たちは会話をしたいのだけれど、子どもたちはすぐ飽きてごそごそし出した。
こういうこともあろうかと、2階の部屋にしておいてよかった(でも子どもが飛び跳ねた時など1階はうるさかっただろうなぁ・・・)。
当初はお酒を飲む人がいるだろうと思っていたが、
子どもがいたし、一番の酒豪が欠席だったから結局誰も飲まなかった。
大学生が二人でやっているから大丈夫かという意見もあったが、
おいしかったな~。ちゃんと子どもたちへの配慮もしてくれて、とても助かった。
彼女らは現役大学生、
今年度は後期試験もあるから明日から2月2日まで臨時休業だそうだが、
今年度は後期試験もあるから明日から2月2日まで臨時休業だそうだが、
来年は休学してお店一筋でいくらしい。
私は笛(能管)の稽古のために月2回は円頓寺周辺に来るから
稽古のついでなどでも立ち寄りたいところだ。
店の建物も興味深いし。
稽古のついでなどでも立ち寄りたいところだ。
店の建物も興味深いし。
古民家とか伝統的な日本家屋が好きな人には
店の建物の構造や意匠を観るという楽しみ方もある。
店の建物の構造や意匠を観るという楽しみ方もある。
ちょっともったいないところは、座敷(2階)を物置にしているところ。
実は床の間がある座敷が2階にあることを発見してしまった。
今はスタッフオンリーになっているが、座敷は南向きだから日も入って明るいし、
お茶会にも使えそう。
活用できたらもっといいのにと思ったり(そうすると物置スペースが無いか・・・)。
今はスタッフオンリーになっているが、座敷は南向きだから日も入って明るいし、
お茶会にも使えそう。
活用できたらもっといいのにと思ったり(そうすると物置スペースが無いか・・・)。
また始まったばかりの店。
これからいろんなことにチャレンジしていくことだろう。
これからいろんなことにチャレンジしていくことだろう。
2011年1月16日日曜日
ナゴヤの古墳の魅力にせまる!「歴史の里」トークイベント
9年ぶりの大雪の1日ではあったが、「歴史の里」トークイベントへ行ってきた。
事前申込に申込をし、抽選で400名が入場できるという名古屋の志段味古墳群をテーマとした考古学の講演会だ(私はめでたく当選した)。
会場は名古屋市中区の中区役所ホール。
私は開演の20分くらい前に入場。
そこで、見晴台遺跡の発掘でお世話になっている学芸員のH氏と会った。
H氏はこの会の運営スタッフとして忙しそうにしていた。
聞くところによると、
400人の定員のところに600人の応募があったため200人にお詫びをして断ったとか。
しかし、当日は大雪・・・多分100人弱くらいの人が来ていないだろう。
今日は満席とアナウンスがあったが、私の両脇の席は空いていた(私は前から10列目の席)。
今日は出演者が素晴らしい。
この古墳の発掘に国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学教授の広瀬和雄氏、俳優で日本考古学協会会員の苅谷俊介氏、NPO法人ニワ里ねっと理事長の赤塚次郎氏の3名だ。
私は特に苅谷さんの話を聞きたかったために応募したのだ。
苅谷さんは強面の個性派俳優。石原軍団の一員として活躍してきたという異色の経歴の持ち主。
詳しくは公式サイトを→ http://www.tutibutai.com/index.html
講演の題目は「古墳に感じる歴史ロマン」。
内容は、
①ご自分の経歴や考古学関連活動の話
②自分の体は縄文人の特徴をよくあらわしているということ
③「記録なきところ、墳墓これを語る」という言葉について
④日本が経済最優先という方針で来たために文化的に貧困になってしまったということ
⑤三位一体の社会(日常生活・文化遺産・自然)について
⑥今こそ物質至上主義を改め、意識改革をするときがきていること
自分は考古学愛好家ではあるけれども、キャリアがあまりないから講演をするような立場の人間ではないとおっしゃった。
苅谷さんは30歳過ぎに本格的に考古学とかかわり、本業の俳優業の合間を縫って考古学を研究されてきた。
だから、実質10年くらいしか考古学に携わっていない計算になるとか(現在63歳)。
話慣れているようで講演はとても面白かった。いろんな具体例を盛り込んだ話だから分かりやすく、なるほどと思うことばかりだ。
日本は長い歴史がある国、中国も長い歴史がある国。
しかし、アメリカは歴史が300年弱という若い国。日本は長い歴史があるのだから、それを捨てるのではなくて大事にしていくべきではないのか?
