2008年12月28日日曜日

納会 ~J・Dining仙之助~


金曜日が職場の偉い人たちとの忘年会だった。
今年の最後の出勤日だったから、納会という意味合いのものだった。
偉い人がいる飲み会は気が重いが、まあおいしい料理が出る店みたいだし、
席さえ間違えなければまあいいか。飲み会では職場では聞けない貴重な話が出ることもままあるので、そういった面でも有意義だ。

行ったのは、知多半田駅前のクラシティ2階にある「J・Dining仙之助」という店。
この店は内海にある料理店の暖簾分け(兄弟が出店?)らしいという話は聞いたことあるが、
その内海の店もかなりおいしいらしいので期待大!

店の雰囲気はしっとりと落ち着いた感じで、個室の席にすれば接待などでも使えそうな雰囲気だ。
居酒屋ではないので騒ぐのはちょっとマズい感じ。

この店はランチメニューには洋食も一部あるが
基本は和食の店だ。
出てきた料理はどれもおいしい。
ボリュームは、酒を飲まない私にはちょっと少なめ(私は大食いかも)。
お酒を飲むならちょうどいいだろう。

今回は偉い人もいるということでやたらと料理の写真を撮るのが憚られ、
撮ったのはデザートだけ。
このデザートがまたなんと豪華。
写真を見て分かるとおり、プリン、柿、ラ・フランス、アイスクリーム、チョコバットなど(一品の名前が分からない)。
和食の店なのに、こんなデザートが出るなんて。
しかも、料金も意外と安い。
これはまた来たいと思える店だ。

ランチはもっとボリュームがあるらしいので、
次回はランチにしよう。

2008年12月21日日曜日

フレンチの店で忘年会! ~カジュアルフレンチレストラン ピーター~


職場の忘年会に行ってきた。今回は私が幹事だったので、開催したという方が正しいのかもしれない。私の職場は比較的大人しい系が多いのでハデに宴会をすることを希望していない人が多数派。というわけで、ちょっとおしゃれにフレンチの店をチョイスした。今回の出席者は17名。


今回選んだのは半田市出口町にある「カジュアルフレンチレストラン ピーター」。この店はまだ開店してから半年以内だと思うが、前から気になっていた店なので今回個人的な好みで選んだ。こういうところは幹事の役得だ!

店のシェフはポーランドのアメリカ大使館や愛知万博のポーランド館のシェフをしていたという実力派。ポーランド人で、若い頃にフランス料理の修行をしたらしい。
店内にはその華々しい経歴を物語る写真が多数飾られている。
しかし、そんな人がなぜ東京や名古屋ではなく、半田で?と思ったが、
どうやら奥さん(日本人)の希望らしい。

料理は、本当においしい。材料等は全て納得のいくものを仕入れしているといい、本場の味を目指しているという。サーモンのマリネも全然臭みが無かったしいい感じだった。
腹ペコだったので写真を撮る前にがつがつ食べてしまって撮影できなかったのが残念。
今回はディナーの3,000円コース+飲み放題だったが、ボリュームたっぷり!小食の人だとメインの料理になる前に満腹になってしまうかも。もちろん、私は余裕だった。
とりあえず撮った料理の写真(一番下)はメインの肉料理。本当は豚か鳥のどちらかを選ばなければならないのだが、シェフの好意で両方を取り分けていただけた(元々は豚と鳥をそれぞれ必要人数分を頼んであった)。写真2番目は、その肉の最後の仕上げをしているところ(炎が上がっている)。その仕上げと取り分ける過程を披露いただけた。

本当は日曜定休だったが、パーティーのディナーならと快く引き受けてくださったお店の方々に感謝!
シェフはみんなとたくさん話をしたい様子だったが、使う言葉はもっぱら英語。日本語はあまりわからないとのことで、英会話がもっとできたらシェフと楽しくお話ができたのになあと残念に思う(シェフも、日本人があまりに英会話が苦手なので残念に思っているそうだ)。
料理は本格的なのに店はカジュアルな雰囲気。もちろんフォークとナイフだけでなくお箸もついていて、今日のメンバーは多くがお箸を使っていた模様(出席者の平均年齢は35歳くらいなのに)。
他にもいろんなメニューがあるので、今度はランチ(1,000円)やチーズフォンデュを食べに来ようかな。

お店のホームページへは以下の店名をクリック!

「カジュアルフレンチレストラン ピーター」


2008年12月13日土曜日

JR名古屋駅 タワーズライツ

今年も始まった名駅の冬の風物詩「タワーズライツ」。
今年は「輝きの絵本の世界へ、ようこそ。」というテーマらしい。
かなり込み合っていたが、今年は写真を撮ってきた。

自称、名駅生活14年なので、名駅の動向は毎年気になるものだ。
1月12日までやっているそうなので、実物をまだ観てない人はお早めに。

http://www.towers.jp/topics/106.html

2008年12月7日日曜日

愛知駅伝


愛知県内の市町村対抗で行われる愛知駅伝に行ってきた。私は競技者としてではなくて、競技役員(審判)としての参加だ。
この大会は今年で3回目。愛知万博の理念の継承とかなんとかいう目的があることになっているが、実際は町おこし的な雰囲気が強いイベント的な大会だ。会場がモリコロパーク(愛・地球博記念公園)だからそれに気付く人もいると思うが、ほとんどの人は意識していないだろう。
イベント的な大会なので、ぶっちゃけた話、陸連の審判がいなくても大会は成立する。ただ、主催者が東海テレビと愛知陸協であり、素人でこれだけの規模の大会は運営できないので我々が出動することになっているのだろう。

さて、競技の結果は新聞やテレビで報道されているので省略。
競技役員として参加し、問題だと感じた点を挙げたい(他の審判の意見も似たような意見を言っていた)。

①市町村対抗の駅伝なのだが、応援などのグッズも市町村対抗の状態になっていて、
かなり税金を無駄に使っている市町村があると思われる。
応援のためと称して市町村の名前が入った横断幕や幟などを多数購入しており、
年々エスカレートしている。
これらは、実際のところ選手を応援するためではなく、
他所の市町村がやっているからウチも負けていられないという対抗意識から行われているうようだ。
また、選手に良く見える位置ではなく、
テレビにたくさん映ると思われる位置にたくさんの幟が立てられるため、
スタート・ゴール地点への設置は規制されている。
余裕が無い市町村はこういったものにはお金を掛けられないのでかなりの差が出ている。

②コースが狭い上に曲がりくねっている。
公園内の道は駅伝をすることを想定して作られていないので、駅伝に適したコースとは言えない。しかも、テレビ中継するために狭い道に中継車や報道バイクが何台も通行する。バイクが選手のすぐ横をすり抜けていくのを何度も見て怖い思いをした。また、中継車の排気ガスはかなりのもので、沿道で審判をしている私でも気分が悪くなるほど。

③代表選手の選考方法が明確ではない市町村があるらしい。
今回はそれほど聞かなかったが、
第1回の頃は代表選手を選ぶ選考会も無いままいつの間にか選手が決まり(その市町村チームの監督になった人が自分の息のかかった選手を勝手に選んだという噂も)、
十分すぎる予算がついたため派手に飲み食いしていた自治体があるという噂がかなり流れた。

④自分の住んでいる市町村の選手の成績がイマイチだと、
地元の人たちが「あいつのせいで順位が落ちた」と非難する。
この駅伝に選ばれた選手は実業団所属などほとんどプロの人からアマチュアランナーまで幅広く出場している。
アマチュアは当然それなりの走りしかできないのだが、
他の市町村に抜かれたりすると非難が集中する傾向にある(特に上位を狙っている市町村に顕著)。
そのため、一生懸命走っても文句しか言われないから出場したくない、と代表レベル以上の実力者が出場辞退している場合がかなりあるという。

⑤父兄の応援マナーが非常に悪い。
自分の子息や孫が出場していると応援に熱が入るのはわかるが、立ち入り禁止の場所に入ったり、走路に飛び出したりしている父兄が非常に多い。子どもより大人のマナーが悪いので、役員の間でも問題になっている。

この大会は今後も続いていくと思うが、
あくまでイベントとして市町村交流・町おこしの駅伝大会にするか、
ホントの真剣勝負の競技会にするか(出場選手は全員が陸連登録必須にする)
はっきりさせるべき時期がきたと思う。
今の状態は開催ありきで、大会の意義や理念が付いてきていないように思われる。
不況の折から来年度のスポンサー探しもかなり難しいと思われるので、
しっかりとした目的・理念が必要であると思う。
また、一部の大人の応援マナー改善も必要だ。

