2012年8月12日日曜日

名古屋で撃墜されたB29について(見晴台遺跡と関連して)


今年も名古屋市南区の見晴台遺跡に発掘に行ってきた。
毎年8月第2日曜日辺りに市民見学会が開催されていて、
今年は今日がその日だった。
発掘をしている日(水~日曜)ならいつでも見学はできるが、
市民見学会の日は今年の発掘の成果について系統だてて具体的な説明を聞くことができるのでポイント高い。

この遺跡は一般市民が参加して学術調査としての発掘を行うという
全国的に見ても非常に珍しいことを行っている。
それも、何10年も前から毎年夏休みの時期に見晴台遺跡の中で場所を変えて継続して行っているという非常に価値の高い取り組みだ。
生涯学習活動の先駆けとも言える。

さて、実は今年は弥生時代とは関係ないものも探してして発掘していた。
それは、第二次大戦中に日本各地に飛来して空襲をしていったアメリカの爆撃機B29の機体の一部だ。

見晴台遺跡は戦時中は高射砲陣地だった。
大戦末期には、
名古屋で撃墜されたB29の垂直尾翼を戦意高揚のために陣地内に展示していたらしい。
その尾翼は終戦時に、米軍に見つかるとヤバいということで陣地内に埋めたらしいが、
どこに埋められたのかが最近までわからなかった。
それが、2006年の発掘において機体の一部とみられるジュラルミンが偶然発掘されたことから
存在が明らかになった。
このとき、一緒に埋まっていた銃剣と思われるものが錆びて触ると崩れるほどだったが、
機体の方は全く錆びておらず銀色が輝いていたのが印象的だった。
ただ、そのときは調査区域の端で発見されたために取り上げることができなかった。
今年はそれを取り上げることと、更に他に埋まっていないかを探す目的もあって
その周辺を発掘していたのだった(もちろん、弥生時代の遺跡を発掘しているエリアもあった)。
しかし、残念ながら
現地説明会の日までの成果では元々わかっていたもの以外は見つからなかった。

現地説明会が始まる前に見学者のあるおじいさん2名から別々に声をかけられた。
その人たちは戦時中に名古屋に墜落したB29を知っているという人だった。
彼らは当時瑞穂区に住んでいて、瑞穂競技場辺りに墜落したB29を見に行ったという(このとき墜落したB29は被弾後に空中分解して、瑞穂競技場付近以外に村雲小学校にも墜落したそうだ)。
翌日になって見に行ったところ、
周辺には機体の残骸とともに搭乗員の死体が手や足などバラバラになって散乱していたそうだ。
それを、近所のお寺の住職が全部集めて埋葬したらしい。
そして、戦後に進駐軍にその旨を報告したところ、
進駐軍はそれを掘り起こして本国に持ち帰ったとのこと。
私が聞いた話はココに書いたよりもっと具体的で、
それを実際に見た人じゃないと話せないレベルだと感じた。
この話以外にも、
学校の音楽の時間ではオルガンで飛行機の爆音の音を教えられたとか(「この音はB29、この音はP51」とか教え込まれたそうだ)、
終戦後には放置された高射砲に乗って遊んだとか、
本を読んでもわからないような話をいろいろ教えてもらった。
戦後67年を経過し、こういう話ができる人ももう少なくなった。
今のうちに口伝を集めて記録しておかねばと強く思う。