経済最優先のために自然や我が国固有の文化的なものを全部捨て、
その結果唯物世界観が形成されてしまったがこれでは豊かな人間性は育まれない。
命の尊さ、心の育成・自然との共生等精神面の充実が強く叫ばれている中でこの物質本位になりすぎた現代人は意識を変えねばならない、というような話が後半の中心だった。
確かにそうだ、いつの間にかお金をたくさん持っている人が偉いということになった世の中。
金さえあれば何でもできると考える人が増え、
自分さえよければ何でもよいと考える人が増えてしまった。
物質的には豊かもしれないが、心が貧しい人が多いことはとても残念なことだ。
昨今はセレブがもてはやされているが、本物のセレブってどれだけいることやら。
今回は名古屋市守山区にある志段味古墳群を歴史の里として保存する構想の中心に据えた講演会だ。
苅谷さんは考古学を愛する者として、ここ志段味古墳群が歴史公園として保存されることは大変素晴らしいことだと喜ばれた。
が、まだこの古墳群を歩いたことが無いらしい。
私もまだだ(公園整備もまだされていない)。
実際のところ、まだ発掘中で「分からないことが分かった」というような段階だ。
ここの古墳群は、古墳時代(現在は3区分する)のすべての時代の古墳が存在しているところが貴重で、保存状態もよい。
これが街中だと開発のために破壊されるところだが、
ここは郊外(それも結構丘陵地帯)だから歴史の里として保存することになったのだろう。
いずれにしても、これだけ貴重なものが保存されることはイイ。
苅谷さんが発掘に参加した奈良県桜井市の考古学的に大変貴重な古墳も、
奈良県の圃場整備という理由で埋め戻されたことがあるとか。
もうそろそろ破壊じゃなくて残すという方向で行こうよ、と思わず本音を漏らされた。
おっと、そうそう。今回の参加者は平均年齢が50代後半だと思うが、
その一部の方のマナーがなってないのが非常に残念だった。
まだ講演が終わっておらず、出演者も全員舞台の上にいる段階なのに
堂々と帰るじじーが何人もいたことだ。
そのタイミングで帰っても、ちゃんと終了までいて帰っても1分くらいしか違わないのに。
舞台の上からは丸見えだから、出演者は感じが悪いはずだ。
いくら無料の講演会だとは言え、マナーは守って欲しい。
最近、どんなコンサート(クラシック)や講演に行っても、終演間際にさっさと帰るじじーがいる。
コンサートの前に指揮者が曲の説明をしていたところ、バンバン手を叩いて「早く聴きたい!」と怒鳴ったじじーがいたこともある。
年取ると自分が偉いと勘違いする人がいるのか・・・。
これまた非常に残念なことだ。
事前申込に申込をし、抽選で400名が入場できるという名古屋の志段味古墳群をテーマとした考古学の講演会だ(私はめでたく当選した)。
会場は名古屋市中区の中区役所ホール。
私は開演の20分くらい前に入場。
そこで、見晴台遺跡の発掘でお世話になっている学芸員のH氏と会った。
H氏はこの会の運営スタッフとして忙しそうにしていた。
聞くところによると、
400人の定員のところに600人の応募があったため200人にお詫びをして断ったとか。
しかし、当日は大雪・・・多分100人弱くらいの人が来ていないだろう。
今日は満席とアナウンスがあったが、私の両脇の席は空いていた(私は前から10列目の席)。
今日は出演者が素晴らしい。
この古墳の発掘に国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学教授の広瀬和雄氏、俳優で日本考古学協会会員の苅谷俊介氏、NPO法人ニワ里ねっと理事長の赤塚次郎氏の3名だ。