2008年12月6日土曜日

落ち葉のその後


以前の日記に書いた県図書周辺の落ち葉の今。
図書館の周りは綺麗になっているけれど、
外堀通りの歩道はご覧の通りたくさん積もっています。
微妙に下り坂なので滑りやすくて危険です。
でも、子どもだったら楽しく遊べそうな感じ。

2008年12月5日金曜日

スーパー一座 最後の「吉例 大須師走歌舞伎」公演



ついにこのときがきた。
名古屋が誇る劇団「スーパー一座」が終わりのときを迎えることになった。
理由は、劇団創設者で脚本・演出を手がける岩田氏が高齢になり、
以前のように情熱的に、かつ根気よく活動していくパワーが減少してきたことが原因という。
自分の理想とするレベルが高いだけにそれを維持することは並大抵ではないが、
そのレベルを達成できないと悟って苦渋の決断をしたに違いない。
私も10年以上師走歌舞伎に通っているが、とても寂しい。
劇団員は尚更だろう。
7月に大須オペラが最後となり、歌舞伎まで・・・。

スーパー一座ホームページ


さて、今年の演目は桜田治助の「御贔屓勧進帳」と
「十六夜清心 月現薊双葉」という河竹黙阿弥原作のものの二本立て。
いつもより内容も濃いし時間も長い。
主役はいるが、脇を固める役者さんたちの活躍の場がかなり多い。
動きのハードさは主役以上じゃなかろうか。
おっと、
ここで詳しく書いてしまうとこれから観にいく方ががっかりしてしまうので止めておく。

歌舞伎というと良くわからないと思って敬遠する方が多いと思うが、
大須歌舞伎は違う。予備知識全くナシでもとても面白い。
これって原作はシリアスなストーリーじゃなかったのか?というものまで

笑いの要素がふんだんに盛り込まれる。
細かいところにいろんな仕込があって、それに気付くのもまた面白いことだ。

私がこの劇団の公演に通うようになったのは、
この劇団の看板役者の一人が私の幼馴染(私が後輩)だから。
「亀崎屋」という人。
小学校のときは家が近所で、この人の家の前に集合して小学校へ通っていた。
私は引越ししてしまったので長く付き合いは無かったが、
風の便りに「何やら大須の劇団に入って活躍しているらしい」と聞き、
妻と行き始めたのが10年くらい前。
もうそんなに経つのか~と思う。

本当は千秋楽かそれに近いチケットが取りたかったが、仕事があるので行くことができず
例年通り初日の夜に行った。まだチケットは若干余りがあるようなので、気になる方はゼヒ足を運んでもらいたい。かなりおススメ。


Mixiに日記を書いている役者さん(どの役をやっていたかわからない方も含む)を
みつけたので、突然で失礼とは思ったがコメントを書かせてもらった。

スーパー一座は今年で無くなるが、
座員の有志が新たな劇団を作るような雰囲気がある。
座長を中心にして、新たな劇団のスタートを心待ちにしている。



※今回は夜の公演で写真が撮れなかったので、
ある役者さんの日記から写真を拝借しました。
勝手に流用してゴメンナサイ。

2008年11月30日日曜日

落ち葉のじゅうたん

今日のことではないが、
愛知県図書館へ続く道が一面落ち葉で埋まっていた。
まるでじゅうたんのよう。
昨日の雨で、一気に落葉したようだ。

ケヤキやポプラなどいろんな葉っぱが混じっている。
滅多に観られない綺麗な景色を観ることができて、
何だかとっても得した気分。
もう今頃はすっかり清掃されているだろうな~。

※写真は外堀通りから県図書へ向かう道。ちょうど堀を渡る橋の部分。

2008年11月22日土曜日

陸上部OB会 ~寿司 吉祥~


先日、中学校の陸上部OB会を開催した。
これは、ずっと前から続いていたものではなくて、私が同年の仲間に
「OB会やろ~ぜ」と言って始まったものだ。
私がいわゆる「言いだしっぺ」のうちの一人。
こういうことは言い出す人がいないと中々始まらないものだと思うので、仲間を巻き込んで始めた。

私は中高と陸上部だったが、中高とも今のところOB会は無い(私が知る限り)。
中学のときの顧問の先生はマスターズ陸上 女子投てき三冠王(アジア記録保持者)、
高校のときの顧問の先生は100mを10秒4(手動計時:1978年だったかの記録)
という海外遠征もしていた化け物揃いだった割には寂しい限り。

一昨年の中学同年会の折に話が盛り上がって昨年は同年だけで集まり、
今年は一つ上と一つ下の3学年が集まった。
集合を掛けようとして、
地元に住んでいない人や実家が引越ししていて連絡が取れないメンバーもたくさんいた。
それでも14人集まった。
本当は20人くらいが出席できる予定だったが、
仕事や子どもの都合などがあって来れなくなった人もいた。

会場は、寿司屋の吉祥という店。
結構うまいということで、部長だった友人が見つけてきた。

卒業して間がない若い頃はOB会なんて、と思うものだ。
しかし、年月を経て再開してみると結構楽しい。
あまり変わってない人とそうでない人、
仕事が忙しすぎて悩んでいる人と、忙しいなりにも楽しんでいる人などいろいろ。
私は地元に住んでいながら地元の方言をあまり使わなくなってしまっているので、
それらが飛び交うのも新鮮な感じだ。
あ~こんな言葉使ってたな~と思ったりする。

かつてはあれだけハードに練習していたのだが(させられていた?)、
今でも走っている人はほとんどいない。
聞いてみたところ私以外には2名だけだった。
でも私は多少走っている程度なので「走っているよ」とは大きな声で言えない。
でも、走っている人の話を聞くと影響されるな~。
またちゃんと走り始めよう。

私は人集めをしただけで幹事は部長だった友人に頼んでしまっているが、
好評だったらまた来年もやりたいなあと思う。
今度は更にもう少し学年を広げようかなどど目論んでいる。
で、いずれは顧問の先生も招待したい。

2008年11月15日土曜日

有森裕子・布袋寅泰らと走る! ~エンジン01文化戦略会議 オープンカレッジinなごや~



11月8日(土)に「エンジン01文化戦略会議 オープンカレッジinなごや」というイベントに行ってきた。
本当はこの日は出勤すべき日だったが、休みが取れてラッキーだった。

「エンジン01~」とは、異分野の専門家が自由な意思を以って集まり、
相互に学び合い、新時代の文化を創造していくことを目的とし、
この目的を果たすための活動を行う上で、
公正と無私の心を基本理念としている団体である。
構成メンバーは本当に各界の著名人ばかりで、
具体的には以下のページをご覧いただきたい。

http://www.enjin01.org/index2.html

で、今年はその会が主催するオープンカレッジが
たまたま名古屋で開催されたので行ってきたのだ。
このような全国レベルのイベントはよく「名古屋飛ばし」をする。
が、この会は今年は名古屋を会場としてくれた。嬉しいことだ。
会場は名古屋国際会議場(白鳥センチュリーホール)。

オープンカレッジなので、いろいろなテーマごとに講座があり、
各界の著名人がやってきていろんな話を聞かせてくれる。
私はそういった講義形式の講座一つと、体を使った講座一つをチョイスした。
その体を使った講座が「有森裕子と走ろう!」である。

有森裕子とは、あの有名な「自分で自分のことをほめてあげたい」の名言を残した
オリンピック女子マラソンの銀メダリストである。
今はプロのランナーではなく、このような講座の講師をしたり
国際陸連の委員やNPO法人の代表など忙しい毎日のようだ。
現役選手の時代と違ってとても充実したいい顔をしていた。

今回はたくさんある講座の中の一つということで、
エンジン01のメンバーの何人かが一緒にこの講座に参加していることがミソ。
有森以外の参加者は、浅葉克己、伊藤穣一、犬養裕美子、岡田達雄、
林真理子、布袋寅泰、矢内廣とそうそうたる顔ぶれ。
でも、この人たちちゃんと走れるの?というのも正直なところ。
この講座のチケットは随分前に売り切れており、人気は高い。
120人くらい出席しているだろうか。
写真撮影や録音は一切禁止という厳戒態勢だったので、
残念ながら写真はない。
サインも、基本的にはダメだということだった。

この日は朝からあいにくの雨だったが、走る時間になったらほとんど止んだ。
雨が続いたら講演会になる予定だったが、走れそうなのでRun決行となった。
講座は90分間で、最初の30分~40分くらいは有森の話を聞く。
自分の昔話はほとんどなくて、ジョガーとしての心得とか楽しみ方、シューズの選び方などためになることばかりだった。
参加者から「シューズなどはどこで買えばいいのか?」という変な質問があり、
有森は名古屋は知らない土地なのでまごつく場面も。
ただ、有森はあるスポーツメーカーがスポンサーについているので、
「できれば『エーエスアイシーエス』と書いてあるメーカーの製品を買ってください」と笑って言っていた。

そのあと外へ出て、
準備体操とウォーキングをして白鳥公園のコースを一周。
その後はフリーで走るのを30分くらいというメニュー。
私は最初布袋寅泰をマークしてすぐ後ろを走っていたが、
布袋はフリー時間になるとあっという間に後ろに下がって行った。
残念!
布袋はかなり身長が高くて大物のオーラを発しているが痩せている。
ライブで鍛えた身体だから体力はありそうだが、持久走はどうかな~。
その後途中で公園内をチラっと見たところ、コース外を歩いているのを発見。
やっぱりな~。
今回参加したことの目的のうちの一つは「布袋のすぐそばで一緒に走る」だが、
それは一応達成できた。
有森はコースを逆走したりして、メンバーが無事走っているかをチェック。
途中でハイタッチなどをする。

Run終了後に再び集まって、01メンバー各位が感想を述べる。
ここで、林真理子の「子どもをだっこしたお母さんより遅かったのがショックだったが、
私の場合はおなかにその分ついているから条件は同じか、と思った」などと述べていたのが面白かった。
あっという間の90分間、来年はもう名古屋では開催されない。
三重や岐阜などでの開催なら行けるので、また行きたいなあと思うイベントだった。

※敬称略

2008年11月8日土曜日

第27回半田市民マラソン

今日は地元の市民マラソンの日だ。
何でわざわざお金を払ってまでしてこんな疲れることをするのか理解できないという声もあるが、
私は陸上競技、走るのが好きなので走るのだ!と言うしかない。

先週から左ふくらはぎを痛めているので、
今日は完走できるだろうかという心配があった。
天候はまずますで、レースにはちょうど良い感じ。
本来なら目標タイムクリアに好都合な天候なのだが、
今日は足と対話しながらのレースとなった。

私のレース(5kmの部)のスタート時間は10時なので、
8時半くらいに到着できるように出かける。
この時間でも早いと思うかもしれないが、キチンとアップしておかねばならないし、
何より駐車する場所が無くなるからこの時間には到着すべきなのだ。

この大会は今年で27回目という歴史ある大会だ。
毎回3千人前後の出場者があるらしく、今年も会場はにぎわっている。

私がかつて現役アスリートだった時代に、
実はこの大会のある部門で優勝したことがある。
で、受付時に競技部門の出場者に配られるパンフレットを見たところ、
歴代優勝者の欄に私の名が印刷されていた。
私が知らない間(しかも20年以上も)私の名がずっと印刷されていたのかと思うと変な感じだ。

さて、スタート。
私はスタートラインから5mくらい後ろでスタートすることになり、
大集団の中で序盤の走りをする。
足はまだあまり痛くない。
私が出場したのは5kmの部で、
途中の2~2.5kmあたりで急激な下り坂、
3~4kmあたりで急激な上り坂と細かいアップダウン、
ラスト1kmが急激な下りと急激な上りというかなり手ごたえのあるコースだ。

入りの1kmは4分7秒。
まあまあだなあと思っていた矢先に、ちょっと嫌な痛みが足に出始める。
あと4kmあるし、自重しなければならない。
やむを得ずここからペースを落として走る。
足の力を抜くようにして、キックも弱めにする。
ストライドも小さめに。
2km以降は沿道の観客に隠れて距離表示が見当たらないのでスプリットタイムが計れない。
で、ラスト1km。
ここからは先が見えているので、ちょっと無理をしてペースアップ。
急な下りと上りが待ち受けるが、何とかクリアしてゴール。
記録は21分47秒。現役の頃と比べると6分くらい遅い。
でも、まあ仕方が無い。
今度こそはしっかり練習して、来年また頑張ろう。

2008年11月2日日曜日

陶芸家・新井洋志さんとの出会い


私の知人に常滑焼の陶芸家がいる。
主に生活雑器(お皿とか湯のみなどの食器類)を中心に製作している。
私の妻が植木鉢を焼いて欲しいと依頼していて、それが完成したので常滑の工房を訪問した。

彼とは今の職場で出会った。
陶芸家ではあるが、その当時は副業として私の職場で働いていたのだ。
出会ってからしばらくして、彼は陶芸に専念したいということで退職した。
私と重なっていた期間はわずか5ヶ月。
退職したのは6年前。
それでも、今でも連絡を取りたいと思える魅力が彼にはある。

名前は新井洋志さんと言い、私と同じ歳だ。
とても穏やかな方で、それが作品にも表れていると思う。
2年ほど前には東京の日本橋三越で作品が展示されたことがあるそうで、
かなり本格派である。
私は陶芸のことには疎いが、そんな私にもわかりやすく説明してくれる。
彼によると「自分はこれを芯にしてやっていこう、というのをまだ決められずにいて、
何がよいのか試行錯誤しながらそれを模索している」とのこと。

釉薬一つとっても、グラム単位で量を変えると発色も変わるそうだ(何の灰であるかによっても変わる)。
それに、作品を焼くときの温度と酸素の供給量をほんの少し変えるだけで焼き色も大きく変わる。
土の配合についても日々研究しているそうだ。
話を聞いているとまるで化学の授業のようでもある。
専門家の話は奥が深くて本当に面白い。

最近は、生活雑器だけではなく、置物など違った分野のものも試作している。
それらをいろいろ見せてもらったら、やはり穏やかな性格がよく出ている仕上がりになっていた。
いろいろな人の意見を聞いてこういったものも徐々に作っていく予定だそうだ。

植木鉢は作ったことがないそうでかなり迷ったようだが、
仕上がりはとても良いものだった。
和蘭を植えるという条件で作ってもらったのだが、どれもイメージにぴったり合う。
世界に一つの署名入り植木鉢、大事に使いたい。

これからもずっとお付き合い願いたい知人の一人。
また何か必要なときは注文したいと思う。

※もし彼に何か注文したい方がいましたら、コメントに書いてください。
折り返し詳細を連絡します。

2008年10月19日日曜日

ディ・ムジカンテン室内管弦楽団 第46回 演奏会


私の友人の奥さんがオケの楽団に入っているので、その演奏会へ行ってきた。
ディ・ムジカンテン室内管弦楽団という名古屋市で活動しているアマチュア楽団で、毎年2回程度演奏会を行っている。古典派の曲を中心に演奏する楽団なので私の好みにもぴったり!毎回演奏会の案内とチケットを送ってくれるので都合が付く限り聴きに行っている。今回は妻が都合が悪いため私一人で出かけた。

会場はいつも名古屋の伏見にある電気文化会館 ザ・コンサートホール。一時期、他のホールで行ったこともあるが、音響の良さとか使い勝手、費用などを含めてここがベストとのこと。客の入りはいつも良い。開場は13時半だが、全席自由席なので好きな席で聴きたい場合はこの時間に到着していなければならない。今回は少し遅くなって13時40分過ぎに到着したら写真の通り。よさそうな席は埋まっている。いつもは名古屋南高校の生徒が大挙して押し寄せるが、今日はいない。顧問の先生が出演しないのか。

今回の演目はハイドン・ベートーベン・メンデルスゾーンの交響曲1番を演奏するというもの。著名な作曲家の作品でも「1番」というのは若い頃の作品なので演奏会であまり取り上げられない。今回は埋もれてしまっているそれらの作品を敢えて取り上げて、若いみずみずしい作品を味わおうという趣向らしい。

今回の演目の中では、私はハイドン(特に第一楽章)が一番気に入った。やはり、形式ばった古典派っぽい音が好きなんだろう。メンデルスゾーンのはあまり好みではなかった。バッハを敬愛していたと聞いているので少し期待していたが、バッハとは違った音だった(生きていた時代が違うのでやむをえないが)。
友人の奥さんは第1バイオリンの2列目に座っていた。コンサートマスターのすぐ後ろだ。初めて聴きに行ったときは3列目だったので、少し出世したらしい。

