2011年2月4日金曜日

藤田流の節分

今年は偶然節分の日が笛の稽古日だった。
19時から稽古だが、少し早めに稽古場(藤田舞台)に到着。
稽古は舞台横の稽古部屋で行う。
まだ私の前の時間のお弟子さんが稽古中だったので、
舞台の前で能楽の友などを読みながらしばし待つ。
そのとき気付いたのだが、舞台上に節分で撒いたと思われる豆が落ちていた。

コレが豆のアップ↑。
そういえば、入り口からココまでの経路でも豆が落ちていたなあと思い返し、
伝統ある藤田流でもちゃんと古式に則った通りの豆まきをしているのだと知る。
よく見ると、普通の大豆だけではなく黒豆も撒いているようだ。
稽古の際に師匠に伺ったところ、
理由は知らないが藤田流では黒豆も撒いているとのこと 。
今日は拾ってはダメだと言われているそうな。

稽古のあと、入り口までの経路をしっかり観察して通ったところ、
いろんなところに豆があった。
あらゆる場所に撒いているカンジだ(トイレも)。

今年は正月(松の内)にも稽古日があったから藤田流のお正月の一端が見えたし、
何かいいことがありそうだ。

2011年1月31日月曜日

名岐駅伝と清洲城

名岐駅伝の審判に行ってきた。この大会は1930年に始まった伝統のある大会で、途中で何度か中断があるものの今年で65回目を迎える。
私も現役時代(高校)の頃に出場したことがあるので親しみがある大会だ。

今年は天気予報だと雪が降るとのことだったが、全く降らず拍子抜けだった。
が、小牧に住んでいる人からは雪が積もっていたと聞き、
地域によって天候がかなり違うことに驚かされた。
今年の担当エリアは清州周辺の走路。一般だとアンカー区間、
高校生だとアンカーの一つ手前の区間だ。
中日新聞本社の会議室に10時集合。諸説明と打ち合わせをしてから現地に向かう。
例年陸協の審判だけでは足りないから、
高校や実業団などから補助員の出してくれるよう依頼しており
私たちのエリアに割り当てられた補助員と一緒に行く。

いつもだと選手の通過予想時刻の30分前に担当場所で待機となっているが、
今年は45分前から待機せよとの指示が・・・。寒いじゃないか!
実は、例年、特に高校生の補助員の態度がよくないと警察からお叱りを受けたらしく、
配置についた後に仲間同士で固まっておしゃべりするのは厳禁だとのお達しがあった。
まあ、これは真面目にやらない方が悪いから仕方ない(審判もそういう補助員に注意しない人もいるし)。
私のエリアに配置された高校生(岡崎城西)はまじめで良かったな。


沿道に住んでいるという幼い兄妹がウロウロしていたからどうしたのかと思っていたら、
道路の向かい側で応援用に配っている旗が欲しいことが分かった。
貰ってきてあげたところ、ちゃんと大きな声で「ありがとう」が言えた。
偉いなあ。

しかし、雪が降らかなったとは言え、
曇りで冷たい北風が吹いていたから非常に寒かった。
待機時間を含めておよそ1時間強寒風の中で立ちっぱなし。
かなり厚着をしていたが、すっかり冷えてしまった。

さて、レース終了後に清洲城へ立ち寄った。
私の担当エリアに近かったからだ。
今はちょうどNHK大河ドラマ「江」で織田方の城として登場しているので
地元でも観光PRにかなり力を入れている。
今日は寒い一日だったが、
それなりに観光客が来ていた。
歴女と思われる人も・・・。
清洲城は、徳川治世に廃城になっているので(清洲越)、
今の城は近年再建されたもの。
ちょっと立派で派手過ぎやしないか・・・と議論のある城だ。
城の周りは一応少し散策できるようになっており、
信長を祀る祠があったり、
立派な銅像があったりとそれなりに楽しめる(でも、これだけ?と思う人も多いだろう)。
しかし、清洲は秀吉が柴田勝家を抑えて天下人となる足掛かりとなった「清洲会議」が開かれた場所で、
歴史上では重要ポイントだ。
その当時の城やその周辺はどんな感じだったのだろうか、
と想像しながら歩くのも悪くないだろう。
近隣には小牧城・犬山城など小牧長久手の戦いに関連する城もあるし、
金華山(岐阜城)や名古屋城も近い。
これらをセットにして、
戦国末期の尾張~美濃探索する歴史散歩もいいと思う。