私は特に苅谷さんの話を聞きたかったために応募したのだ。
苅谷さんは強面の個性派俳優。石原軍団の一員として活躍してきたという異色の経歴の持ち主。
詳しくは公式サイトを→ http://www.tutibutai.com/index.html
講演の題目は「古墳に感じる歴史ロマン」。
内容は、
①ご自分の経歴や考古学関連活動の話
②自分の体は縄文人の特徴をよくあらわしているということ
③「記録なきところ、墳墓これを語る」という言葉について
④日本が経済最優先という方針で来たために文化的に貧困になってしまったということ
⑤三位一体の社会(日常生活・文化遺産・自然)について
⑥今こそ物質至上主義を改め、意識改革をするときがきていること
自分は考古学愛好家ではあるけれども、キャリアがあまりないから講演をするような立場の人間ではないとおっしゃった。
苅谷さんは30歳過ぎに本格的に考古学とかかわり、本業の俳優業の合間を縫って考古学を研究されてきた。
だから、実質10年くらいしか考古学に携わっていない計算になるとか(現在63歳)。
話慣れているようで講演はとても面白かった。いろんな具体例を盛り込んだ話だから分かりやすく、なるほどと思うことばかりだ。
日本は長い歴史がある国、中国も長い歴史がある国。
しかし、アメリカは歴史が300年弱という若い国。日本は長い歴史があるのだから、それを捨てるのではなくて大事にしていくべきではないのか?
経済最優先のために自然や我が国固有の文化的なものを全部捨て、
その結果唯物世界観が形成されてしまったがこれでは豊かな人間性は育まれない。
命の尊さ、心の育成・自然との共生等精神面の充実が強く叫ばれている中でこの物質本位になりすぎた現代人は意識を変えねばならない、というような話が後半の中心だった。
確かにそうだ、いつの間にかお金をたくさん持っている人が偉いということになった世の中。
金さえあれば何でもできると考える人が増え、
自分さえよければ何でもよいと考える人が増えてしまった。
物質的には豊かもしれないが、心が貧しい人が多いことはとても残念なことだ。
昨今はセレブがもてはやされているが、本物のセレブってどれだけいることやら。
今回は名古屋市守山区にある志段味古墳群を歴史の里として保存する構想の中心に据えた講演会だ。
苅谷さんは考古学を愛する者として、ここ志段味古墳群が歴史公園として保存されることは大変素晴らしいことだと喜ばれた。
が、まだこの古墳群を歩いたことが無いらしい。
私もまだだ(公園整備もまだされていない)。
実際のところ、まだ発掘中で「分からないことが分かった」というような段階だ。
ここの古墳群は、古墳時代(現在は3区分する)のすべての時代の古墳が存在しているところが貴重で、保存状態もよい。
これが街中だと開発のために破壊されるところだが、
ここは郊外(それも結構丘陵地帯)だから歴史の里として保存することになったのだろう。
いずれにしても、これだけ貴重なものが保存されることはイイ。
苅谷さんが発掘に参加した奈良県桜井市の考古学的に大変貴重な古墳も、
奈良県の圃場整備という理由で埋め戻されたことがあるとか。
もうそろそろ破壊じゃなくて残すという方向で行こうよ、と思わず本音を漏らされた。
おっと、そうそう。今回の参加者は平均年齢が50代後半だと思うが、
その一部の方のマナーがなってないのが非常に残念だった。
まだ講演が終わっておらず、出演者も全員舞台の上にいる段階なのに
堂々と帰るじじーが何人もいたことだ。
そのタイミングで帰っても、ちゃんと終了までいて帰っても1分くらいしか違わないのに。
舞台の上からは丸見えだから、出演者は感じが悪いはずだ。