アンコールは2曲、バッハのG線上のアリアと、シューベルトの交響曲1番第3楽章。
普段はアンコールは1曲だけのことが多いので特別サービスだ。
プログラムの演奏が終わった途端に帰る不届きな客がいなかったこともよかったのだろう。

今回は名古屋市民芸術祭2008に参加公演とのことで、いつもより気合が入っていたように思う。
ただ、テンポがゆっくりになる第2楽章は仕上がりがイマイチな人も・・・。
アマチュアだから仕方ないか。
それでも、生演奏を楽しめる機会はとても重要だ。
CDなどは便利だが、やっぱり目の前で演奏しているのを見ながら聴くのはよい。
これからもできるかぎりコンサート会場へ足を運びたいものだ。
次回は来年の6月7日(日)、同じく電気文化会館 ザ・コンサートホールで開催予定という。
詳細は下記HPを。

http://www1.ocn.ne.jp/~musik/

今から楽しみだ。

2008年10月5日日曜日

ワックスがけ


自宅の床を2年ぶりくらいでワックスがけした。正確には3年ぶりだろうか。
床はカリンなのでキチンとワックスをかけないと痛んでしまう可能性がある。ずっと気になっていたのでこれで安心だ。

ワックスを掛けるときはまず下準備が重要。それは、汚れや古いワックスが付いたまま新たにワックスを掛けると、それらが全部新しいワックスの下に入ってしまい古い汚れとして残ってしまうからだ。
床に置いてあるあるものを片付けて掃除開始!

まずはホコリ取り。掃除機で丁寧に。
そのあとに古いワックスを浮き上がらせる洗剤で残っているワックスを取り去る。この洗剤は比較的強いのですぐワックスが浮き上がってくるが、その分手荒れにも注意しなければならない。
洗剤もキレイに拭き取らねばならないのがかなり大変。これを手抜きすると、新たにワックスを掛けても定着しないからだ。
全体的に結構大変な作業で汗が吹き出る。
ここまでの所要時間は約2時間。
これで下準備完了!

床を乾かすためにしばらく休憩し、ようやくワックスを塗り始める。
最近は便利な道具がたくさんあり、スポンジにワックスのタンクがついたものがある。これだと刷毛はモップで塗るよりキレイに早くできる。変な跡が付かないようにゆっくりと塗っていく。2度塗りしたいので、30分ほど待ってから再度重ね塗り。
そうすると、写真では判りにくいが失われていた光沢がよみがえり、新品同様に!
やっぱり家の手入れは重要だと認識した一日だった。

2008年9月29日月曜日

エレキギターでモーツァルト



先日、YouTubeでモーツァルトのディベルティメント K136 を探していたところ、とても面白い演奏を見つけた。ディベルティメント K136はモーツアルトが16歳の頃に作曲したスバラシイ弦楽四重奏曲だが、これをすべてエレキギターで演奏しているバンドがいたのだ。

Quarteto Visconti というバンド。名前から考えるとイタリアかなと思っていたら、実はブラジルのバンドらしい。メンバーはまだ若い。インディーズだと思われる。

YouTubeでの彼らの演奏はココ↓

http://jp.youtube.com/watch?v=Taw3Vqb9UD8


第一バイオリン、第二バイオリンなど各パートの演奏をするギタリストたちの座る位置が本当の弦楽四重奏とは違っているのがご愛嬌。が、中々の演奏技術を見せる。それに、この曲をエレキギターで演奏してみるという発想が面白い。 ちなみに、次のサイトの演奏の方がきれいな録音となっている(Play Listにある赤文字の曲名をクリックして再生!)↓

http://www.sellaband.com/viscontiquartet/#info



本当のディベルティメントの演奏はコレ↓

http://jp.youtube.com/watch?v=ekcs3iydSzs

私は元々弦楽四重奏曲のディベルティメント K136が大好きなのだが、このギターでの演奏もなかなか捨てがたい。面白いので、もう少しこのバンドのことを調べてみよう。

2008年9月21日日曜日

知多四国八十八ヶ所 札所巡り




今年は知多四国八十八ヶ所の開創二百年の年だそうだ。知多四国霊場会ではそれを記念していろんなイベントを行って二百年を祝っている。私は開創190年の年から知多四国の札所巡りを始めて、途中で中断していたので10年経ってもまだすべての寺にお参りできていない。そこで、今年こそ残りのお寺すべて制覇すべく、夫婦で行ってきた。
私のお寺参り歴は長い。地元のお寺で遊んでいたというのや親に連れられて行ったのを除いて、キチンと納経帳を持って自ら行き始めたのは中学生のときだ。私は生意気にも中学の卒業旅行と称して仲間と京都・奈良を旅行し、そのときに納経を始めた。法隆寺に行ったのが最初だ。そういうわけで、お寺参りは結構筋金入りなのだ。
今回は常滑市と美浜町のお寺を順番に回った。お寺をただ回るというのではなく、キチンとお参りして納経帳に宝印をいただく。今年はこの宝印に開創二百年のものが特別に加えられる。それを目当てにしているということもあるが、他にも目的があってお参拝に来た。お寺参りの際にはその道中の様子や寺の周囲での発見も楽しみの一つ。普段は足を踏み入れないような古い住宅地に入っていくと、そこに思いがけずよさそうな店があったり、私の大好きな祭りに関係したものがあったり。お寺の隣に神社があるところは、明治時代に神仏分離されるまでは寺社が一体となっていたものだと推測できるし、見所は多い。お寺ができた起源や、そのお寺にまつわる伝説を知るのも面白い。
お昼は常滑の町はずれにあるラーメン屋に行った。周りは畑ばかりで、ほとんど民家が無いところにぽつんと建つラーメン屋。外で待っている人がいるので多分うまいのだろうと思って行ってみることに。この店は食材にこだわっている店らしく、店内には使用食材についての説明書きがたくさんあった。それに、ラーメンの作り方もかなりこだわっている。私は料理人がよく見えるカウンター席が好きだが、今回もたまたまその席が空いたのでそこへ座り、料理人の様子を見ていた。この店は狭い。席は8席しかない。でも、並んでも食べてみようと思う味だった。家からはちょっと遠いが、近くに来たときにはまた来よう。
今回は10ヶ所余りのお寺を回った。知多四国霊場のお寺をすべて制覇するには、あと30ヶ所余りもある。知多市や東海市はほとんど回っていないし、特に篠島・日間賀島が厄介だ。でも、楽しみでもある。12月まであと3ヶ月少々、がんばって行けるか?


2008年9月15日月曜日

名古屋演奏家育成塾 第8回コンサート


名古屋の若手音楽家を育成する活動を行っている「名古屋演奏家育成塾」のコンサートに行ってきた。コンサートといっても、若手演奏家がプロになって舞台に立ったときに困らないための公開レッスンといったものだ。今日は6名出演で、前半・後半3人ずつ演奏し、それぞれの演奏や舞台上の立ち居振る舞いを音楽家の先生方や舞台演出家の先生などから具体的に指導される。その後、観客の投票と先生方の投票で今日の演奏でよかった人が表彰される。会場は名古屋の千種文化小劇場という小さなホールで、演劇用の舞台設計になっているため天井に反響板は無い。また、ステージを取り囲むように客席があり、舞台から見ると周りを観客に取り囲まれていると感じるはずだ。

事前に若手演奏家と聞いていたのでてっきり大学生ばかりかと思っていたが、意外にも大学卒業生が何人もいた。出演者の内訳は、ピアノ4名、フルート1名、声楽1名だった。男性はピアノの1名だけで、あとは全員女性だった。

前半は全員ピアノ。私の好きなバロック~古典派を弾く人は1名だけだった。連続して3人演奏し、その後3人は舞台上に立たされて先生方の講評を聞く。演奏の出来がまあまあだったからか音楽家の方々からは比較的よい意見が出された。彼らは1ヶ月前に直前レッスンを受けており、それから比較すると格段に良くなっているらしい。直前の調整力や本番に強い性格というのもプロには必要だ。

