2010年6月19日土曜日

洋楽サークル「Freek Out(フリーク・アウト)」のこと


6月10日はロックの日。
こんな大事なことを忘れるとは私も随分焼きがまわったな。
だから、今頃関連記事を書くことに・・・。

洋楽に造詣が深い人なら多分「綴りが違う」と感じたと思うが、
これが正しい。
Freek Out(フリーク・アウト)。通称、F.O。
これは、かつて存在していた洋楽サークルの名称である。
綴りが「Freak Out」ではない理由は、
同名の幻覚剤や
フランク・ザッパをリーダーとする
マザーズ・オブ・インヴェンションのデビュー・アルバムと混同しないためである。

この会は1998年~2004年の間存在していた。
私は結成当初から入っていたわけではないが、
かなり早い段階から参加していたから一応古株だったと思う。
先日、荷物を整理していて
この会が発行していた機関紙(ミニコミ誌)が出てきたので
ちょっと懐かしく思い、いろいろ思い出してみた。

この会は、
「キモノ・マイ・ハウス」と「しのぶ」と称するロック好きのお二人が中心となって結成され、
最終的には全国に3桁のメンバーが在籍していたと思う。
活動は毎月1回会報(Freek Out)を発行するというもの。
会報はいわゆる洋楽系ミニコミ誌で
会員が投稿した記事や絵・写真がそのまま掲載される。
今考えると、写真は個人で撮影したものとは言え
アーティストの肖像権を侵害していたかなあ。

原稿はそのアーティストに対する愛に溢れ、
ライブレポートやディスクレビューなども非常に早い。
いわゆる「追っかけ」もいたので、
マル秘情報もあったり。
とても楽しい原稿がたくさんあった。

その当時は今ほどコンピュータ社会ではなかったから
ワープロやパソコンを持っていない会員も多く、
手書きで送られる原稿は上記2名が全てパソコンで打ち直していた。
信じられないかもしれないが、
今から10年前はまだ今のようなインターネット社会ではなかったので、
ミニコミ誌もまだまだ市民権を得ていたのだ。
会費は確か1ヶ月300円。
滞納しているヤツもかなりいたみたいで、
中心となっていた方は自己資金を大量に持ち出していただろう。
でも、それでも7年も続けられたのは
それだけ洋楽に対して熱い情熱があったからだと思う。

二人とも家族がある身だったから、
今考えると毎月締切に追われる毎日をよく乗り越えてきたものだ。
資金の問題もあったし、
中心の二人は遠く離れた県に住む者同士。
多分電話やメールで連絡取り合っていたのだろうけど、
毎月持ち回りで編集を担当していたから原稿のやりとりとか大変だったろう。
F.Oは毎月特集を組んでいたから、
特集向けの原稿は何が何でもその号に入れなければならない。
でも、会員はお気楽だから、締切過ぎに手書きで原稿を送ってくる。
よく頑張ってくれたものだ。 感謝。

この会のメンバーは毎年のようにフジロックフェスティバルやサマーソニックなどの
真夏のロックフェスへ出かけていた。
私は一度もいけなかったのが悔やまれる。
名古屋のライブハウスなどへ一緒に行くのは数回あったが、
私が会員と会ったのはその数回だけ。
仲良くなった人が数人だけだったのも残念だ。
でも、私の20~30代前半の貴重な思い出として
この会は永遠に心の中に残るだろう。
中心になったお二人や、
この会に誘ってくれた某御倉さんにはとても感謝している(某御倉さんは主要メンバー)。


某御倉さんはフジロックフェスに行ったことがあるから、
この時期になるとフェスのことも気になっているだろうなあ、
と思っていたら、案の定ブログに書いていた。
ただ、フジに行くと野宿(テント泊)&チケット&交通費モロモロで10万くらいかかるとのこと。
フジには行ってみたいけど資金が・・・。
でも、某御倉さんはメンツがよかったらまた行ってみたいとか。
私もそのときは声を掛けて欲しい!
お金貯めとかなきゃ。

そういえば、
1ヶ月くらいまえにキモノ氏から手紙が来てたなあ。
ハガキだったので手書き。
懐かしい字だった。
嬉しかったのでメールで返事せずに手紙を書いて出した。
またいつか会える日が来るか?

2 件のコメント:

ツヴィ さんのコメント...

ども!(`▽´)この記事に気づくのが遅い。汗

行きたいですよ、フェス。笑
先立つものあれば 笑

そうだ、キモノっちが宜しくって言っといてと、言ってました。

F氏 さんのコメント...

つう゛ぃさま>
ども!記事は某所に書いたものと大体同じだから見過ごしていたのでしょうね。
フェス、私は未経験なのでとても興味があるんですよ。ただ、先立つもの。これは切実ですよね。

キモノさんかぁ、懐かしいなあ。