いくら無料の講演会だとは言え、マナーは守って欲しい。
最近、どんなコンサート(クラシック)や講演に行っても、終演間際にさっさと帰るじじーがいる。
コンサートの前に指揮者が曲の説明をしていたところ、バンバン手を叩いて「早く聴きたい!」と怒鳴ったじじーがいたこともある。
年取ると自分が偉いと勘違いする人がいるのか・・・。
これまた非常に残念なことだ。
2011年1月10日月曜日
能管 稽古始め
今年になって初めての笛の稽古日は7日(金)だった。
昨年末の稽古で大癋(おおべし)が一応合格となったので、
今回から鞨鼓(かっこ)を習う(大癋は上手に吹けていなかったのでかなりオマケの合格だが)。
鞨鼓は最初の部分は中之舞と大体同じだが、
途中から今までの舞囃子とは全く異なる曲調となるので難しい。
今回は唱歌を習った。
唱歌でさえ難しいから、
こりゃかなり自宅でかなり稽古しないと笛は吹けないな~。
さて、私は藤田流の家元の家(藤田舞台)にある稽古場で稽古をつけていただいている。
私の師匠は竹市学先生。
だから、家元の家のある一室で稽古をつけていただいているとは言え、
家元にお会いしたことは一度もない(家と稽古場とは入り口が別)。
まあ、家元は雲の上の存在だから当たり前か・・・。
稽古場の隣には能舞台がある。
そこには上の写真の飾りがあった。
藤田流のお正月はこの飾りなんだろう。
家元の家の入り口にある注連飾りはこれ。
シンプルな意匠だが、このタイプのものを売っているところを見たことがない。
おそらく昔からの伝統の様式の飾りを注文して作ってもらっているのだろう。
半田市立図書館にあった注連飾りの絵本にこれと似た意匠のものが載っていたから、
昔は一般的なタイプだったのかも。
その他のいろんな扉にはこのタイプの注連飾りが飾られていた。
わが師匠の車は相変わらず猫たちのお気に入りの場所。
今日は1匹しか乗っていないが、4匹乗っているところを見たのが最高記録。
でも、ノラだから寄っていくと逃げるのが残念(私は猫好き)。
昨年末の稽古で大癋(おおべし)が一応合格となったので、
今回から鞨鼓(かっこ)を習う(大癋は上手に吹けていなかったのでかなりオマケの合格だが)。
鞨鼓は最初の部分は中之舞と大体同じだが、
途中から今までの舞囃子とは全く異なる曲調となるので難しい。
今回は唱歌を習った。
唱歌でさえ難しいから、
こりゃかなり自宅でかなり稽古しないと笛は吹けないな~。
さて、私は藤田流の家元の家(藤田舞台)にある稽古場で稽古をつけていただいている。
私の師匠は竹市学先生。
だから、家元の家のある一室で稽古をつけていただいているとは言え、
家元にお会いしたことは一度もない(家と稽古場とは入り口が別)。
まあ、家元は雲の上の存在だから当たり前か・・・。
稽古場の隣には能舞台がある。
そこには上の写真の飾りがあった。
藤田流のお正月はこの飾りなんだろう。
家元の家の入り口にある注連飾りはこれ。
シンプルな意匠だが、このタイプのものを売っているところを見たことがない。
おそらく昔からの伝統の様式の飾りを注文して作ってもらっているのだろう。
半田市立図書館にあった注連飾りの絵本にこれと似た意匠のものが載っていたから、
昔は一般的なタイプだったのかも。
その他のいろんな扉にはこのタイプの注連飾りが飾られていた。
わが師匠の車は相変わらず猫たちのお気に入りの場所。
今日は1匹しか乗っていないが、4匹乗っているところを見たのが最高記録。
でも、ノラだから寄っていくと逃げるのが残念(私は猫好き)。
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