2012年9月15日土曜日

大名古屋ビルヂング あと半月ほどで閉館(名駅)

大名古屋ビル(大名古屋ビルヂング)が今年の9月30日で閉館し、
取り壊し→建て替えとなる(新ビルの竣工は2015年の予定)。
裏にある旧ロイヤルパークイン(元第一ホテル)のビルも、
その間にあった道路も大名古屋ビルと一体として新たなビル建設用地となるそうだ。
このエリアにまた巨大な高層ビルが建つことになる。
大名古屋ビルは名駅の建物の中でも特に愛着があるビルの一つだけに
無くなるのは寂しい感じだ。
このビルが特に愛着があるという明確な理由はよくわからない。
大名古屋ビルの地下街(ダイナード)の店には良く行ったし、
時間があるときにうろうろぶらついたこともよくあるし。
そういうものの積み重ねなんだろうか。
ビル内は比較的静かだから、
携帯電話時代が来る前はこのビルの地下の公衆電話を良く使っていた。
とりとめのない日常の思い出が一杯あるビル。
それに、何となくこのビルの古臭さが妙に落ち着く感じがするのも理由かも知れない。
当時は普通だったのかも知れないけれど、石のパネルを多様した壁面や階段。
それも壁の曲がり角はとがっていなくて石を曲線仕上げにしているなど結構凝った造りだ。
1階エレベーターホールの壁画も印象的。

ここ10年くらいの間、名駅でいろんなビルが建替えになっている。
JR名古屋駅・毎日ビル・豊田ビル・名古屋ビル・三井ビル・中経ビル・ターミナルビル(松坂屋とターミナルホテルが入っていたビル)・・・。
昔懐かしい建物が無くなるのを寂しく感じるのは私も歳を取ったということか。
ただ、上記のビルが取り壊しになるときと比較すると、
大名古屋ビルの取り壊しは特に寂しく感じる。
ターミナルビルや三井ビルの方が利用度は高かったんだけれど、
それだけの思い入れが無かったのかも。
もっとも、ターミナルビルは地下部分(テルミナオリンピア三省堂)の利用頻度だけが突出して高かったから単純には比較にはならないか(地下のオリンピアや三省堂が無くなるのは今回同様にかなり寂しかった)。




このビルの地下は名駅の地下街とつながっていて、
地下鉄名古屋駅やJR名古屋駅のすぐ近くだから結構便利。
地下の各店舗へは大学時代から良く行ってたから余計に愛着がある。
特に玉乃光へはよくお昼にご飯を食べに行ったな。
いつも「チキンの味噌かつ定食」ばかり食べていた。
ご飯とみそ汁はおかわり自由だし。
あとはその隣のスパゲティ屋チェスチーノ。
ランチがお値打ちだった。
HARBSではケーキセットでミルクレープを食べ、
サークルの暑気払いで八角へ行って盛り上がり、
ボンベイで辛いカレーを食べて胃が火を噴き、
花ころもでとんかつを食べ、
かんてらでミルクティー・・・。
地下街で行ってない店は竜むらくらいか?(ちょっと高そうなので)
その他のお店も、その店が入れ替わる前にあった店も何度も行った覚えがある。
ダイナード入口にある本屋(現在は三省堂)は昔は日進堂書店だったなあ。
玉音堂のババア(とみんなで呼んでいた)はまだ健在かなあ。

まだ携帯電話が普及していない時代には、
大名古屋ビルの公衆電話をよく使った。
電話が置いてある周りが静かで電話しやすかったからだ(地下街升半の近く)。
このビルもあと半月くらいで営業終了。
店子はどうなるんだろうなあ。
気になるのでお店の張り紙を見たところ、
移転する店より営業終了する店が多いように感じた。
近くに店を借りるのは難しいし、かと言って遠方で店を再開しても常連は行けないし。
お店を経営していくのは難しい。
今日行ってみたら、もうすでに半数以上の店子は営業終了していた。
9月30日まで営業する店は多分ほとんどないだろう(張り紙してない店がごくわずかあるので、
その店は30日までやるのか?)。
残りの日数、また営業している店に行きたいものだ。
大名古屋ビルが建替えということが広く告知されている関係で、
様子を観に来たり写真を撮ったりしている人がいた。
昔を懐かしむベテラン世代が多いのかと思っていたが
意外と若い人もいた。
元東海銀行の店舗だった場所では
「大名古屋ビルヂング閉館記念写真展」(無料)も開催されていて、
それを観に来る人も結構多い。
このビルが出来たときは私はまだ生まれていないから
写真でその時の様子を知った。
ビルが建設されたいきさつなども分かった。
また、特徴の一つの「ビルヂング」という標記は
名古屋だけ特別に、というわけではなくて
三菱地所(このビルのオーナー)が建てるビルには
最近まで「ビルヂング」と標記することに決まっていたということも分かった。
そう言えば、東京駅丸の内口すぐそばにあった大手町ビルも「ビルヂング」って書いてあった。
ただ、大名古屋ビルはビルの屋上にデカデカとビル名の看板があったから著名なのかも知れない。
このビルが出来た時は周りに大きなビルは無かったそうだが、
今は高層ビルに囲まれて午後はそのビルの日陰になってしまう。
新たなビルがまた愛着を持てるような設計・意匠・雰囲気だといいなあと思う。

