2017年12月30日土曜日

乙川人形屋の干支人形と岡崎大門の大根しめ飾り


♪そおおじう、そおおじう
我が家は毎年12月30日は正月の飾りつけ等をする日で、今年も玄関や座敷・神棚などをお掃除。
その後、古いお札を納めるのと新しいお札を受けるために県社へ行き、途中でやま源によって豆腐やあげを買ったり。
今日は比較的暖かだったのでよかった。
お正月のしめ飾りはいつも岡崎市・大門で作っている大根しめ飾り(あいちの伝統工芸品)を買っている。
ちょっと高いけどやっぱりこれがいい。
似た形のはいろんなところで売っているが、岡崎大門〆縄組合のものは中々見かけない(ピアゴなら売っている)。
干支の置物は毎年乙川人形屋で買う。
ここの置物は月~土の昼間に乙川人形屋へ直接行かないと買えないのがネックだが、結構気に入っているので時間を見て買いに行っている。
ただ、まだ大掃除は終わらない。
毎年年明けも掃除続行。

2017年12月24日日曜日

スポーツ医・科学研究所が間もなく閉鎖される


現在通院しているスポーツ医・科学研究所での診療は来年1月末で終了し、この施設は3月末閉鎖されてしまうことになった。
 http://www.sorc.or.jp/
入院は12月末で終了だから、あれだけたくさんいた実業団の選手たちは11月中に全員いなくなって、リハビリルームは一気に活気が無くなった(さっさと転院したらしい)。
病院が無くなるというのはこういうことなのだ。
通院の患者でもよそへ転院するために資料を作ってくれると言う(レントゲン写真のデータもCD-ROMに焼いてくれるらしい)。
主治医にどこかおススメの病院は無いか?とお聞きしたところ「ない!」と言われたので、ここが閉鎖されたらもうよそへ移って診療を受ける気は無い。が、念のために資料を作って貰っておくか。担当の理学療法士の話によると、ここで働いている理学療法士はここが閉鎖されたのちに知多半島内のどこかの病院に移る人はいないらしい。治療には医師より理学療法士の力が大事だと感じているので、担当の理学療法士が通える範囲の病院へ移ったらそこへ行くという手もある(ただし、自分の担当になるかどうかはわからない)。

2017年12月23日土曜日

たまには学術雑誌を読む


たまには学術雑誌の記事を読む。
普段から、ランナーズとかランニングクリールと言ったランニング系雑誌はほぼ読まない。
読むならトレーニング系・理学療法系の書籍か学術雑誌(査読ありのと無いのと両方)や研究紀要。
CiNiiなどデータベースで論文検索はしてないけどね。
もちろん、専門書や学術雑誌はかなり高価なので図書館で読む。
紀要は書店には売ってないし(まぁ紀要は内容的にちょっと・・・というのも結構あるけど)。
読んでみて手元に置いておきたいと思った書籍は厳選して購入。
雑誌の記事は著作権法の範囲内で複写。

2017年12月20日水曜日

自分で理論的に考えて練習するということ

広島の名門・世羅高校陸上部出身で現在は世羅高校の陸上部監督を務める岩本監督の著書。
本人は大した選手ではなかったと謙遜しているが、インターハイでは1500mで全国大会にも出場していたレベルの選手だった。
実はあの青山学院大の原監督も中国電力の坂口監督も世羅高校出身。
トレーニング方針については私の考えていることと一致する点が多い。

この考え方はまだ日本ではごく少数派。
その考え方とは「練習は短時間で質を高く」。
ただ、今の日本の主流は高強度の練習をたくさん行うというもの(走り込み量重視)。
瀬古氏を始め小出監督など多くの指導者がこの方針でそれなりに実績があるから。

宗兄弟や瀬古の現役時代には理論的なマラソンの練習方法はまだ確立されていなかった。
瀬古の引退前後に練習方法が確立されたと言われるが、その時の方針が高強度の練習をたくさん行うというもの。
実は、その後走り込み過ぎは良くないという考え方が台頭して効率重視の練習方法が取り入れられた時代がある。
だが、その練習方法を実践した瀬古氏の弟子たちは思ったほど伸びなかった(瀬古氏の大学の後輩にあたる渡邉監督や花田監督たち)ので、やっぱりしっかり走り込まないとダメだということになってしまい現在に至る。

