2011年5月15日日曜日

水谷由紀夫先生のこと(水谷眼科診療所:ニチコン相談室)

私がコンタクトレンズの検診に通っている名駅の水谷眼科診療所の院長先生が知らないうちに亡くなっていた。
最近の定期検診では若い先生ばかりが担当で、
水谷由紀夫先生がいないなあ~とは思っていたが・・・。
まだ若いので、非常に残念でならない。

私は高校卒業の頃からコンタクトを使っているから
コンタクト暦はすでに20年くらい。
メガネよりコンタクトの方が視力が落ちないし、視界も広い。
何よりうどんやラーメンを食べてもレンズが曇らないのは魅力だ。
ただ、私は目が充血しやすいために最近はもっぱらメガネだ。
使っているコンタクトはずっとニチコンのハードだ。
ソフトは手入れが面倒だし、
ハードよりソフトの方が目に傷がつきやすい(つけたり外したりの際に)と聞いたので
迷わずハードにした。
ハードの方が耐久性が高いらしいし(使える期間が長い)。

名古屋には日本を代表するコンタクトレンズメーカーの本社が2つある。
メニコンニチコンだ。
いずれのメーカーの沿革を見ても、
1951年に日本で初めてコンタクトレンズを実用化した旨の記載がある。
どちらかというとニチコンの方がより具体的に書いてある。
ということは、
おそらくこの2社の創業者は当初は一緒にコンタクトレンズの開発~実用化を目指していたのだろう。
で、あるときに袂を分かち、
それぞれの会社を興して営業開始したのだと思われる。

それはさておき、
水谷先生は口髭を生やした低い声の穏やかな先生だった。
まさに紳士という感じ。
いい先生だった。
亡くなったことが分かった理由は
偶然そのことを書いているHPを発見したからだ。
このHPの主は水谷先生のいとこらしく、
他の場所で眼科を開設している方だ。

そのHPへのリンク→加藤眼科医院HP

記事を読んでびっくりした。
もう何年も前だったなんて。
まだ信じられない。
妻もこの眼科でコンタクトを作ったから、
この話をしたらびっくりしていた。
知っている人が亡くなるというのは寂しい。
これからも多数の先輩方を見送らねばならないが、
いつまでもくよくよしていてはいけない。
ピッとしていなければ。

0 件のコメント: