2017年12月2日土曜日

愛知駅伝で問題に感じたこと

今日は愛知駅伝の開催日。
今年も中継所の審判で、担当は計時員(主)だった。
我が市の順位は・・・相変わらず芳しくない。
それより、各市町村の監督やコーチをやっている人たちの中にタチの悪い人たちが混ざっていて困る。
自分達の主義主張をぶつけてきて大会運営の妨げになっているから。
中継所でナンバーカードを呼んでいるのにコーチが「まだ行かなくていい!」というので選手は出て行かず、結局中継に間に合わなくて中継所でロスが生まれる。
中継点では呼ばれた順に奥に詰めて並ばないといけないのに、それをコーチが指導していないので呼ばれた選手がちゃんと並べない。
そもそも、中継点のラインのどちら側に立てばいいのかわかっていない選手が多過ぎる。
こんなのは出場する前に監督やコーチがきちんと教えておくべき基本事項だ。
また、大勢(出場するのは54チーム)で移動するので選手には早めに集合して欲しいのにギリギリに集まりたいチームのコーチから文句を言われたり(全然寒くない場所に10分くらい早く集めても問題ないでしょ)。
極め付けは、入ってはいけないところに堂々と入って来るコーチがいたり、悪質なコーチだと数百メートル伴走したりすることも。

熱血指導は分かるが、ルールを教える立場の大人たちがルールを破ったり自分達の都合でルールを曲げさせようとしたりする場面が往々にしてあるのが愛知駅伝。
監督やコーチを集めた大会の会議には来てなくて当日だけ頼まれてきている付添い役員たちは事情を分かっていないので余計な面倒を起こすし。
応援に来ている大人の中にも自分の都合で文句ばかり言ってくる人もいるし。
それ以外にも、自分の市町村をPRしたいために幟を上げる場所の場所取り合戦が過熱して規制しないといけなくなったり(金持ちの自治体は幟を大量に作れるので本数も規制されている)、控え場所についても自分たちの好きな場所を取りたいので揉めて、結局毎年ローテーションすることになったり。
監督やコーチ、その自治体の議員や職員など選手以外の大人のエゴに振り回される。
いつも優勝を狙っているチームとそれ以外のチームとのレベル差はとてつもなく大きく、白けたムードも漂う(何が何でも勝ちたいチームはかつて実業団の外国人選手を出場させたことも)。

この駅伝大会はもはや開催の趣旨や意義が完全に無くなっていると感じている(数年前からもはや惰性)。
愛知万博メモリアルと銘打っているけど、それに気付いている人ってほぼいないと思うし。
それにこの大会、皆さんの税金も多数投入されて開催している大会だから、もっと市民が苦情を言っていいと思うんだけどなあ。
自分の自治体のチームがこの大会に出場するためにどれだけお金を使っているか。

2017年11月30日木曜日

通勤電車で小耳にはさむ話には参考になる話もある

昨日・一昨日電車の中で聞いた話の要約。

①年賀状は、2年連続で返事が来なかった人へは出さない方がいい。相手が年賀状をやりとりするような関係ではないと考えているのかもしれないし、年賀状は出さない主義の人もかなりいるので出し続けるのはきっと迷惑。もう出さないでくれとは言いにくいし。もはやメール・LINEの時代だし年賀状を出す先もどんどん整理していくべき。

②女子で「私ってわがままだから」とすぐ言う人がいるが、そういう人は「いい歳して自分を律することができないダメな大人」ということを自ら公表していることと同じで評価が相当下がる。そう言って予防線を張っていてもわがままを言って許されることはない。わがままを言うたびに評価が下がっていくだけ。

③約束をしているのに、後で「都合が悪くなった」とよくキャンセルしてくる人は、こちらの優先順位が低いと考えているということ。先に約束していたのをわざわざキャンセルするということだから、後で分かった用事を優先したということ。簡単にキャンセルしても許してもらえるという甘えもありそう。そういう人との関係は今後見直した方が良い。

こうやって聞き耳を立てていない人にも聞こえてしまうから、電車内での会話には気を付けた方がいいだろう。

2017年11月26日日曜日

妙興寺(一宮市)へ行ってきた

 
先日一宮市博物館へ行った際に寄った古刹の妙興寺。
博物館の隣にある。
というより、恐らく妙興寺の敷地の一部を一宮市が購入して市立博物館を建てた感じ。


このお寺では今もなお修行僧が修行しているので公開しているのは寺の一部。
でも結構見ごたえがある。
おそらく仏殿のみ土日は公開しているので中を見学できる(無料)。