現在の世界の長距離界の潮流はこのような20~30年前の理論ではない。
たくさん走り込みをしないといけないという練習方針は見直さないといけないと思う。

2017年12月17日日曜日

若草堂で伊勢うどんを食べる(JR伊勢市駅前・外宮参道)

検定お伊勢さんを受験する前のお昼ご飯。
試験会場の商工会議所の近所だとちとせとか森スパとかがベストだが、一度も行ったことが無い店にしたいと思ってJR伊勢市駅から外宮参道に入る最初の交差点の角にある若草堂へ行ってみた。
一見したところ営業しているのかどうかわからない入るのに勇気のいる佇まい。
でも旗もたくさん上がっているし電気もついてるし。思い切って入ってみた。
お昼時だが空いてる、というか私しかいない。みんな入る勇気がないんだな。
店内は意外と広くて20人以上座れる。奥には中庭があった。

お店はおばあちゃんが1人でやっていて、定番の伊勢うどんを頼む(卵入りにしたけど)。
ライスはサービスで付く。
うどんを食べるときはタレとよくからめてから食べて、残ったタレはご飯にかけて食べてと教えてくれる(伊勢うどんのタレはその色から濃い味のように思われるけど、普通のうどんより塩分は少ないとのこと)。



この店の伊勢うどんは美味しかったなあ。
伊勢市や商工会議所などが発行している伊勢うどんのお店マップにもちゃんと載っていて「貫禄たっぷりに佇むお店」とあった(うまい言い回しだよなあ)。
今はJR伊勢市駅の前にもいろいろ店ができたが、かつてはそこにジャスコがあったので、外宮参道の本当の入口に当たる場所にこの店がある。
その昔は内宮前のおはらい町よりこちら(外宮参道)の方が栄えていて、はす向かいにある中村屋と客の取り合いになっていたそうだがライバルは既に閉店。
若草堂のおばあさんはまだ元気だけど跡継ぎはいなさそうなので、いつまで営業しているかなあ。

2017年12月15日金曜日

内宮と外宮(伊勢神宮)、宇治神社(足神様)参拝&見学





 
 先週の検定お伊勢さんを受験する際、直前に外宮にお参りに行き、試験後は内宮へお参りに行った。

理由は、外宮は試験会場から近いから。そして、試験問題で「内宮の宇治橋の擬宝珠の数はいくつか?」というのが出たので参拝がてら数を確認するために内宮へ行ったのだ(この試験には一応テキストもあるが、テキストからの出題はおよそ7割。もちろん擬宝珠の数なんてテキストには載っていない)。


擬宝珠は全部で16個だった。今まで擬宝珠なんてあまりチェックしていなかったので今回はじっくり見てみた。
そうしたらいろいろ刻印があった。これを作った年代とか鋳物師の名前とか。
何だか江戸時代の年号が刻印してあるけど、擬宝珠は式年遷宮で作りなおさなかったのか??また今度調べてみよう。

内宮へ来た理由はもう一つ。
内宮のバス駐車場の奥にある宇治神社へ行くという目的。
ここは、伊勢市出身の野口みずきがアテネ五輪前にお参りしたという神社(その御利益で金メダルが取れたと言う説も)。
地元では通称足神さんと呼ばれている。
この神社は足の故障にも御利益があるとのことだったのでお参りに来たのだ。

右脚・・・治るかなあ。
主治医には完治するとは言われないのでもうほとんど諦めているが、一応お参り。効果のほどはいかに?



2017年12月12日火曜日

伊勢市のソウルフード?「カタパン」を買う

 

伊勢のソウルフードと言えば伊勢うどんとかてこね寿司・赤福などを思い浮かべる人が大部分だと思うが、これもある。
カタパン。
伊勢市内の公立中・高の購買で購入できたものだから、伊勢市で生まれ育った人はみんな知っている懐かしいものだ。
作っている店は丸与製パン。
伊勢市八日市場にある(小西萬金丹の近所)。
店構えはとてもパン屋だとは思えない。
それより、営業しているのかどうかわからない感じだ。
今では学校の購買へは卸していないらしい。