一方、後半の3人は少々辛口の意見が多かった。特に、観客に対して挨拶をしていない、という点がかなり厳しく指摘され、演奏家は観客に対して演奏を聴きに来ていただいたことを態度で示さねばならない、と強く言われていた。また、フルート奏者は譜面台を出して楽譜を見ながら吹いていたのを舞台演出家から指摘された。音楽の世界の中でも、金管・木管は暗譜せずに譜面を見ながら演奏するのが自然なことらしく、音楽家の先生方は全く指摘しなかった。私もプロたるものは絶対暗譜しなければならない派なので、これは当然の指摘と思った。有名な指揮者である小林研一郎氏はオーケストラの指揮をするときでも譜面台を用意していない。楽譜は全て頭に入っており、すさまじい気迫で演奏家たちと対峙する。プロになるにはこうでなければならない、と思う。

このような公開レッスン形式のコンサートは私のような素人でも結構楽しめる。スタッフもラフな格好をしているので、観客も服装に気を遣うこともない。演奏家を目ざしている人、あるいは音高・音大を目ざしている人なら尚更興味深いと思う。次回は3月とのことなので、是非足を運んでみてもらいたい(チケットは「ぴあ」で発売)。

2008年9月7日日曜日

モリコロパーク(愛知万博記念公園)




久々にモリコロパークに行った。今は公園計画区域の半分以上が解放されているが、前回(2年前)に来たときはまだ整備中で宅地開発中のような惨状だった。このときは愛知駅伝の審判として来たので、今回のように遊んでいる時間は無かった。
愛知万博が閉幕して今年で3年となる。公共交通機関を使うと自宅からは2時間ほどかかる距離だった                      が万博開催中は何度も通ったところだ。万博終了後にはほぼ全てのパビリオンが解体され、みんなが通行したグローバルループもほとんどなくなり、開催時の面影はとんど無い。そもそも、リニモの駅や公園入り口周辺の雰囲気がガラリと変わってしまったので、どこを通ってきたのかもわからないくらいだ。
万博期間中に、クロアチア館の方と知り合いになった。それは、クロアチア館で上映されていたPR映像(映画)を販売しているかどうかを聞いたのがきっかけだ。私はその詩的な雰囲気の映像と音楽がとても気に入ったのだ。クロアチア館には日本人スタッフがいない様子で、日本語がわかる人もいないみたいだったので英文で聞いてみた(筆談)。すると、この映画はスペシャルだから非売品だという。あ~残念だ、と思っていたところ、これまた非売品のクロアチアを紹介したDVDをプレゼントしてくれた。きちんとしたものなので購入しようとすると、プレゼントだという。そこで、翌週にもう一度クロアチア館を訪れてお礼の品(もちろん、私の地元の祭り関係の貴重な品)をプレゼントした。
その後、半年くらい経過した頃に、販売できないと言われていたPR映像が録画されたDVDがクロアチアから送られてきた。彼が私の問い合わせを覚えていてくれて、特別に作ってくれたのだろう。二度と観ることができないと思っていただけもとても嬉しかった。その後、メールのやり取りをしたり、彼が来日したときに名古屋で会ったりした。今はメールも少々ご無沙汰になっているので、クロアチア館があった場所の写真を撮ってメールで送ろうと考えて写真も撮ってみた。今はそのあたりは多目的広場になっており、かつてここにヨーロッパ各国のパビリオンがあった面影は無い。でも、彼には思い出の詰まった大切な場所だと思うので、喜んでもらえると思う。ちなみに、万博公園の案内書では、万博当時の地図を印刷したクリアファイルを売っている。これに今の公園地図を入れるとどこに何があったのかがわかる仕組みになっている。これも2つかって彼に送ろうと思う。




2008年8月31日日曜日

バイクのバッテリーを交換


バイク(TZR250)のバッテリーを交換した。3年くらい使っていたもので、しばらくバイクに乗らなかったうちに完全にあがってしまいほとんど充電しなくなったからだ。私のバイクはキック始動なのでバッテリーが無くてもエンジンがかかるが、適正な電圧が出ないとウィンカーやメーター類が正しく作動しない。特に、夜間走行に不安があったので交換することにした。

いつも買っている武豊のバッテリー屋へ注文する。すると、少々値上がりしたとのこと。ガソリンをはじめ、何でも値上がりしているな~。定番のバッテリーらしくすぐ入るとのことだったので、3日後に交換にいくことに。

TZR250の規定バッテリーは元々GS(日本電池)製だったが、この会社が湯浅と合併したのでGS YUASAバッテリーとなった。そのためマニュアルのものとは型番が変わってしまったので、いちいちバッテリーをみなければならず面倒だ。今の型番はYB5L-B。

車やバイクのバッテリーは鉛蓄電池で、常にフル充電状態にしておいた方が長持ちする。逆に、ニッカド(ニッケル・カドミウム)電池やリチウム電池はフル充電の状態のままにしておくのはよくないらしい。特にニッカド電池はメモリー効果と呼ばれる問題があり、あまり使用しない状態で充電を繰り返すと電池の容量が減ってしまう。それぞれの蓄電池の特性をよく理解して使っていれば長く使うことができて経済的だ。

規定のバッテリーは密閉式ではなく、買うときに希硫酸を詰めてもらって若干充電しなければならない。だから、買いに行く時間を伝えてある。ここのバッテリー屋は学生時代のバイトの先輩に教えてもらった店。気のいいオヤジがいるのでずっとここで買っている。以前は・・・円くらいだったと記憶しているが、今回の値段は・・・。オヤジいわく、以前の値段で売っていたら赤字とのこと。値上がりの原因は世界的な鉛価格の高騰の影響らしい。貴重な資源だ、大切に使っていこうと思う。

2008年8月24日日曜日

新美南吉記念館 特別展

半田市にある新美南吉記念館で、「特別展 教師南吉と67人の生徒達」という展覧会が開催されている。これは、南吉が安城高等女学校(現在の安城高校)に赴任してから70年になるのを記念して開かれているもので、作家南吉ではなくて「教師としての南吉」にスポットを当てた展示になっている。生徒達に書かせた作文を添削したものなどが多数展示され、生徒達をどのように指導していたかがよくわかる。作家としてではなく、南吉の人間くさい一面を見ることができる。私が行った日は意外と県外からの訪問者が多くて驚いた(他府県ナンバーの車が多く停まっていたので)。10月13日まで開催しているので、興味のある人は観にいってみるといいと思う。
多くの人は小学校の教科書で「ごんぎつね」で新美南吉に出会うが、私もその頃から南吉の作品を読み始めた。幸い我が家には牧書店刊行の新美南吉全集があったので、それを読んでいた。全集には南吉の日記の巻もある。日記とは書いてあるが、内容はそのとき何を考えていたかを書き留めたものが割合として多く、ある意味創作のためのネタ帳のようだ。これを読むと南吉が何を考えていたのかがよくわかって興味深い。南吉の作品はずっと読んでいないが、また読み返してみたいと思う。

2008年8月17日日曜日

お盆




今年のお盆。父の墓参りへは都合がつかないため行けなかった。父の墓は、遺言により徳島の先祖代々の墓地にあるからだ。父の希望により位牌も徳島の本家にあるため、仏壇も我が家にはない。でも、走馬灯はあるので出してみた。私もそれなりの歳になったし、父の遺言とは言っても本家に迷惑を掛けっぱなしではいけない。そろそろ位牌は持ち帰らなければならないかなあと思う。ただ、遺骨だけは本人の希望通りそのままにしておきたい。
父が徳島出身なので我が家は一応真言宗なのだが、私はあまり真言宗にはなじみがない。というのも、私は生まれも育ちも半田だし、ウチの辺りでは真言宗は少ないからだ。母方は浄土真宗だし、出席した葬儀も真宗が多かったので「きみょうむりょうじゅにょら~い」という真宗のお経の方がなじみがある。真言宗の「おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだら・・・」という呪文みたいなお経にはあまり・・・、という感じ。
今年のお盆は発掘以外はどこへも出かけなかったが、オリンピック期間中ということもあってそれなりに楽しかった。お出かけではないが、地域の盆踊りへは出かけた。もちろん、踊るのが目的ではなくて、福引が目的。私の地区の盆踊りは地域コミュニティが主催して行われ、隣組の役員さんの協力で開催されている。私は数年前に隣組の役員をやり、そのときに福引の存在を知った。意外とよさそうな景品だったので、役員さんには申し訳ないが毎年福引のためだけに行っている。例年はハズレでごみ袋くらいしか当たらないが、今年はなんと2等!何かなあと思っていると、米(きらら397)5Kgだった。予想していなかっただけに嬉しいが、持って帰るのはちょっと重かった。