2012年9月9日日曜日

登呂遺跡と芹沢銈介美術館へ行ってきた(静岡市)


登呂遺跡に行ってきた。
今から20年くらい前にも一度行っているのだが、
その時の印象はあまり無い。
埴輪の複製品が売っていたことくらいしか覚えていないのだ。
だから、今回はしっかりと目に焼き付けてこようと気合いを入れて出かけた。

登呂遺跡は静岡駅の南およそ3kmくらいのところにある。
目の前には東名高速道路が走っている。
太平洋戦争時に軍需工場を作ろうとして掘っていたところ、木製品や水田跡が見つかり、
それが弥生時代のものだと判ったところから登呂遺跡は脚光を浴びた。
日本史の教科書には必ず掲載されているからみんな知っていると思う。
静岡駅南口から石田街道を南に進めば登呂遺跡に着く。
健脚なら歩くのもまたよい。
私は健脚だから3kmくらいの距離は余裕なのだが、
普通の人は静鉄バスがたくさん走っているからバスに乗った方がよい。
現在の登呂遺跡の周りは住宅地となっている。
バス停のある北側から遺跡に入ると、目の前が再建された住居や倉庫などがあるエリアだ。
それを一通り見学する。
土日はボランティアガイドの方がいて、
詳しい説明や、子ども向けの火起こし体験などを行っている。
ある復元住居に入った時、ボランティアガイドさんから重要な話を聞いた。
一般的に、弥生時代の住居=竪穴式住居と思いがちだが、登呂遺跡は違うという。
一見したところ登呂遺跡で復元されている住居は竪穴式住居だと思えるのだが・・・。
でも、よく見ると住居の周りの地面の高さがポイントがあった。
住居の周りを土で高く盛り上げていたのだ。
つまり、住居内の地面の高さと住居の周りの地面の高さと同じだった。

竪穴式住居とは地面を掘り下げて、そこに柱を立てて梁などを組み合わせて
葦などの屋根を葺いて作る住居のことを言うが、
登呂遺跡では地面を掘り下げていないので竪穴式では無い。
ということで、登呂遺跡の住居は平地式住居と言うらしい。
ウィキペディアでは竪穴式住居の項に例として登呂遺跡の住居の写真を載せているが
これは誤りである。
屋根部分だけを見て竪穴式住居だと勘違いしてはいけないのだ。
解説された方によると、学校の先生などでも登呂遺跡=竪穴式住居だと思い込んでいる人が多いので、
帰ったら教えてやって欲しい!とのことだった。

でも、なぜここは竪穴式にはしなかったのか?
住居の周りにこれだけの土を盛り上げる方が返って大変なのに。
理由はこのエリアの地質にあった。
このあたりはもともと安倍川の氾濫原で地中の水分が多いらしい。
だから、竪穴を掘ると湧水があるなどして住んでいられないために
掘るのを止めて平地式としたらしい。
なるほど、この歳になるまで知らなかった・・・勉強になった。
あと、勉強になったと言えば、
あの有名な「安倍川餅」メーカーの「やまだいち」は登呂遺跡の隣にあることが分かったこと。
ここで作ったものが駅で売られているんだな。

ガイドさんの説明を受けた後に、復元された水田を見つつ
遺跡の南側に建つ登呂博物館へ行く。
前に来たときはこんなの無かった。
内部を見学し、屋上から遺跡を俯瞰する。
天気がイマイチだったので富士山は観えなかったのが残念。
そして、ここのミュージアムショップがイイ!
女子はあまり興味が無いかも知れないが、
男の子なら興味がありそうなものがたくさん売っている(遺跡好きな女子なら気に入るかも)。
欲しいものがたくさんあるが、無い袖は振れない。
今回はテラダモケイ監修の弥生住居キットを買った(田宮模型製)。
また作ってないけど楽しみ。

で、今回はこのまま帰る予定だったのだけれど、
登呂博物館の西隣に芹沢銈介美術館というのがあるのに気付いた。
建物の前まで行ってみて、
静岡市立の美術館なのに普通の美術館とはちょっと違った立派な建物なのに興味をもったので
入ってみることにした。
芹沢銈介についてはほとんど知らなかったけれど、
展示されている作品を見てすぐ気に入った。
染色でこんな色合いを出せるとは・・・。
そして琉球紅型のような色合いの作品も結構あった(指導を受けた成果らしい)。
建物は御影石を多様した重厚な造りで、
内部の意匠もさりげなく凝っているところが結構あった。
ここはオススメだ。
気に入る作品がきっと見つかると思う。
ちゃんと手荷物ロッカー(無料)もあるしミュージアムショップもあるし、
来てみてよかった。
ただ、シリーズ絵ハガキ「春夏秋冬」の夏だけが売り切れていたのが残念だった。

そうだ、書き忘れるところだったが、
復元された平地式住居の中にはちゃんと火災報知機(感知器)が付いていた!
しかし、何で防爆型(日本フェンオール製)が付いているのか?
直火でカマドに火をつけるからなのか?
ちなみに、登呂博物館はホーチキの火災報知システムが入っていた。
建物に入ると必ず火災報知機をチェックしてしまう癖はなかなか治らない。