2009年8月11日火曜日

もうすぐお盆


今年は梅雨明けが8月に入ってからという遅さもあり、
もうお盆になってしまうという感覚だ。
夏が好きな私にとってお盆=夏の終わりなので
かなり寂しい。

しかし、そうも言ってられないので
お盆の提灯を出した。
我が家には仏壇は無いが提灯だけはあるので、一応毎年出している。
父の位牌をそろそろ本家から貰ってこないといけないのだけれど、
延び延びになっていて・・・。
いつ貰いにいこうかなぁ。

2009年8月9日日曜日

見晴台遺跡 第49次発掘調査


見晴台遺跡第49次発掘調査の市民見学会(現場説明会)が行われた。
今年は長雨の影響で発掘自体は予定より大幅に遅れていたが、
たまたま発掘予定地に中世~近世の包含層がなかったために
思いのほか掘れているような印象になった。
包含層が無かった理由は明確ではないが、
この場所が北下がりの斜面だったために土の堆積がなされにくかったことが考えられる。
また、このエリアが戦時中に高射砲陣地だったために、
陣地建設時に包含層を含む表土が削り取られた可能性もありうる。
いずれにしても推測の域を出ないので、今後の研究が待たれる。

現場説明会は午後2時から1時間程度。
今年はA区とB区の2箇所に分かれて調査しているので順番に説明していく。
例年は参加している一般市民が説明していたが、
今年は学芸員が説明した。
また、見学会の準備も博物館学芸員の資格取得のための実習生が中心になって行ったので
例年と違う流れにちょっと戸惑った。

今年の発掘エリアは遺跡の北側にあるムラをとりまく環濠の付近(A区)と、
公園の北の外側に当たる場所(B区)。
B区は正確には見晴台遺跡には該当しないが、
隣接遺跡として見晴台発掘調査の一環として調査している。

A区には環濠が通っていることが
以前の調査から分かっている(第31次調査で隣接地を発掘しているため)。
環濠といっても、今は埋まっていて掘らないとその状態は分からない。
で、今回掘ってみて環濠の位置や深さなどが分かった。
環濠のうち、外側(北側)のものは
およそ3mくらいの幅があった。
深さも結構あるので本格的な堀のような感じだ。
内側(南側)の環濠はそれよりやや狭い感じ。
いずれも環濠内部に貝殻が捨てられて塊になっている部分があった。
その他、環濠内部からは古墳時代の土器等の破片も出土したことから、
環濠は弥生時代ではなくて古墳時代になってから埋まったと考えられる。

その他の成果は少々あるが、やはり発掘の遅れは否めなく、
これから追加調査が必要な箇所ばかりであった。

説明会の参加者は例年程度の人数だったが、
その中に発掘常連者を発見。
なぜ今年は参加していないのかを聞いたところ、
スキーで大腿骨を骨折したため、
ほぼ回復はしているが大事を取って休んだとのことだった。
半年かかっても完全には回復しないんだとビックリ。

私は文学部出身ではないので専門的に考古学を学んだわけではない。
ただ、日数はそれほど多いわけではないにしろ
毎年発掘に参加していることにより、実地で知識を深めた感じだ。
今の私は遺物(出土する土器など)より遺構(当時暮らしていた人々の生活の跡。例えば竪穴式住居の跡とか柱や溝などの跡)に興味がある。
これらは書籍を読んだだけでは自分のものにならない。
それは、遺構を検出するためには土の色の違いを見て分かるようにならなければいけないからだ。
土は乾くと色の違いが分かりにくくなるし、
逆に濡れすぎても表土が流れて分かりにくくなる。

でも、実地だけでは不十分で書籍等の学習も必要。
ということで、
今後も書籍&実地で精進していこうと思う(と言っても、趣味レベルで楽しめる程度に)。