2008年8月10日日曜日

見晴台遺跡 市民見学会(現場説明会)







 今年で第48次発掘調査を迎えた見晴台遺跡の市民見学会が開催された。この遺跡は名古屋市南区見晴町にあり、弥生時代中期から後期にかけてのムラの遺跡である。ただ、縄文時代や中世・近世の遺物も出土していることから、かなり長期間にわたって人が住んでいた地域であるということができる。また、第二次大戦中は日本軍の高射砲陣地になっていたため、戦争関連の遺物や高射砲の台座などもある。2年ほど前にはアメリカの爆撃機であるB29の垂直尾翼の一部が発掘されたために新聞に記事が掲載された(垂直尾翼の大部分は発掘区域外に埋まっていたために、現在は埋め戻されている)。この遺跡は毎年夏に発掘調査が行われ、8月の第2日曜日の午後に市民見学会と称する現場説明会が開催される。
 市民見学会では今年の発掘成果や現状の説明を行う。今年はA区とB区に分かれて発掘を行ったが、B区では芳しい成果が無かったためにA区のみで説明を行った。私は中央部分の説明を担当した。
 中央部分の南半分からは住居址が全く見つからず、ピット(柱の穴)のようなものが多数発見されただけ。北半分からは多数の住居址(竪穴住居)が発見されたので、この中の5号住居址と8号住居址と命名した竪穴住居の説明を行った。
 5号住居は昨年度までに掘り下げ始められ、今年度も継続して調査を行っている住居址である。他の住居址が弥生時代後期と考えられているのに対して、この5号住居址は平安時代の住居址だ。平安時代に竪穴住居?と思う方もいると思うが、ムラに住む一般庶民はこの時代はまだ竪穴住居だったのだ。庶民が竪穴住居ではなくなるのは鎌倉時代に入ってからとされている。さて、この住居址の内部にはカマドが残されていた。土砂に埋まっていたためにカマドは潰れていたが、カマドの構造物の一部として使われた土師器も残っていた。住居内の土坑からは灰釉陶器の椀や皿(この陶器がここから土したから、この住居址が平安時代のものだと推測できる)、瓦、土師器甕などが出土した。平安時代の緑区(南区の隣)では灰釉陶器を生産する窯が多数あり、都へも運んでいたことから、窯の近所である見晴台でもこの器が使われていたと推測できる。また、石や焼土なども住居址内から出土している。焼土は赤茶けた色の土で、他の部分とは明らかに違うので見分けるのは容易だ。
 8号住居址は昨年度の調査で完掘しており、9号住居址に切られている弥生時代後期のものと推測される。
 土を掘って土器などの物が出土したときはすぐわかると思うが、住居の跡や柱の穴の跡はどうやったら分かるのか、という問い合わせがある。これは経験を積まないと見分けられない場合もあるが、土の色の違いで判断する。
 住居址や柱の穴(ピット)は地面を掘って、それが埋まったところだ。だから、埋まった土とその周りの掘らなかった部分とは土の色が違うのだ。だから、発掘するとき、土の色が違っているところを用心深くチェックするのが重要なポイントとなる。また、この地域では通称地山(正式には熱田層)と呼ばれる地層が発掘調査の重要なポイントとなっている。この地層はこの地域が陸になる前に海の中で堆積した地層である。だから、この地層が出たらそれ以上掘っても遺跡は発見されないということになる。地山はオレンジ色の固い粘り気のある土で、こちらも見分けがつきやすい。
 発掘調査は地道な作業だ。しかも、今は夏なので非常に暑くて辛い。まじめに掘りすぎるとめまいがすることもある。でも、発掘が好きだからやっていられる。個人的には何か遺物が出土するより、遺構(当時の生活の様子が地面に残っている跡)を探す方に魅力を感じる。竪穴住居址・ピット・土坑・・・。それらはかつて弥生人が生活していた痕跡であり、時を越えてその同じ場所に立つことができるということが不思議な感じだ。そういうところにロマンを感じなければこんな辛いことは誰もやらないだろう(さらにずっと発掘していると、そんなロマンなんて感じることは無くなるらしいが)。
 私は学者ではないので発掘調査に参加できるということは非常に貴重なことだ。いつまで参加できるか分からないがずっと続けて行きたい。

2008年8月3日日曜日

大須オペラ 千秋楽


ついにこの日が来た。17年間続いた大須オペラ。スーパー一座の夏の定期公演が今年で終幕となった。これは、この劇団を主宰する方が高齢になり、オペラの台本を書くのが難しくなったためとのこと。大変残念だがやむを得ない。


私がこの劇団の舞台を観るようになったのは、私の幼馴染(私の先輩)がこの劇団の看板役者になったからだ。彼は高校のときは理系クラスだったはずだが、いつの間にか演劇の世界へ進んでいた。ずっと前の高校の同窓会報に彼の活躍が載っていて、高校の第2校歌がこの劇団の発声練習に使われている、と書いてあって話題になった(今は歌っていないらしい)。


今年の公演の演目は「パロマの前夜祭」。ちょっとめずらしいスペインのオペラだ。今回は1列目で、目の前がオーケストラのピット。こんな狭いところ(会場が大須演芸場だから)にオーケストラピットを作れるのか、いう感じだが、大須オペラはオケの生演奏なのだ。ちょっと贅沢な気分。楽団員は若手中心。私は能管を習っており、西洋の音楽にもかなり興味があるので、楽団員の持つ楽器にも興味津々。目の前の人がユーフォニウムを吹いていて、音がチューバよりホルンに近いことを今回発見した。指揮者はオペラの編曲もしている方で、もう10年以上ここで指揮をしている。
今回は看板俳優2名によるダブルキャスト。といっても、2つの役を2人で毎回交代で演じるというもの。
だから、それぞれの役がどう違って演じられるのかという面白みもある。
舞台のことを詳しく書くと長くなってしまうので省略するが、今回で終わってしまうのはやはり寂しい。全力でやってきた役者さんや楽団員たちの方がもっと寂しいだろう。アンコールで「♪始めがあるものは終わりがある~」と笑顔で歌っていたが、涙をこらえての舞台だっただろう。役者も辛い仕事だなあと思う。
12月に行われている大須・師走歌舞伎は継続するとのこと。こちらはこの劇団の活動の基本であり、今から楽しみだ。
後で先輩にメールを送信しておこう。



2008年7月26日土曜日

ゴミ箱の中から物を出さないで下さい


先日地下鉄に乗ったときのこと、駅の改札口近くのゴミ箱に写真のような掲示板があった。「お願い ゴミ箱の中から物を出さないでください」。こんなこと当たり前だ!と思うかもしれないが、写真の通り実際に看板は存在している(しかも結構古い)。これは、ごみ漁りをする人が多いためにこのような掲示板があるのだが、とても嘆かわしいことだ。日本はこれだけ経済が発展して、しかも愛知県は日本の中でも非常に好景気であるといわれているのに、この看板を出さなければならないほど貧しい生活をしている人がいる。人それぞれなので一概には言えないが、いろいろ考えさせられることだ。

2008年6月29日日曜日

ロードランナーズ in 大須OYS


 私の友人がバンド活動をしているので、彼らのバンド:ロードランナーズのライブを観に行った。ライブなので聴きに行ったという方が正しいのか。彼らはアマチュアバンドなので、もちろん大きなホールでのライブではない。いわゆるライブハウスというところでのライブで、1バンドあたり30分程度の持ち時間で10バンドくらい出演する中の1つのバンドとして出る、という形だ。今回も大須OYS。ちょっと狭いライブハウスだ。私もかつてちょっとバンド活動をかじったこともあるし、仲間にもバンドをやっている奴も結構いたが、今ではこの友人だけが活動している。

 彼らの出番は21時20分くらい、とのことなので21時頃に入る。私は以前、彼らのライブを最前列で聴いていたときにスピーカーに近すぎたのか1週間ほど難聴になってしまい、それ以降大音量に弱くなった。そのため、常に後方からライブを観ることにしている。出番の前のメンバーには会場で会えるが、出演直前だけあって独特の緊張感を漂わせる。我々はもはや趣味でライブ活動をする年齢ではない。今日出演する他のバンドの奴らは我々より多分10~20年くらい若い。そんな中でのライブなので、ハイレベルの演奏で他を圧倒しなければならない、という気持ちもある。