ただ、カタパンは他の店でも売っている。
浦の橋商店街の島地屋餅店。
丸与から歩いて5分くらい。
こっちはちゃんと営業しているぞという店構えだ。

2017年12月10日日曜日

伝説の大投手・沢村栄治は三重県伊勢市出身だった


今年は沢村栄治の生誕100周年らしい。
沢村栄治の名前は知らなくてもプロ野球の沢村賞という名称は聞いたことがある人が多いかもしれない。
そう、職業野球(プロ野球)の草創期の大投手・沢村栄治は三重県伊勢市出身だったのだ。

沢村栄治の出身地は近鉄宇治山田駅前の今の明倫商店街の辺りにある(明倫商店街は宇治山田駅の目の前にあるのにかなり寂れていて、もはや商店街とは言えないようなゴーストタウン状態)。


生家があったところは駐車場になっていて、傍らに記念の石碑と案内板がある。

今年は生誕100周年なので宇治山田駅前に記念の銅像を建立する計画があるが、今年10月25日に来襲した台風21号による大洪水の影響でちょっと微妙な状況になっているらしい。
沢村栄治の墓は伊勢市にあるらしく、その場所までの案内看板もあった。錦水橋を渡ってすぐなので徒歩15分くらい?それほど遠くないが、夕方だったし今回は行くのは止めた。
変わった形の墓石らしいので、また今度昼間に行ってみよう(墓石に野球のボール型の石が載っているらしい)。

2017年12月6日水曜日

スポーツ指導者手帳2018について


今年もスポーツ指導者手帳が届いた。
これは日本体育協会の公認指導員(私は陸上競技)の資格所持者に対して送られてくるものだが、こんなのいらないし。
こんなの送って来るならその分登録料を安くしてほしい。
日本体育協会の指導者資格(私の場合は日本陸連の指導者資格とセット取得)は定期的に講習を受けないと資格の継続ができず、4年ごとに更新する際に20,000円も取られる(講習費用は入っていない)。
そして、これは任意だが日体協の指導者用の責任賠償保険(指導中の事故を補償しているもの)が私の場合は年間5,000円弱。
これ以外にランニング学会の指導員の資格も4年更新で、更新年までに有料の講習を受講しないと継続できない。こっちは更新料は無いけど学会の年会費5,000円を支払わないといけない。
しかも、来年度から年会費が一気に7,000円へ値上げらしい・・・。
計算するとこれら3つの資格のために毎年20,000円近くを払っていることになる(研修の費用や交通費・宿泊費を入れるともっと・・・)。

日体協・日本陸連もランニング学会も泊まりの研修&試験を受けて取った資格なので無くしてしまうのは惜しいが、これまでも指導を依頼されたことはほとんど無いし今後も指導を依頼されることもまずなさそうなので、資格の更新はもう止めようか検討中。
ただ、日体協・日本陸連の資格の方は取るためのハードルが高かったから、そっちだけにしようかなあ。

2017年12月5日火曜日

宮宿(名古屋市熱田区)にある裁断橋と姥堂 

先日の試験の後に散策した伝馬町の街にあった史跡「裁断橋」と「姥堂」。
裁断橋には悲しい物語が・・・
豊臣秀吉が行った小田原征伐(北条征伐)に出征した18歳の堀尾金助は小田原で病死。
母親が息子を見送りに来た場所が裁断橋で、息子の供養のために裁断橋を架け替えたという。
その33年後にも養子の堀尾類右衛門が架け替えたとされ、この際に「息子の供養のためにこの書き付けを見る人は念仏を唱えてほしい」との母親の願いが擬宝珠に刻まれたとされる。
この銘文は日本女性三名文のひとつにかぞえられている。

ちなみに、裁断橋が架けられていた精進川は大正年間に流路の付け替えが行われたので元々の場所は埋め立てられている。
太平洋戦争時の熱田空襲でこの辺りは丸焼けだったが、奇跡的に橋の擬宝珠は焼け残った。

今この場所についている擬宝珠は複製品で、ホンモノは名古屋市博物館に常設展示されている。
姥堂は時宗のお寺で、かつては精進川に掛かる旧東海道の裁断橋西南角の畔にあって、川を三途の川に見立てて奪衣婆を本尊としたので姥堂と呼ばれるようになったらしい。
姥堂も熱田空襲で丸焼けになり、戦後再建。今の建物は1993年の再建(鉄筋コンクリート)。裁断橋もその一角に小さいながら再現されている。境内には都々逸発祥の地の石碑もある。