2011年4月7日木曜日

没後120年ゴッホ展へ行ってきた

名古屋市美術館で開催されている「没後120年ゴッホ展」へ行ってきた。この展覧会で、ゴッホに対する認識が改まり、行ってとてもよかったと思っている。以下は名古屋市美術館のホームページからの引用。
「どんな芸術家の場合も、独自の作風を確立するまでには様々な試行錯誤の過程があります。どれほど際立った個性であろうとも、その背後には積み重なる歴史と経験があります。だれもが一目でゴッホと見抜く、燃え上がる情念の結晶のようなあの独特の画風が確立したのは、彼が亡くなるわずか2年ほど前に過ぎません。画家になることを決意してからオーヴェールの地で自ら命を絶つまで10年の時しか持たなかったゴッホ(1853-1890)は、驚くほどの集中力と貪欲さであらゆるものを吸収しようとしました。その経験のすべてが血肉となり、あの独特の作風の中に昇華しています。
没後120年を記念して開催される今回のゴッホ展は、美術史上に燦然と輝く名作の数々をご紹介するだけでなく、ゴッホはいかにしてゴッホとなったのかとの視点から、その創造の秘密に迫ります。ゴッホの傑作約70点に加えて、ミレー、モネ、ロートレック、ゴーギャンなど、彼に大きな影響を与えた作家たちの作品約30点。さらに、ゴッホが収集した浮世絵や版画などの資料類約20点を加えて、総数約120点の出品作によってその芸術の全貌を紹介します。あなたの知らないゴッホと出会うこの展覧会。どうぞお楽しみに。」 (以上、引用終わり)

ゴッホが画家として活動開始したのは27歳(1880年)。
その頃の絵ははっきり言ってあまり上手ではない。
それから自殺するまでのおよそ10年間が画家・ゴッホの活動期間だが、
わずか10年で素晴らしい成長を遂げていく。
特に晩年の23年のに素晴らしい作品が多い。
私は基本的に写実的な絵が好みだからゴッホの絵はそれほど好きというわけではなかった。
しかし、今回の展覧会においてまとまった数の実物を観て、その考えを少し改めた。
反対色を用いてうねるように描く絵は癖があるため万人受けするものではないかもしれないが、
実物を観たら魅力的だった。
やはり、絵具の盛り上がりや筆の運びの跡などが分かると迫力も全然違う。
久々に予想より大幅によかった展覧会だった。
難点は・・・とても混雑していたということ。
チケットを買うだけでも30分以上。
会場内はそれなりに流れていたが、ちょっと混みぎみ。
作品解説のヘッドフォンを借りる人は解説がある絵の前で長く滞在する。
解説がある絵が部屋の隅にあると、
そこに人だかりができてしまって周辺の絵が全く観えないということになる。
今回もそういう位置に展示してある作品があった。
テーマとか時代の流れなどその位置に展示したいという見せる側の趣旨もよくわかるが、
だから作品の展示場所はよく考えてもらえたらありがたいと思う。

2011年4月5日火曜日

転勤の季節

春は新人の入社、転勤・退職の時期。
今年は東北の大震災の影響で歓送迎会を自粛する雰囲気が広がっているため、
開催を中止した会社もあるだろう。
特に定年退職する人の送別会が無くなってしまったのならそれは寂しいことだったろうと思う。
さて、私が以前勤務していた会社はかなり古い会社だったから、
昔から続く変な行事がかなり残っていた。
その一つに転勤する人の見送りがある。

転勤する人は自家用車で異動することを禁じられていた。
それは事故があると困るからだ。
自家用車は会社の費用で車載トラックに載せることとなっているので、転勤する人は新幹線か飛行機か・・・公共交通機関を利用するということになる。
転勤する人は何月何日何時何分の列車で行くかを予め報告しなければならないことになっており、それが社内に掲示される。
それを見て、都合がつく社員は全員駅のホームまで見送りにいく。
協力会社の社長なども駆け付ける。
転勤者はそこで挨拶し、見送りする側はそこで万歳三唱。
さらに転勤者を胴上げまでするという念の入れよう。
これは見送られる側としてはかなり恥ずかしい行為なのだが、ずっと続いている恒例行事だ。栄転ではない人でも、一応栄転ということで胴上げされる。
新幹線ホームでも空港でもお構いなし。
転勤するときは大抵家族も一緒に行くから、その一部始終を見る羽目に。
そういえば、電車の発車時刻ギリギリまで隠れていて胴上げを逃れようとした人もいたな。
ちなみに、私は本社から名古屋へ赴任するときに東京駅でやられた。
このときは新人だったから胴上げはなかったけれど、同期の野郎どもが
私が乗る新幹線を追っかけてホームをダッシュしたのが懐かしい思い出だ(まだあの頃は若かった)。