 このバンドになってからのキャリアは長い。途中で名前を変えたりギターが変わったり休止していた期間もあったが、もう7年以上もやっている。当初は60年代初頭のロックンロールをやるバンドとしてスタートしたが、今はもっと幅広い年代の曲をやる。ほとんどオリジナル曲ばかり。友人はドラムだ。身体はやや小柄で痩せているのでドラム向きではないように見えるが、とてもアグレッシブなドラムを聴かせる。

 曲のレビューを書くと長くなるので避けるが、最初の頃と比べるといいバンドになったなあと思う。曲の完成度も高い。同じメンバーで続けていくと、方向性とか音楽の好みなどが合わなくなってきたり煮詰まってきたりすることもあるが、彼らはこの調子で続けていくであろう。夏は暑いので活動休止するとのこと。秋には活動再開するので、興味のある人は聴きに行って欲しいと思う。

2008年6月22日日曜日

試供品のお茶


先日、名駅の大名古屋ビルジング前の信号を渡っていたところ、サンプルのお茶を配っているのに遭遇した。私はサンプルを貰うことはあまり無いのだが、暑いし喉も渇いていたのでそそくさと貰った。普段は地下街を通っていくので、たまには地上を歩くのもいいものだ。

都会にいると結構いいことがある。特に午前中がいい。いろんな試供品や広告用配布物は午前中に配ることが多いからだ。配布物は無くなり次第終了なので、午後にまで渡って配ることはあまり無い(ティッシュ配りなど例外あり)。

「天空烏龍茶」。私はあまりコンビニに行かないので最新商品には疎い。もちろんこのお茶は知らない。販売元はミネラルウウォーターを中心に扱っているメーカーだ。試供品は冷えてないので、家に帰って冷やしたあと飲んでみよう。

2008年6月15日日曜日

ゴールドベルグ変奏曲



私は音楽全般が好きだが、クラッシックではバロックや古典派が好きだ。以前はロマン派なども好きだったが、年齢を重ねるにつれていつの間にか好きな曲の傾向が変わっていた。


バロックでは、J.S.バッハが好きだ。小学校のときはバッハは嫌いだった。というのも、教科書に載っているバッハのしかめっ面が怖そうだったし、音楽鑑賞で聞く小フーガもパイプオルガンの暗い曲だし、悪いイメージを持っていた。


今から10年ほど前、非常に心地良い曲が聞こえてきたことがあった。それがなんとバッハのゴールドベルグ変奏曲というピアノ曲だった。これは、ギタリストの大萩康司もNHKの番組「トップランナー」に出演したときに好きだと言っていた曲だ。聞くところによると、バッハの教え子であったゴールトベルクが、不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴールトベルク変奏曲」の俗称で知られている。ただ、この曲が作曲された当時ゴールドベルグは14歳であり、この曲が極めて高度な技術がなければ演奏できないレベルの曲であることから、この逸話は信憑性に欠けると言われている。


正式名称は「アリアと様々の変奏曲からなる2段の手鍵盤のチェンバロのための練習曲」で、ピアノが主流となった時代には忘れ去られた曲となっていた。それを、カナダのピアニスト グレン・グールドがデビューアルバムにこの曲を選択して1955年に発売し、世界的なセンセーションとなったため一躍有名な曲となった。グールドは1981年にも再録音し、その後急逝したために更に注目されることとなった。私は1981年録音(歴史的名盤と言われている)のCDを持っているが、非常に素晴らしい、の一言に尽きる。曲の構成は、最初と最後にアリアがあり、その間を第1変奏~第30変奏が次々と演奏される形となっている。全部聴くと1時間ほどの長さだが、弾き手によって多少増減する。変奏は、1つのテーマを変奏していくのではなく、3つのテーマを順番に変奏していく形になっており、アリアの左手のメロディーが全曲に通じたテーマとなっている。私は特に第30変奏が好きなのだが、この曲だけを聴くのではなく、最初から通しで聴いた上で第30変奏になり、再びアリアを聴いて終わるという過程が物語のようでとても心地良い。


この曲の楽譜(ウィーン原典版)とCDの演奏を比較すると、グールドが勝手にリピートを省略したりトリルを入れたりしているところを発見できるが、それもまた良い。是非お勧めしたい曲の1つである。
なお、イオン(ジャスコ)の紙袋に印刷されている楽譜はこの曲の第18変奏だという噂があるが、まだ確認できていない。とても気になっている。 また、1955年録音のものも聴いてみたいなあ~。

2008年6月8日日曜日

津軽三味線竹山流 高橋竹大氏

名古屋市内で、高橋竹大&竹大バンドコンサートのポスターを発見した。高橋氏は津軽三味線の竹山流の若手ホープで、竹山流の初代高橋竹山の最後の弟子である。10歳で竹山に弟子入りし、13歳で「竹大」襲名を許された。
津軽三味線は大きくわけて2つの系統があり、今は流行っているのは豪快な叩き系の三味線(上妻宏光や吉田兄弟など)で、竹山流は繊細な弾き三味線である。
彼とは1度だけ会ったことがある。彼は、かつて「ジャンジャン高はし」「民芸酒亭 芝楽」という店を家族で経営していた時期があり、私はその店へ行ったことがあるのだ。店は彼の母が仕切っており、ライブタイムになると彼や彼の姉の高橋竹子(彼女も高橋竹山へ弟子入りし、「竹子」襲名を許されている)が店で生演奏&リクエストに応えていろんな曲(津軽三味線以外でも東北のものならOK)を披露するという形で営業していた。ライブタイムになると注文が一切できなくなるので予めいろいろ頼んでおかねばならないが、目の前(カウンターの中)で演奏するので津軽三味線ファンにとってはかなりポイントが高い店だった。ただ、プロとして三味線に専念するために店を閉店したため今はもうない。それと、最近知ったのだが、竹山流の内部でお家騒動的なことが発生していて、高橋竹童という人が「自分こそが初代竹山の最後の弟子」と吹聴してかなり問題になっているとか。詳細はわからないが、私は竹大が最後の弟子であると信じている(免許状も店で見たし)。
今では名古屋市教育委員会の活動にも参加し、その道の達人として活躍しているとか。私は三味線は弾けないが、これからも応援していきたい。
http://www.chikudai.info/
http://www.bunka758.or.jp/09artist_bank/09ab_003.html

2008年6月1日日曜日

半田市鉄道資料館 移転オープン

半田市鉄道資料館が移転オープンした。以前はJR乙川駅近くにあったのだが、諸事情によりJR半田駅北側へ移転した。ここの目玉は武豊線で引退列車を牽引したSL C11を展示していることだ。
あまり知られていないが、JR武豊線は愛知県で一番古い鉄道で、明治19年3月1日に開通した。武豊線が敷設された一番の目的は、建設途上だった東海道線の建設資材を武豊港から運搬することで、旅客は2番目の目的であった。これもあまり知られていないことだが、開通当初からあるJR亀崎駅の駅舎は現役最古の木造駅舎だし、JR半田駅の跨線橋も現役最古の跨線橋とか。
そのような関係で、資料館には武豊線関係の資料の資料が展示されている。
オープンの際にはセレモニーが開かれ、国会議員や県会議員、市会議員などお偉方が出席して挨拶したが、式を担当していた役員たちの動きが悪くてがっかり。たくさんの役員(多分市役所の人たち)がいるのに、みんな来賓の方ばかりに気をとられて、一般の観客の対応が全くできていなかった。担当を分けておけば対応できるはずなのに~と思ったのだった。

2008年5月25日日曜日

四国産スープ 空海(SHICOOK SOUP)







JR四国が開発した商品に「空海」というスープのシリーズを購入してみた。
これは、材料をすべて四国産のものでまかない、一流のシェフが腕を振るった逸品ということで、一度食べてみたいと思っていたものだ。
ただ、高級だけあって値段もそれなりに高い。四国へ行けばJRの駅などで単品で売っているが、通信販売だとセット販売のみ。
贈答品としてウチに贈ってくれる人もいないので、自分で買って食べてみた。
まだすべて食べたわけではないが、おいしい!
スープは野菜をしっかり裏ごししてある濃厚なもので、
暖めても冷やしてもおいしい。また、ミルクや具などを加えてもいい。今後、贈答品が必要になったときはその候補に入れたいと思うほどのレベルであった。

