2013年6月2日日曜日

電話放送局みゅんけの思い出

先日、短波ラジオをいじっていたときに電話放送局みゅんけのことを思い出した。
かつて、まだインターネットやコミュニティFM局などない時代(30年くらい前?)に存在していた電話を使った放送局だ。
放送局と言っても電波を発信するわけではない。
電話のテレホンサービス機能の活用とでもいうのだろうか。
スタッフが3分間の番組(ラジオのトーク番組みたいなもの)を録音して機械にセットし、
電話を掛けてきた人がそれを聞くという形態のものだ。
今でいう留守電の応答メッセージを聞くという感じか。

この放送局は日本大学芸術学部の学生が始めたものだと思う。
当時はそれで画期的だった。
何せ当時の大学生が活用できるメディアと言えば、ミニコミ誌くらいだったから。
こういう形態の放送局というものを発想するところがさすが芸術学部だと思ったりした。
私は短波放送の雑誌でみゅんけを知り、ときどき聞いていた。
ただ、みゅんけは東京(練馬区江古田)にあったため、
たとえ3分間とは言え何度も電話していると電話代があっというまに膨らんでしまう(割引サービスなど無い時代)。
何でそんなに頻繁に東京に電話しているのかと親にも聞かれるし。
だから、本当にたまに、と言う感じだった。
で、高校生になり大学生になり・・・みゅんけのことを忘れていた。

かつて、みゅんけがミニコミ誌を発行していたことがある(日大芸術学部の人たちがやっていたはず)。
私の手元にも数号分がある。
MOGRAさんとかOSCARさんが編集を担当していた時代のもの。
お金がない学生が作るものだからもちろんコピー機フル活用の安上がり版だ。
当時はまだワープロも高価だったから原稿は手書き。
でもそれが返っていい味を出していた。
どういう方法でそれを入手していたかは覚えが無いが、今も数号が手元にある。
私は大学時代にミニコミ誌を発行するサークルに入ったから、
みゅんけのミニコミ誌が参考になったのは言うまでも無い。
面白い内容だった。
その当時は確かリスナーからのお便りも募集していたな。

ちょっとネットで調べてみたら、
元々スタッフだった人たちの何人かが昔を懐かしんでブログなりコメントなりを書いているのを見つけた。
みんなそういう年齢になったということだ。
私もそう言う年齢になった。

みゅんけは放送局だから、受信報告書を書けばもちろんべリカードを発行して貰えた。
私は結局報告書を書きそびれてべリカードを貰わずじまい。
書いておけばよかったな。