2008年5月18日日曜日

岐阜市歴史博物館

すっかり祭のことばかり書いてしまっていることに気づいた。祭関係の記事が多くなりそうなのを見越して「日記など」の『祭だ!』に書くことにしていたのをすっかり忘れていた。今後、祭関係はそちらに書くことにしよう。
招待券をいただいたので、金華山のふもとにある岐阜市歴史博物館へ展覧会を観にいった。今回の企画展は「特別展 皇室侍医ベルツ博士の眼 江戸と明治の華」である。これは、ドイツ人医師のベルツが日本に来て収集した美術品などを展示した企画展で、出品されたものはドイツのシュツットガルト市にあるリンデン民族学博物館所蔵の品である。この博物館には現在、1万6千点にもおよぶ多彩な日本の美術工芸品が収蔵されており、海外所在の日本美術コレクションのなかで最重要かつ最大規模といわれるものとのこと。今回はこの博物館コレクションの中核をなすベルツ・コレクションを中心に、リンデン民族学博物館所蔵品から選りすぐった日本美術工芸品、それにベルツ遺愛の品を加えて展示し、ドイツ人医師の眼が見出した、日本の美の精華、洗練された江戸と明治の粋を紹介するという意図である。

展示された品々の保存状態のよさにまず驚く。掛け軸など日本画は紫外線による退色やカビ・シミなどの影響を受けやすいが、非常にきれいな状態のものばかりで、日本画の特性をよく知った上で保管されているのだと推測される。それと、展示されている品のレベルが非常に高い。掛け軸以外にも漆器や陶磁器(七宝を含む)・蒔絵などすべての工芸品が一流の職人・絵師の手によると思われる。当時の外国人にとっては東洋のちっぽけな島国に過ぎない日本について予備知識は全くなかったはずで、ベルツは相当目利きであったに違いない。

岐阜市歴史博物館は、土日には常設展示室にボランティアガイドが常駐する。彼らは展示品の解説や体験コーナーのお手伝いなどをする。この博物館のよいところは体験型博物館となっているところで、体験コーナーがとても充実している。例えば、縄文土器の模様付けの体験ができたり、弥生時代の人たちが着ていたとされている貫頭衣を着てみることができたり、銅鐸の複製したものを叩いてみてどんな音がするかを聞くことができたり、古墳から出土した鉄製の鎧を復元してどれくらい重いのかを持つことができたり、江戸時代の子どもたちが遊んでいたと思われるおもちゃを使ってみることができたり。
その他いろいろあって子どもでも楽しめる。ボランティアはそのお手伝いをしていく過程で、地域の歴史についての解説もしてくれる。

常設展は何度も観ているので、いつもと変わった展示品だけチェックしていたら、ガイドにつかまってしまった。う、あまり時間が無い。が、私が発掘に興味があると知っていたのかどうかは定かではないが、来週から遺跡の発掘調査があることを教えてくれた。つかまってラッキーであった。
発掘場所は博物館のある岐阜公園のロープウェイ乗り場周辺で、織田信長の時代にあったとされる建物の遺構などを調査するという。岐阜公園のあたりは尾張と美濃を平定した頃の織田信長が屋敷や蔵などを構えていたことがわかっており、その調査をするとのこと。これらの建物は戦乱の中で全て焼け落ちているので、どのようなものが出土するかはわからないが、当時の瓦や陶磁器などが出て欲しいと言われていた。遺物があれば、遺構がどの時代のものであるかがある程度絞れる。今回は調査区域が広いので、30名余りの体制で来年3月まで行うという。ぜひ見学に来てほしいと言われたので、ある程度調査が進んだころに行ってみようと思う。

2008年5月10日土曜日

山おろし








5月5日は山おろし(山車の解体)を朝8時から行う。前日の疲れがどっと出ている中での作業は結構辛い。そもそも、祭りが終わってしまった後なので、なんとなく寂しい空気が流れている中での作業だ。
サヤから山車を曳き出し、ウチの組のY田氏が記念写真を撮りたいとのことだったので撮影のためにしばし待機。私もついでに同じようなアングルで写真を撮る。その後、雨に降られないうちに作業を行うということで、例年よりさらに急ピッチで解体を行う。彫刻の取り付け方法や山車本体の構造などがわかっていないと部品を取りはずすことができない。また、山車上部(上山や前山)は足を置く場が限られるので、気をつけないと自分も彫刻類も落下の恐れがある。彫刻などはすべて専用の木箱に納めるので、彫刻の名前や取り付けられている部分の名前を知らないと、どの木箱にしまってよいのかがわからない。木箱には筆で文字が書かれており、前山蟇股とはどこの部分か?脇障子?虹梁って何?って悩んでいる暇はない(木箱の多くは江戸時代に作られたもので、文字もそのときに墨で書かれたもの)。一応、間違えてしまわないように早見帳を作ってあるので、迷うときはそれを見る。困らないように普段から勉強が必要だな~。
木箱にしまった彫刻や柱などはすべて山蔵へ仕舞う。ウチの組はサヤは組事務所の向かい側(町中)にあるが、解体した部品等を収納する蔵は岡の上にある。
山蔵へ収納するのもただ仕舞えばよいというものではない。修理する彫刻類はすぐわかるように分けておき、それ以外は来年度に取り出しやすいように考えて収納する。綱などは絡まらないように木の台にかけておく。
ウチの組は例年多くの組員が出席するので他の組と比較しても作業が早い。今日も午前中で終わってしまった。昼食は例のごとく吉牛。組上げも吉牛だったし、たまには違うものを食べたいな~。

2008年5月4日日曜日

亀崎潮干祭(後の日)
























今日は後の日(2日目)。朝曳き(4時半集合)は寝坊して欠席し、警固(7時半集合)から出席。
尾張三社へ到着後、昨日は遠慮した棒締めを行う。楫方を引退した今、棒締めもいつまでやっていいのやら、と思う。たくさん若手がいるので後進に譲らねばならないな~と思う反面、H氏の兄のようにいつまでもやり続けるのもいいなあと思う(いろいろな意見があるが)。来年は辞めた方がいいかも、と思いつつ「よ~おんやらせ~!」と気分よく大声を出す。午後は曳き下ろし。例年と違って曳き下ろしたら浜の下へ整列せず、そのまま曳き上げ。その後、隠れた見所の県社廻り。今日はれいしょう様とも会えたし、それ以外にも久しぶりに会えたたくさんの方と話せたし、祭り以外でもかなり収穫があった。

2008年5月3日土曜日

亀崎潮干祭(前の日)






















今日は待ちに待った亀崎潮干祭の初日(前の日)!朝方に少し雨が降ったが、その後は天気がよくなり絶好の祭り日和となった。写真は県社前の浜へ曳き下ろしたところ。このポジションには一般の方は入れないので、かなり貴重な写真である。波がはねるのを警戒して、大幕は梶棒の上に折り曲げてある。ちなみに、この時間帯は満ち潮だったので、撮影後は台輪に波が当たるようになった。夕方、尾張三社で待機中にバナナ仙人さんから成岩の萌えるさんとAKDじゃなくてAKIさんを紹介いただいた。もう一人、桑名の石取祭りに参加しているという方は名前を聞きそびれてしまったな~。明日は会えるかな?

2008年4月29日火曜日

亀崎潮干祭(かめざきしおひまつり)

今年の祭のポスターに、なんと私が写っていました。少々小さいですが、全身が写っています。今年はポスターを貰うつもりはなかったのですが、早速組事務所で貰ってきました。

2008年4月20日日曜日

山車組み上げ

今日は、ウチの町内の祭りで曳く山車の組み上げ日でした。山車は江戸時代に作られた古いもので、普段は解体して蔵で保管しています。車輪部分はゴマと呼ばれ、松の輪切りをつかいます。これは普段はひび割れを防ぐため浜に埋めて保管しています。写真は、ほぼ組みあがった状態。写真では判りにくいですが、屋根や高欄周りはすべて漆塗り、斗組や虹梁などは蒔絵で装飾されたきれいなものです。この後、水引幕と大幕を取り付けして県社まで試し曳きをして組み上げ具合の点検をしました。山車の部品は木製ですが、かなり重くて大変でした(でも楽しかった)。明日は筋肉痛だな。